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最先端という錯覚 創作物に見られる我々の価値観

作者: 走るツクネ

別作品に投稿していたページを抜き出して改稿したものです。

長いこと読み専をしてきたので、すこしは語ってもいいのでは、ということで書いたものです。

 私たちは無意識のうちに、自分たちは今時代の先端にいる、という考え方をしている。

 最も進んだ生活、技術、そして、社会制度。


 しかし、歴史を見ると、どの時代の人々も我らこそが新時代を担う者たちだ、と思っていたのでは無いかと感じる時がある。遠くから流れてきた見たことも無い品や、新しい技術、文化、そういったものが生み出されていくのを見たときは、あぁ人間の技術力はここまで来たか、と実感することだろう。


 そんな彼らの人生も今では記録テープの一巻にすぎない。

 そして我々もそうなることは明白であろう。


 遠い未来、例えば500年後程度に、我々の思想は未来人の中でチンパンジー扱いをされているかもしれない。


 例えば、少し昔の作品で未来のことが書かれると、近未来的な空間なのにブラウン管っぽいモニターを使っていたり、VHSやMDのような記録媒体が登場したり、巨大ロボットが戦う傍らでガラケーが使われていたりする。少々滑稽な様子だ、と感想を持つのは今だからできることだろう。



--現代と異世界、主人公と社会、それぞれの価値観--


【我々の価値観】

 我々は、長い時代の中で、先人たちが様々な形態を吟味し、選択し、作り上げ、改良してきた枠組みの中で生きている。


 国の社会体制、といっても 様々な要素がある。そのルールやシステムのパーツは膨大で、例えば小説で描写しようとしても、とても一人で考えきることなどできないはずがない。

 小説を書く人の多くは法律の専門家でもないし、政治や経済に関する学者でもないだろう。


 そこでなにが起こるかというかと、我々が生きる社会が持っている体系の流用が始まる。


 いかんせん、我々は自分たちがもっとも優れた時代にいて、優れた技術や思想を持っていると思いたがるのだ。主人公のみならず、物語のありとあらゆる価値観に影響し、方向を決定づける。

 例えば、進んでいる国の描写には、現代日本が持つ様相に近しいものが書かれるし、遅れた社会は自由がない規制された様が描かれるようである。

 現代日本人は民主主義、特に立憲民主主義こそが優れていると(無意識に)思っているので、そこから生じた描写だ。


 そしてもし転生した主人公が、もといた世界(現代日本)を披露する際に挙げる物といえば、「猛スピードですすむ馬のついていない鉄でできた馬車」だとか、「動く絵が見れる箱(今では板が主流となった)」だとか、「離れている場所でも会話できる機械」だろう。


 いや、別にそれが悪いといっているわけではない。

 しかし、自分が、自分たちより過去の時代に生きる人々より優れている、などと安易に思ってはいけないのではないか、とは思う。

 テレビの使い方や車の存在を知っていて、その恩恵を享受できる社会にいる、という事がそんなに偉いことなのか。


 それはもう、我々が馬鹿にしがちな貴族の特権意識と何ら差はないだろう。もし誇れるものがあるとしたら、その中で育った(あるいは教育された)、恐らく先進的であろう考え方や価値観だけだ。



 話はずれるが、車やテレビなどは確かに感心すべき技術の塊なのだろう。文系出身の筆者からすれば、とんでも技術の結晶に違いない。

 しかし、筆者としては、時速60キロで鉄の塊が走っても事故を起こさない、という街づくりにも目を向けてもいいのではないかと思う。


 街とは集団の生活の場である。

 つまり、全員が全員、町の中をとんでもないスピードで駆け回る鉄の塊の存在を容認している、というわけである。


 この状態に行き着くまでは社会として、長い時間が必要だろう。

 例えば車を容認しない町としては、混み入った道路を持っていたり、歴史的な価値のある建物を多く持っている地域が挙げられる。自転車が主な移動ツールとなっている地域でも、車は自由に走ることができない。

 文明の利器を問題なく享受できる社会づくり、というのは一朝一夕にはできない。その社会自体も、その文明の持つ遺産、成果なのではないか、と思うのだ。閑話休題。



【現代社会の価値観】

 社会としてみたときに、今は国際的、標準的な人権の観念と、流通システムが出来上がっている。その結果、人々が同じ土俵で活動をすることこそが尊い、という価値観が育ってきている。その中で先進国は帝国主義の負債を支払おうと躍起になっているようだ。


 そんな思想が"最も進んだ我々"が持つ価値観なわけで、最先端で洗練された優秀なものであるとしばしば誤解されがちである。


 例えば我々から見て、歴史に登場する多くの人間たちの行動は、素直に納得できるものではない。なぜそんな非人道的で残虐なことができるのだ、という事件は沢山ある。


 しかしファンタジー世界は、ファンタジーという性質上、その納得しがたい価値観を持つ人々が暮らしていることが多い。

 結果として、創作物の中で我々と近しい価値観を持つ登場人物たち(特に書き手読み手の感情移入が強い主人公)が行動すると、社会に似合わない平等を振りかざしているように見えてしまうという現象が起こる。


【旧体制を持つ社会の価値観と我々の価値観】

 また、奴隷に対する嫌悪であるとか、宗教や貴族といった、我々になじみのない、言ってしまえば旧時代的な機構を持つ者たちへの侮蔑が、物語の進行においておおきなカギとなっている場合も多い。


 筆者の無駄に長い文(別作品、幻想歴史読本のこと)を読んでいただいた方々はお分かりだと思うが、奴隷も宗教も貴族も、必要だからそこに存在しているに他ならない。


 もしこれらに対して否定的な描写を入れたのなら、その小説のテーマは自然と統治体制の崩壊、という面が書かれることになるだろう。

 

 なぜなら、悪く書かれる、ということは、それらが社会に置いて自らの責任を果たしていない、ということになるのだ。


 たとえば密輸を行う商人だとか、汚職に塗れる官僚だとか、そういったものは社会という枠組みの中で、自分の役割を果たしていないと言えるだろう。聖職者が俗世の欲の中で生きているとしたら、教会の権威は失墜することとなる。

 そういった者たちは、社会を崩壊させる原因となる。


 彼らありきで社会のあらゆる法や制度が定められているのに、それらが機能しなくなったら社会が上手く回らない、というのは想像できるだろう。


 例えるなら道路やガス管のようなものだ。

 それらは後世から見たら、危険なシステムで今にも大事故を引き起こしかねない、時代遅れなものかもしれない。しかし現状は、多少の問題を引き起こしつつも人々の暮らしになくてはならないものである。

 それがとんでもない事態を引き起こすような代物であると分かれば、それ抜きでの社会の運営が求められることになる。


 統治体制とはインフラのようなものだろう。後ろで威張るばかりで働きもしない貴族だとかがいる場合、その社会はまもなく終焉を迎える、ということなのだ。


 よって、みだりに批判したり、否定するような描写をしていては、その社会全体の在り方を否定していく流れになってしまう。


 もし役割につく人々がそれぞれ己の仕事を全うしているという状態に押し入っていって、主人公達が旧時代だと指摘したとして、現場に生きる人々の誰が賛同しようか。


 職業やシステムなどといった世界に根付いたものを糾弾する、というのは、それなりの状況が手元に揃っていなければ難しいのだ、ということは不自然なことではないだろう。

 

 そこには何万という人々がそれぞれの歴史の中で作り上げてきた国家体制がある。

 ポッと現れた青年が、進んでいる(と思われる)知識や驚異的な力で、問答無用に覆していくようでは、それは暴力と一緒だ。多くの人の職や安定した生活を滅ぼすというのは、無差別テロに近いだろう。未来人がいきなりやってきて、唐突に我々から電気やガス水道を奪うようなものかもしれないのだ。


 私たちが、異世界に転生した際には、よくよく社会を観察して、彼らの生活を理解しようと努めなければならない。



--社会や価値観の行く末とファンタジーの醍醐味--


【民主主義社会について】 

 我々は民主主義こそが至高の国の在り方であると思っているが、本当に万能なのか。こういった概念を他所に持ち込む際、よく考えなければならない。性質と問題点について考えていきたいと思う。


 民主主義は、人ひとりの持つ力ができうる範囲で最大限に強まった結果といえるだろう。集団の方針を決める際に、決定にかかわる人数がどんどん多くなっていき、結果的に今の社会になったのだ。


 一般人が国の政治に参加する、というのは、よく考えればとんでもない話だ。

 故に我々は一票に責任を持たなければならない、と教えられる。


 国民一人一人がどうするか、というのを真剣に考え、悩み、決断を下した結果の選択が、今の国の在り方なのだ。この事実を言い換えれば、国民全員が中世の領主のような立ち位置にあるといえる。

 

 当然領主がうっかり選択をミスすればその家は滅んでしまう。よって、その家では領主の子息にはたっぷりと教育を施すし、何人か子供をつくって、"あらゆる事故"に備える。


 よく見る描写だ。

 そういう風に育てられた領主、というのが、まさに我々であり、そうでなければならない。


 現状はさておき、民主主義とはそういったシステムという事ができるだろう。

 つまり、国民全員がレベルの高い教育を受け、高度な思考水準をもっていること、という非常に耳が痛い前提があるのだ。数学などは思考訓練などというが、そうかもしれない。


 国民が聡明で真剣である、という前提条件がなければ、民主主義は脆い。


 たとえば官僚制を取ることで爆発的に発達してきた中国と言う文明は、なんどもその官僚の腐敗によってその身を滅ぼしてきた。



 それゆえに、そういった土壌が全くないファンタジー世界に民主主義をかざして突撃してもうまくいかないだろう、と思うのだ。環境によって適した制度は変わってくる。


 現状完璧な社会制度などないのである。

 以前、エルフは実は少人数でも生きていけるほどの高度な社会を築いているのではないかと書いたことがある。

 彼等のもつ社会体制がいかなるものかはわからないが、民主主義の次にあるものはそれかもしれない。


【価値観、優先順位】

 また、価値観はどうだろうか。

 太古では、大きな獣肉を得ることが重要であった。農作業が始まれば、効率よく作物を生産したり、計画的に貯蓄できるものが優位に立った。

 やがて、中世にもなれば土地の奪い合いが始まり、近世になると確立した領域を守りきるために、血が尊重されるようになった。

 近代が始まると個人の思想や才覚に重きが置かれるようになる。近現代ではそれを如何に物品や成果、こと現代においてはお金に変換するか、ということが問いただされるようになった。


 長い時代を経て育った我々の価値観と、過去の時代の価値観は根本的に違うものがある。知恵一つでお金を稼ぐことに執着する転生主人公は、妙な視線を向けられることだろう。歴史上の人物たちは、お金の重要性を、理論的に理解しているか分からない行動をとることがある。現在の経済観とは差異があるだろう。


 

 少し話は外れるが、この先どこに行きつくのだろうか。

 昨今人工知能が騒がれている。

 数々のボードゲームで人間の様々な要因から成り立つ直感、というものが、敗北し始めている。人工知能やロボットに仕事を取られる、というネット記事を読むこともある。


 数多くのSF物で見ることができる、人工知能が人間を統治する世界、というのも現実味を帯びてきた。そんなバカな、と言えないのが、今の世の中の有りようである。


 そんな中で何が重視され、価値がある物として重宝されるのだろうか。

 今の環境に身を置く筆者は当然想像することしかできないが、おそらく人間を人間たらしめるものはなにか、という観点から、肉体だとか、感性だとか、そういった原始的なものを再確認する流れになるのではないかと考える。


 五感や三大欲求などの、人間を形作っている感覚を実感することがありがたがられるかもしれない。


 そして、宇宙世紀アニメの新人類的な、ああいった悟りだとか、新境地、というもの、つまりはロボットや人工知能が到達できない場所の探求、という観念がテーマになるのではないか。


 もしくは、少子化が進み、そのサポートをロボットが担当することになれば、生命そのものこそが尊ばれる時代になるかもしれない。


 優秀な人工知能を持つのはだれか、という育成ゲームのような価値観で競い合いが始まるかもしれない。




 このように、時代によって尊ばれるもの、というのは変わっていくのである。


 我々が生きているうちにその変化が行われるかは分からない。そのために違う社会体制によって変化した、異なった価値観を体験する、ということができるか分からない。しかし、ファンタジーの中では自由に体験ができる。


 ファンタジーの魅力は、そこに生きる人々の文化や価値観を体験し、観察し、味わうことができるところにあるとおもう。

 中世、という時代に加え、魔法にモンスター、神までいるのだ。現代日本に置いてはとても経験できない事柄が、山のように転がっている。まるで大容量のオープンワールドゲームだ。

 広大な世界を垣間見た時の高揚感を持つことを、まだ許されているはずだ。


 これからも、たくさんの魅力的な物語が生まれることを願っているし、それに運よく出会えることも楽しみにしたいと思う。

抜き出して前後の流れをぶった切ったので、予想以上に批判皮肉めいた文になってしまいました。不快に思われた方はすみません。でも、こういう風にも考えられると思うのです。

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