【番外編4】同じ技を持つ者
「あれ、茶葉が切れてる」
戸棚を見れば、緑茶の缶がなかった。
この世界は異世界だけれど、意外とニホンのものが多く存在している。
何故かこの世界を訪れる異世界人は皆ニホン人らしい。
特にこのウェザリオという国は、異世界人であるトキビトが多く住んでいるため、それだけニホンの文化も浸透しているようだった。
クライスの母であるリリアナさんは、ニホンが大好きなので、こういうニホンの食べ物や飲み物を好む傾向にある。
緑茶もその一つで、街の方にあるお茶屋さんで売っているらしかった。
使用人の人たちが、切らしてしまってすいませんと謝ってきたけれど、これもいい機会なので自分で買いに行こうと決めて屋敷を出た。
僕がこの世界に来て『クライス』として過ごすようになって一年が経った。
クライスを亡くして不安定になっていたリリアナさんは、かなり落ち着きを取り戻していた。
最初出会った時は、僕を見ながら狂ったようにクライスと連呼されて、怖くてベアトリーチェの後ろに隠れてしまった覚えがある。
今日もリリアナさんは、黒髪の男の人の絵を描いていた。
リリアナさんの憧れの人である、王の騎士『カザミヤイチ』だ。
「クライスもヤイチ様のように立派な王の騎士になるんですよ」
それがリリアナさんの口癖で。
僕と同じカザミ姓ということもあり、すっかり名前を覚えてしまっていた。
リリアナさんがクライスに執着するのも、そもそもはこのヤイチという人のせいで。
彼のような黒髪黒目の男の子が欲しいとリリアナさんは願って、旦那さんであるエドワルドさんと結婚したらしい。
祖先にトキビトがいるからと言って、黒髪黒目の子が生まれるとは限らない。
なのに、『クライス』は黒髪黒目で生まれた上、剣や勉強にも長けていたという。
そこまで完璧に『クライス』になれるかというと自信はない。
けど、求められているものを出来る限り演じるのには慣れていた。
相手が何を求めているかを見て、それを差し出す。
そうすれば、大抵のことはうまく行く。
――それにしても、お茶屋さんどこだろ。この辺りだって聞いてたんだけど。
二時間くらい歩いてるのに、うまくたどり着かない。
屋敷の使用人さんが書いてくれた地図をもう一度見る。
紙に書いてある地図よりも、困ったときは近くの人に連れて行ってもらってくださいという字が目立つ。
裏には大きく屋敷の住所が書かれていて、帰り道に迷った時はこれを誰かに見せて下さいとも書かれていた。
異世界人だからか、屋敷の人たちは大分過保護で。
僕が一人で何処かへ行こうとするといつもこんな感じだ。
まぁどうにかなるか。
そう思いながら再度歩き出せば、周りの景色が少し変わっていた。
何故か奥の方にヴィルトの屋敷が見える。
ヴィルトの屋敷は、街とは反対の方向にあったと記憶していたのだけど、勘違いだったようだ。
――少し癪だけどしかたない。ヴィルトに連れて行ってもらうかな。
もしも街中でミサキに会った時用に、マスクを持っていたのでそれをポケットから出す。
ニホンにいた時だったら中々の不審者だ。
いや、ここでもだけど。
ヴィルトとは未だによく小競り合いをするのだけれど、最近ではそれが挨拶のようなものになっている気がする。
遠慮のないどつきあいもするし、喧嘩もふっかけられたりするけれど、険悪というわけではなかった。
ヴィルトは道を聞けば連れて行ってくれるし、暇なときは勝負をふっかけてくる。
若干遊び相手として認識されている気がしないでもなかった。
「ん?」
少し歩いて、そろそろマスクを被ろうかと考えていたら、青色のコートを着た男が刀を構えてるのが見えた。
その振り下ろそうとしている先に、ベアトリーチェの姿を見つけて、心臓が凍りつく。
「ッ!」
足はすぐに動き出していて。
腰に差している刀を抜いて、二人の間に滑り込んだ。
「僕の妹に何をしている」
背中にベアトリーチェを庇い、狐のような顔をした男を睨みつける。
「……にい、さま?」
「立って。どうしてこんなことになってるかはわからないけど、逃げるよ」
呆けたような声を出しているベアトリーチェに指示をしながらも、目の前の男から視線は外さない。
逃げるよと言ったものの、この男から逃げ切れるのか。
そんな事を思う。
男の持つ雰囲気は異質で。
そこにいるだけで、心が不安になってかき乱されるような存在感を持っていた。
「ははっ! これは面白いや! 刀を使える奴が他にもいたんだね! その子の代わりに今度は君が相手をしてよ」
嬉しそうにそう言って、男は切りかかってきた。
その力を流し、素早く一撃を放つ。
男は油断してたんだろう。
頬に流れる一筋の血を確認するかのように手で撫でて。
それから、ぞくぞくするような恍惚の笑みを浮かべた。
楽しそうに笑いながら、攻撃を仕掛けてくる。
重みのある剣撃は、どれもこちらをしとめようとする、容赦のないものばかり。
その剣技は、人を殺すことに重点を置いているように思えた。
受け止めては流し、次の攻撃へと流れるように動作を繋いで行くことで、相手の攻撃をどうにか防ぐけれど。一撃一撃の重みに、手が痺れていくかのようだ。
――こいつ、強い。
奥の手を躊躇してる場合じゃなくて、もう一本の短い刀も手に取る。
僕の流派の長子にしか受け継がれない、二刀流。
小さい方の刀で攻撃を防ぎ、長いほうで攻撃を加える。相手に次の攻撃の間を与えさせない、速さ重視の技の数々を叩き込んでいく。
「いいねいいね! その太刀筋に二刀流、まるで昔のヤイチと戦ってるみたいだ!」
男はますます目を輝かせて、やりとりを楽しむかのように刀を振るってくる。
「離してっ!」
「ベアトリーチェ!」
その声にベアトリーチェの方を見れば、男の仲間に捕まっていた。
「余所見すると死ぬよ?」
「っ!」
男の一撃を二本の刀で受け止めて、どうにか弾き返す。
刀を取り落とさなかった自分を褒めてあげたくなるほどの、重みの乗った剣撃だった。
「後ろに跳ねてください!」
誰かの指示する声が聞こえて、とっさにその通りに行動する。
僕と切り替わるように、黒髪の女性がその場に刀を持って割り入り、男の刀を受けた。
「あれっ? 久しぶりじゃないか! 一瞬誰かと思ったけどよく似合ってる。口説こうかと思ったくらいだ」
「気色悪い褒め言葉ありがとうございます。それにしても人攫いなんて、相変わらずあなたはロクなことをしませんね」
男と乱入してきた女性は知り合いみたいだった。
親しみを込めたような口調でからかってくる男に対して、ハスキーな声の女性は男を軽蔑するかのように吐き捨てる。
もう一本の刀を鞘から抜いて、女性は二本の刀を構えた。
話し終わったのが合図のように、二人は刀を交し合う。
その剣技の応酬は、女性の方に分があるようだった。
技の一つ一つが流れるようで早く、無駄がない。
彼女の技を見ながら、血が騒ぐのを感じる。
敵の技を受け流し、そこから攻撃に入るスタイル。
速さを重視し繰り出される流れの剣技。
しかも彼は二本の刀を駆使して戦っていた。
――あれは僕と同じ流派だ。
しかも、二刀流は長子にしか受け継がれず、奥の手として普段見せることはない。
どうしてこの異世界に、この技を持つ者がいるんだろう。
そう思いながらも、これほどの使い手は見たことがなくて。
僕はまるで魅せられるようにそこに立ち尽くしていた。
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押された男の方が引いて、女性はそれを追いかけることはしなかった。
「大丈夫でしたか」
そう僕に声をかけて、目が合った瞬間に女性は固まった。
「セン……リ?」
「? 助けてくれてありがとうございます」
女性は何かを呟いたけれど、とりあえず礼を言って、ベアトリーチェの場所を尋ねる。
我に返ったようにはっとして、彼女はその場所に連れて行ってくれた。
女性の仲間がベアトリーチェを保護してくれていて、そこには痛々しく包帯を巻いた姿があった。
無事でよかったと思った。
それと同時に、早く駆けつけられていたらと悔しくなる。
「ヤイチ様、助けてくれてありがとうございます」
「いえ。元々彼らを捕まえるのが遅れた私達のせいでもありますから」
ベアトリーチェが女性に対して礼を言う。
僕と同じ流派の女性は、ベアトリーチェと顔見知りのようだった。
ヤイチ――クライスの母であるリリアナさんがよく口にする名前と同じだ。
王の騎士であり、代々の王に仕える謎めいたトキビト。
今日の朝も、リリアナさんは彼の絵を描いていた。
女性でこの名前は珍しいなんて思いながら、彼女を観察する。
艶やかな黒髪は肩下まであって、和風美人といった顔立ち。
ニホン風の顔だちをしていて、胸に鈍い色合いをした懐中時計を下げている。おそらくは彼女もトキビトなんだろう。
歳は二十代くらい。膝よりやや上のスカートからは、黒のストッキングにつつまれたすらりとした足がのぞいている。
ブラウスにカーディガンを引っ掛けていて、穏やかな雰囲気から、図書館あたりで司書をしていそうだなと思った。
こんな女性が先ほどまでの立ち回りを見せていたのかと思うと、嘘のようだ。
「一体さっきの男は何だったんですか。それにあなたは?」
「最近この辺りで、トキビトを狙った人攫いが起きていました。彼はその犯人です」
この状況が理解できなくて尋ねれば、彼女はそう答えてくれる。
「人攫い? 僕のベアトリーチェを殺そうとしていたのに?」
「アレはあの男の独断です。この事件には隣国のレティシアが関わっていて、トキビトを自国へ連れ去ろうとしていたみたいです。この国は一番トキビトの数が多いですからね」
思わず疑問を口に出してしまえば、彼女はそう言ってベアトリーチェに視線を向けた。
「ところでベネ。私はいいましたよね。危険だから外には出るなと。どうして出歩いていたんですか?」
「……すいません。兄様を捜していて」
何故か彼女がベアトリーチェを叱りだし、それに対してベアトリーチェも反省した様子を見せる。
「なんでベアトリーチェを叱るんです。そもそもあなたは誰ですか。僕の質問にまだ答えて貰っていません」
「そうでしたね。私はカザミヤイチ。この国の騎士をしているものです」
よくわからなくて問いかければ、彼女は自己紹介をした。
「……カザミ、ヤイチ? あなたが?」
リリアナさんが大好きな王の騎士と、苗字まで同じだ。
まさかこの女性が本人だというのだろうか。
でも彼は男だったはずだ。
「このような格好でもうしわけありません。おとりとして犯人を誘きだそうと、女性に扮していたのです」
混乱していたら、彼女――ヤイチがそう答えた。
どうやら僕の目の前にいるのが、リリアナさんの大好きなあの『ヤイチ様』で間違いはないようだ。
ヤイチは、男装しているベネを、ベアトリーチェだと見抜いてしまって。
それでいて僕が『クライス』だと言えば、その事を疑いだした。
「何を言ってるんですかヤイチ様! 兄様は兄様です!」
「すいません。クライスの太刀筋が、ルカナン家のものとあまりにも違う気がしまして。二刀流でもなかったはずですし」
怒って誤魔化そうとするベアトリーチェに対して謝りながらも、ヤイチが僕に向ける目は探るようだった。
僕がヤイチを同じ流派だと気づいたように、彼もまたそれに気づいてるんだろう。
カザミ家の長子にしか受け継がれない、あることすらその家の長子にしか教えられてない二刀流。
本来は道場の跡取りのみが知っているはずのこの技を、どうして異世界にいる彼が持っているのか。
まぁ理由なんてどうでもいいけれど、確実に言えるのは。
――ヤイチは、僕と同じ血筋の人間で。
僕がヤイチをそうであると気づいたように、ヤイチもそれに気づいているということ。
「わかりません。記憶がありませんから」
ヤイチは僕がトキビトで、本物の『クライス』でないと気づいている。
それでもそう言えば、ヤイチはそうですかと一言呟いて、この話題にはこれ以上触れてはこなかった。
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トキビトを攫う誘拐犯が、このあたりにいるかもしれない。
そうヤイチから聞いたベアトリーチェは、僕が心配で街を捜しまわってくれていたようだ。
それで誘拐犯に出会ってしまい、抵抗したら戦闘になってしまったらしい。
――僕が心配で、危険を冒してまで捜してくれたのか。
危ないし、駄目だよとベアトリーチェを叱る。
こんな危険なことをして欲しくないというのは、僕の心からの気持ちだ。
でも――。
僕のために危険を冒してまで、必死に捜してくれてたのかと思うと、ベアトリーチェが愛おしくてしかたないのも事実で。
可愛い可愛いベアトリーチェ。
こんな痛々しい姿なんてみたくないのに、この傷も僕のためについたのかと思うと――どこかで嬉しく思う自分がいた。
最低だと、自分が嫌になる。
ベアトリーチェの風呂を手伝って、部屋まで抱きかかえる。
恥ずかしいからなんて言ってベアトリーチェは暴れたけれど、僕のせいで怪我をしてしまったのならこれくらいは当然の事だった。
ベアトリーチェは疲れてたんだろう。
横にしてしばらくすると、眠ってしまっていた。
その柔らかい頬を手でなぞる。
安心しきったようなその幼い寝顔に、心が満たされていくのを感じた。
今のミサキを連れ帰れば、おそらく現実世界の僕の過去が変わる。
そうすれば『クライス』である今の僕は消えて、ベアトリーチェと過ごした時間も消え去るかもしれない。
考えると恐ろしくて、今の僕はミサキに手が出せなくなっていた。
ヴィルトがミサキと仲良くしてるのは、やっぱり面白くないのだけれど。
最近の僕は、二人のやりとりに昔のような苛立ちを感じていない。
ミサキをヴィルトから奪ってやると、ずっと思っていたはずなのに。
その気持ちも薄くなってきていて。
あんなにミサキが好きだと思っていたのに、今の僕の中にあるミサキへの想いは穏やかなものに変わっていた。
ミサキの僕に対する気持ちは、恋じゃなくて『執着』や『依存』だ。
そう思ってた僕だけれど。
それは実は逆で。
僕自身がミサキに『執着』して、『依存』していただけだと気づかされるようだった。
自分がそうだから、ミサキもそうじゃないか。
きっと僕は無意識にそう疑ってしまったんじゃないかと思う。
ちゃんとした好きだったなら。
ヴィルトの言うように、手放すべきじゃなかった。
誤解を初めから解くべきだった。
何よりも、僕がミサキを求めてこの場所に来たのは。
ミサキがヴィルトに攫われてから――半年後だった。
あの変な男が僕の前に現れたのは、僕が現実を捨てたいと願った時。
父にいらないと言われて、居場所がなくなって。
ミサキを都合よく求めたのだと、今ならわかる。
もしもミサキが本当に大切で。
ミサキがいないから、ミサキのいる世界に行きたいと願ったなら。
あの男が僕の目の前に現れるのは、ヴィルトに攫われた直後でなくちゃいけなかったはずだ。
それを認めたくはなくて、ミサキの元に通っていた時期もあったけれど。
やっぱりミサキに対する気持ちは『執着』や『依存』だったと、最近ではようやく受け入れられるようになっていた。
僕がミサキに正体を明かさず、連れて帰る事もできないのは拒絶されるのが怖いから。
そのはずだったのに……今の僕が恐れていたのは、別の事だった。
いつからミサキを連れ帰ることのできない理由が、すり替わってしまっていたんだろう。
きっと今の僕なら、ミサキに拒絶されたところでそこまで傷つきはしないと思えた。
あの時の僕にとって、それは絶望にも似た恐ろしさを持っていたのに。
ヴィルトがちゃんとミサキを大切にできるなら。
それはそれで認めてやってもいいかと、思えるようにもなってきた。
ただあいつはまだわがままな子供で、ミサキを困らせてばかりだから、今のあいつでは駄目だと思っているけれど。
ベアトリーチェの綺麗な金の髪を撫でる。
この手触りがとても好きで、僕が頭を撫でるたびに気持ちよさそうに目を細めるのを見るのもなんだか嬉しかった。
今は閉じてしまっている空色の瞳に、見つめられるのも好きで。
いつもベネの格好をするために、あの綺麗な色が黒く染められてしまっているのが勿体無いと思う。
――このベアトリーチェを大切だと思う気持ちも『執着』で『依存』なんだろうか。
ミサキの代わりに慕ってくれるから、僕はベアトリーチェを好きになったんだろうか。
そんなことを考える。
でも、ミサキの代わりになんて、一切したつもりもなくて。
それに、その気持ちが例え『依存』だとか『執着』だという言葉で括れるものだとしても。
ミサキの時のように、僕はきっとベアトリーチェを突き放したりはできないと断言できた。
『依存』だとか『執着』だとか。
そんなことをごちゃごちゃ考えたところで。
ベアトリーチェを手放せるのかと自問すれば、それはノーだからだ。
駄目な僕を、しようがないななんて笑って受け入れてくれて。
いつだって手を引いてくれる、小さな女の子。
情けないことは重々承知してるし、格好悪いのもわかってる。
それでも、ベアトリーチェが僕の側にいてくれるなら。
側にいられるなら何だっていいと、思ってしまう。
ベアトリーチェのこのぬくもりを繋ぎ止めるためなら、きっと僕は何でもしてしまうし何でもできる。
そう、嘘偽りなく思える。
自分を守るために精一杯だった弱い僕が、こんな事を思うようになるなんて、まだ自分でも戸惑っているのだけれど。
異世界で出会えた、大切な僕のベアトリーチェ。
例え格好悪くたって、何だって側にいたいと。
僕はそんな事を思った。




