【番外編3】兄妹だから
あんなにも会いたかったミサキがそこにいるのに、僕は中々正体を明かせずにいた。
ここにいるミサキは、僕が幼馴染とキスをして。
それを目撃して失踪してしまったミサキだった。
ミサキがどうやって過ごしているのか知りたくて。
僕はベアトリーチェがヴィルトの屋敷に行くたびに着いて行った。
――顔がばれないように被り物をしたまま。
この世界でミサキは、メイドをしているようだった。
僕と一緒にいたときよりも表情が豊かで。
怒ったり笑ったりしている。
引き取られてきた負い目があるからか、僕の知っているミサキはとても遠慮がちな子で、いつだって控えめにこちらの顔色を窺うような子だったのに。
トキビトは帰ろうと思えばいつだって帰れる。
怪しいお兄さんから渡された時計を飲み込んでしまえばいい。
けど、ミサキはそれをしないで、もう五年近くここで過ごしているみたいだった。
元の世界に帰りたくないと、ミサキは思っているんだろう。
すぐ側にミサキがいて、自分が振ったから彼女はここにいる。
最初に拒絶したのは自分のくせに、そこにいるミサキに拒絶されているような気がした。
――迎えにきたよ。帰ろう。
――あれは誤解なんだ、ごめんね。
そんな言葉を言えたら、どんなにいいだろうと思うのに。
もしも、ミサキが僕の手をとってくれなかったら?
その可能性が見えて、躊躇してしまう。
ミサキが横にいる小さなヴィルトに、大切そうな視線を向けるから、言葉を飲み込んでしまうのだ。
僕の前では見せなかった顔を、ミサキは惜しげもなくヴィルトに見せる。
こいつが大きくなって、僕からミサキを奪うと思うと苛立つのに、いざミサキの前に立つと何も言えなくなる。
自分が意気地なしだから悪い。
そんな事はわかってる。
けど。
真っ直ぐに、ミサキに好意を隠そうともしないヴィルトを見ていたら。
自分にはない純粋さに、黒い衝動が湧き出してくるのを止められなかった。
子供のヴィルトと張り合ってどうするんだと思いながら、ついミサキと引き離すようなマネをして。
屋敷に帰っては自己嫌悪に陥る。
何度もそれを繰り返す。
「はぁ……うまくいかないな」
ミサキに声をかけて、そのままここから連れ去って。
元の世界へ帰りたいと思うのに、それを躊躇う理由はもう一つあった。
ミサキは王の騎士になったヴィルトの前から逃げて、現実の世界へ戻ってきたのだと言っていた。
もし今僕が、王の騎士にもなっていない幼いヴィルトの前から、ミサキを攫って元の世界へ連れ帰ってしまったら。
そこには矛盾が生じてしまうんじゃないだろうか。
そんな想いが僕にはあった。
王の騎士になったあのヴィルトが、僕の前からミサキを攫ったから今の僕がここにいるわけで。
僕がここでミサキを攫って戻ったら、どうなるのかよくわからない。
そもそもヴィルトが僕の目の前からミサキを連れ去った事実が消えて、今の僕がなかったことになって。ミサキが行方不明から帰ってきたところから、時間がスタートしたりするんだろうか。
それともさらに時間が上書きされるんだろうか。
考えると頭がこんがらがる。
どちらにしろ、やってみないとわからない。
――ミサキを傷つけて、一度手放したお前になんか、返してやらねぇ。
俺が責任持って幸せにしてやるから、安心して指をくわえてろ。
アイツの言った言葉の意味は、こういう事だったのかと思えてくる。
何て性格の悪い奴だと思う。
奪えるものなら、奪ってみろと見せつけて試されてる。
危険を冒したって、ミサキを連れ帰る覚悟もないなら、そこで見てろとあざ笑われてる気がして。
ここでヴィルトが王の騎士になるまで、待つなんてごめんだった。
ミサキがこのままヴィルトに惹かれていくのを、黙って見てるなんて嫌だった。
やってやる。目の前から奪い返してやる。
アイツの言葉を思い出しては、今日こそミサキを連れ帰ってやると決めて。
結局僕は、毎日のように被り物をしてミサキの元へ向かうのだった。
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半年が経って。
僕は相変わらずミサキに正体を明かさずに、それでいて連れ帰ることもしてなかった。
「……ねぇ、兄様。ミサキが見つかったのに、連れ帰らなくていいの?」
「それはそうなんだけど、色々事情があるんだ」
痛いところをベアトリーチェに付かれて誤魔化す。
それが言い訳であることに、僕自身気づいていた。
ベアトリーチェは深く追求してこない。
それがとてもありがたかった。
「兄様、ヴィルトのところに行くのはもうやめたほうがいいんじゃないかな?」
苦笑いしながらベアトリーチェはそんな事を言う。
僕はヴィルトの屋敷に行くたび、ヴィルトと喧嘩というわけではないけど、一悶着起こしていた。
ヴィルトがミサキに構おうとするたび、邪魔をするからヴィルトの敵意を買ってしまっている。
それはわかっているのだけれど。
「本当小さい頃から、性格悪いというか。あんなんだから、あぁなったんだなって感じがする。今日なんて水が上から降ってきた」
「あれは兄様もいけないと思うよ。今日ヴィルトがミサキに抱きつこうとしたとき邪魔したでしょ。ああいう事するからヴィルトも兄様に色々しちゃうんだよ」
さすがに水はやりすぎだろと思いながらそういえば、ベアトリーチェがヴィルトを庇う。
それがちょっと面白くなかった。
「あいつが悪い。子供だからって、ミサキの胸に顔をうずめようとしていたんだ」
どうしてか僕は、ベアトリーチェは僕の味方を無条件でしてくれるんじゃないかって、思ってしまっていた。
「兄様考えすぎ。それにヴィルトを悪くいうけど、あれでいいところあるんだよ?」
ヴィルトをフォローしようとするベアトリーチェを不満に思う。
「あいつのいいところって?」
「そうだね例えば……」
尋ねれば、ベアトリーチェは考えこむような顔になる。
「ほらやっぱりないじゃないか」
「兄様……結構心狭いね」
自分でも思いのほか拗ねた口調でそういえば、ベアトリーチェが呆れたようにそう言って。それからくすくすと笑い出した。
「何で笑うのベアトリーチェ」
「いや兄様、もしかして嫉妬してるのかなって」
ベアトリーチェの言葉に、思わず目を丸くする。
確かにこれは嫉妬かもしれなかった。
「……ベアトリーチェがヴィルトばかり庇うからだ。僕の味方をしてくれると思ったのに」
格好悪いと思いながら、拗ねたように呟く。
元の世界でなら絶対にこんな情けないことを、僕は口にしなかったのに。
ベアトリーチェ相手だと許されているような気になって、普段言えないことでも言葉にできた。
駄目駄目で情けない。
そんな僕に、ベアトリーチェは「本当もう兄様はしかたないなぁ」というように微笑んでくれて。
その顔を見ながら、甘やかされているような居心地の良さを、僕は感じ始めていた。
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しばらくして、僕は『クライス・ファン・ルカナン』として、ルカナン本家の人たちと顔合わせすることになった。
本家の人は僕をクライスとして迎え入れる条件として、騎士学校を卒業してしばらく騎士として生活するようにと言ってきた。
僕はそれを受け入れた。
エドワルドさんは、僕がクライスとして生きられるように環境を整えていく。
元の世界に帰りづらくなる。
そう思うのに、僕はどこかでそれを受け入れていた。
帰ったところで、僕に居場所はない。
僕のいた位置には異母兄弟の俊彦がいる。
そんな現実を見たくなかった。
ここにいれば、必要とされていないことを、直視せずにすむ。
この世界の彼らは、僕を必要としてくれてる。
それが「クライス」としてでも、同じことだ。
何よりもベアトリーチェが、こんな僕を兄と慕って懐いてくれている。
僕がいなくなれば、きっと悲しんでくれると思えるくらいには。
――あちらでの時間は止まっているから、まだここにいてもいい。
それに僕はまだミサキを連れ戻していないから。
まるで、ミサキをここに僕がいるための言い訳みたいに使っている。
この世界にいる理由が変わり始めている卑怯な自分に、最近では気づき始めていた。
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ルカナン家は貴族だ。
しかも王家の信頼も厚く、結構大きな家らしい。
身分とかそういうのはニホン人である僕には馴染みがなくて。
堅苦しい人たちがくるのかなと、少し身を固くしていたけれど、意外とそうでもなかった。
初めて出会う伯父さんは、パリッとしたスーツをお洒落に着こなしたダンディな人で、やり手の事業家という雰囲気を漂わせていた。
その息子のコーネルは、明るく社交的で口が上手く。少し緩い雰囲気の……悪く言えばちょっと軽そうに見える感じの二十代の青年だった。
「あんたがクライスか。俺はコーネル。よろしくな!」
コーネルは気さくな感じで喋りやすそうで、少しほっとしたのだけれど。
彼は何故かいきなり僕とベアトリーチェに恋愛相談を始めた。
彼にはヘレンという想い人がいて、二人は惹かれあっていた。
けれど彼女は庶民で、コーネルは次期ルカナン領の領主。
身分が違いすぎるし、苦労をさせたくなくて、コーネルはヘレンの告白を受け入れなかった。
けど僕がこの世界に来たのと同時期に、お洒落に目がない伯父さんが、いい針子を見つけたとヘレンの才能を見出してルカナン家の養子にしてしまったらしい。
好きだった、今でも好きな子と一つ屋根の下で兄妹。
しかも、一度コーネルはヘレンを振っていて。
そのせいかヘレンの態度は冷たくて。
その状況は、僕とミサキに少し似てる気がした。
コーネルは僕の状況を聞いて、きっと同じ事を思ったから相談してきたんだろうと検討がついた。
「お前なら俺の気持ちわかるよな、クライス?」
すぐ側に好きな子がいるのに、兄妹で。
一度振ったから、どんな顔をして接すればいいかがわからない。
相手はもう自分の事を何とも思ってないんじゃないか。
そう思うと怖くて踏み出せない。
その気持ちは手に取るように分かったから、僕は頷いた。
「えぇ、まぁ。好きな人が義妹だと、世間体もありますしね。兄妹じゃなければこんなに苦しまずにすんだのにと思ったことは……何度もあります」
そんな事を考えながらも、あの時の僕は同時にミサキと兄妹であることに安心していた。
兄妹なら、他人じゃないからミサキは僕から離れていかない。
ずるい自分が透けて見える。
目の前のコーネルは軽いけれど、好きな人に対してだけうまくアプローチできないタイプのようだった。
女の人との付き合いは多そうに見えるのに、湿った空気を振りまいて、ヘレンに心を乱されている。
本気だからこそ、どうしていいのかがわからなくて。
格好悪いのを承知で相談をしにきているコーネルの必死さを、うらやましく思う。
「兄妹ならずっと一緒にいられるんだし、それじゃ駄目なの? 一緒にいられることには変わりないと思うけど」
話を聞いていたベアトリーチェが、不思議そうに首を傾げる。
「ベネはまだ子供だな。好きな相手が側にいるのに、想いを告げられないのが辛いってこともあるんだよ」
はぁと大きく溜息をついてコーネルが言えば、ベアトリーチェはむっとしたようだった。
そんな姿が可愛くて、まだまだ子供なベアトリーチェを好ましく思う。
暗くて黒くて、ずるい僕とは違って。
ベアトリーチェは純粋で、綺麗だ。
「恋をすればベアトリーチェにもわかる日がくるかもね」
「馬鹿にしないでよ二人とも! 私だって好きな人くらいいるよ!」
そんな日がまだまだ先であってほしいなと思いながら口にすれば、ベアトリーチェが思いがけないことを口にした。
「へぇ、男装ばっかりしてるベネが? 驚いた。相手は女の子だったりして」
「一体それは誰なの、ベアトリーチェ!?」
コーネルの言葉に思わず焦る。
そんな相手がベアトリーチェにいるなんて、知らなかった。
「女の子じゃないよ! ちゃんと相手は男の子だし」
「それで? どこの誰?」
僕が問いただせば、ベアトリーチェは少し驚いたように視線を逸らす。
ベアトリーチェが、そんな目で誰かを見てるなんて考えただけで、物凄く嫌な気分になって。
干渉なんてするべきじゃないと思うのに、せずにはいられなかった。
「内緒だよ」
「やっぱり見得張っただけか」
秘密にしようとするベアトリーチェを、コーネルが煽る。
本当はいないのかと思えば、ほっとした自分がいた。
「ちゃんといるってば。ヴィルトだよ、ヴィルト!」
けど、ベアトリーチェがその名前を口にして。
「……ヴィルト?」
まるで頭を殴られたようにショックで。
同時に、胸の奥が焼け付くように――苛立った。
「あぁ、ヘレンが勤めてた屋敷の坊ちゃんか。仲いいって言ってたな。でも確かそいつって、将来クライスの恋敵になるかもしれない奴じゃなかったか?」
ちょっと考え込むように、コーネルがそんな事を言う。
「でもそれいいかもな。ベネがヴィルトと結婚しちゃえば、クライスは恋敵がいなくなって楽に義妹のミサキちゃんを奪えるじゃないか」
「それいい! 兄様はミサキと、私はヴィルトと。互いの恋を応援するなんてどうかな!」
まるで素敵な提案を聞いたかのように、ベアトリーチェがコーネルの案に乗っかろうとする。
そんなの許せるわけがなくて、駄目だと即答した。
「どうして?」
「ベアトリーチェをヴィルトなんかに渡せない」
反対する意味がわからないといったようすのベアトリーチェに、きっぱりと告げる。
ベアトリーチェがヴィルトの事を好き。
それを考えることすら嫌だった。
ベアトリーチェのしかたないなぁと許容してくれるようなあの笑みが。
いつだって導いてくれる小さな手が。
僕以外の誰かに向けられると想像しただけで――腹が立って。
渡すものかと思った。
「新しいクライス兄様は、もうすでに妹が可愛くてしかたないみたいだな。恋敵に渡すのが嫌とみえる」
「あんな奴にミサキだけじゃなくて、可愛いベアトリーチェまで渡すのが嫌なだけです」
面白そうに笑うコーネルにむっとする。
こっちは真剣なのに、茶化されたような気がした。
「俺の言ったことと全く同じだろうが。まぁ、ベネが新しい兄様とうまくやっていけてるようでよかった。ベネは今まで辛い目にたくさんあってきたんだ。できればその分甘やかして、この調子で可愛がって欲しい」
コーネルに言われなくたってそうするつもりだった。
口にして力強く頷いて。
頭を撫でれば嬉しそうにベアトリーチェが目を閉じる。
その姿を見ながら、まだこの笑顔は僕に向けられているということに胸を撫で下ろした。




