【31】新しい関係
「それじゃあ、ルークには最初から女だってばれてて、二年生からは普通に秘密も話しちゃってたんだ?」
「はい、そのとおりです……」
家に帰ったチサトの機嫌は、予想通りかなり悪かった。
その無表情が怖い。
きゅっと体を縮めて、チサトに洗いざらい吐くしかなかった。
「しかも留学先でもずっとルークと一緒だったんだね。どうして今まで何も言ってくれなかったの?」
「兄様は騎士学校行く事にも反対してたし、それに第三王子がルークだってばれたら怒られると思いました」
問い詰められて素直にそういえば、チサトはテーブルを挟んで反対側のソファーから私の横に移動してきた。
「そうだね、怒ったと思う。でもね、ベアトリーチェ。どうして僕が怒ってるかちゃんと理解している?」
「……もちろん。僕がうかつに正体あかしたりしたからだよね」
問いに恐縮すながら答えたら、大きな溜息を付かれた。
「違うよ。ベアトリーチェが無防備だから怒ってる。自分に好意がある男と二人で留学なんて、何を考えてるの?」
「兄様ったらルークの冗談を間に受けてるの? ルークはよく口説いてくるけど、猫だろうと花瓶だろうと口説くからそれと一緒だよ!」
眉を寄せるチサトに笑ってそう言えば、まだちょっと不機嫌な様子だった。
チサトが向かいの椅子から立ち上がって、私の横に立つ。
それから少しかがんで、私に目線を合わせた。
「ルークは全く相手にされてないみたいだし、留学のことは許してあげる。でも頬にキスは許せないかな」
そういうとチサトが私の顎を掴んで、ルークがキスした頬にキスをしてくる。
「兄様!」
「……ルークがしたときと違って、真っ赤だねベアトリーチェ」
慌てる私の顔を見て、チサトが満足そうに笑う。
それから私の唇に、チサトの唇が重なる。
「ん、んんっ……!?」
顎をチサトの手で押さえられて、舌が割り入るように口内に入ってくる。
戸惑っていたらぬるぬると口の中を舌で擦られて、翻弄されて。
このまえヴィルトの前でした、軽く唇を合わせるようなキスとは違った大人のキスに、頭の中がくらくらとする。
互いの唇から吐息がもれて、糸を引いて。
それが妙に艶かしくて、恥ずかしくてしかたなかった。
「兄様……」
見つめれば、チサトがはっとした様子になる。
「ご、ごめんねベアトリーチェ! い、嫌だった? 僕としたことが……」
おそらくは私の目が潤んでいたから、泣かせてしまったと思ったんだろう。チサトはかなり動揺していた。
「ごめん、本当にごめん! 僕自分で思ってたより、独占欲が強かったみたいで。例え頬でも、ルークに嫉妬したんだ」
情けない顔でチサトが謝ってくる。
許してほしいというように。
「兄様、嫉妬してたの?」
「……そこは格好悪いから、確認してほしくなかったな」
驚いて口にすれば、弱ったようにチサトが眉をハの字にして、斜め下に視線を逸らしてしまう。
強気だったり、弱気だったり。
チサトには色んな面がある。
その全部が可愛くて、大好きだ。
嫉妬していてくれたことも、嬉しいと思う自分がいた。
「別に……嫌じゃなかったよ?」
「えっ?」
恥ずかしかったけどそういえば、こっちを見てチサトが目を丸くして。
その戸惑った顔が可愛かったから、自分から軽く唇をくっつけてみた。
ドキドキして心臓が壊れそうになるから、それが精一杯だ。
「私は兄様が大好き……だから」
「ベアトリーチェ……」
ほっとしたようにチサトが笑って、幸せそうな空気を振りまく。
その顔を見ているだけで、私も幸せな気持ちになった。
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「ベネ様、お菓子を作ったんです。貰ってください!」
「凛々しくて素敵です!」
帰りにチサトを待っていたら、女の子たちに囲まれてしまった。
何故か女性だとわかっているはずなのに、女の子たちは私に構ってくる。
仕事にも慣れてきた今日この頃。
どうにも私は、女の子にもてていた。
騎士学校を卒業した、初女騎士という事で目だってしまってるんだろう。
「ありがとう、うれしいよ」
まぁ慣れていたので、それを笑顔で受け取る。
昔は面倒の一言だったけれど、最近では恋をしてるような女の子たちが、可愛いなと思う余裕すら出てきた。
きゃぁと女の子たちが顔を赤らめて去っていく。
……何か道を間違っているような気がしないでもない。
「モテモテだね、ベアトリーチェ。少し妬いちゃうかも」
「兄様!」
ふふっと笑って言ったチサトに駆け寄る。
そのまま手を自然に繋いで、帰り道を歩いた。
すぐにヤイチ様の家に着いてしまって、名残惜しい気持ちになる。
離した手のぬくもりが消えていくのが寂しい。
「ねぇ、ちょっと連れて行きたいところがあるんだ。一緒にきてくれる?」
「いいけど……場所大丈夫?」
チサトともう少し一緒にいられるのは嬉しい。
けど、チサトは筋金入りの方向音痴なので、不安だった。
まかせてというチサトに着いていったけど、やっぱり迷っているような気がする。
けれど、そもそもどこへ行こうとしてるのか教えてくれないので、道案内すらできなかった。
でもこれはこれでいいかな、なんて思う。
道に迷っている間、チサトと一緒にいられるから。
なんて、まるで恋する乙女のようなことを考えた自分に、耳まで痒くなる心地がした。
夕暮れだった空には、いつのまにか満月。
白くて綺麗で大きな月。
ふと、チサトが空から降ってきた日のことを思い出した。
「こんな日に、僕はベアトリーチェと出会ったんだよね」
同じ事をチサトも考えていたらしい。
それだけの事が嬉しくて、心の奥が熱を持った。
「臆病者の僕は逃げて逃げて、それでここまで辿りついて。駄目なところも全部小さなベアトリーチェが受け止めてくれたお陰で、僕は変わることができたんだ。嫌な事も辛い事も受け入れて、今ここにいる自分が奇跡みたいに思える」
あの頃の自分が見たら、驚くだろうなと笑いながら言うチサトは、とても晴れやかな顔をしていた。
「はい、目的地に到着したよ」
ふいにチサトが立ち止まり、そんな事を言う。
「ここが目的地……?」
住宅が立ち並ぶエリアには、店もなければ特に目立ったものは何もない。
目の前にあるのは一軒の家だ。
「はい、これベアトリーチェの」
手のひらに乗せられたのは、銀色の鍵だった。
「……これって?」
「僕とベアトリーチェの、二人だけの家の鍵だよ」
チサトの言葉に、視線を鍵からチサトへと移す。
「しばらく離れて暮らしたけど、やっぱり家に帰って君が迎えてくれないと寂しい。ここで二人で暮らそう?」
少し照れたように言うチサトに、全く同じ気持ちでいたんだと思わず嬉しくなった。
「……うん。ありがとう兄様!」
嬉しくて、思わずチサトに抱きつく。
ぎゅっとチサトも抱きしめ返してくれた。
「ベアトリーチェもう兄様じゃなくて、チサトって呼んでってあれほど言ったのに」
くすっとチサトが耳元で笑う。
ちょっと色っぽくてゾクゾクとしてしまった。
「だって兄様は兄様だし」
チサトと呼ぶのが恥ずかしくて、いつものように私は呼び続けていた。
そんな私に、チサトがちゅっと唇に触れるだけのキスを落としてくる。
「っ! 兄様、ここ外だよ!」
「でも誰もいないよ。ベアトリーチェがちゃんと僕のことを名前で呼んでくれるなら、続きは家の中でしてあげる」
慌てる私に、甘く綻ぶような笑みを浮かべながら、チサトがそんな事を言う。
「……兄様、前より意地悪になったよね」
「ごめんね。困ってるベアトリーチェも可愛くてしかたないんだ。こんな僕は嫌い?」
拗ねるような口調で言った私に、チサトが悲しげな顔で視線を送ってくる。
「嫌いなわけない。わかってるでしょ」
「うん、でも確認したくなるんだ」
チサトはずるい。
そうやって心細そうな顔をして、私に好きって言わせようとしてくる。
それを言葉にするために、どれだけの勇気が必要なのか、わかってやってるんだろうか。
「ねぇ、ベアトリーチェ。僕の名前を呼んでくれないかな?」
甘い声でチサトがお願いしてくる。
ドッドッと心臓が飛び跳ねるように音を鳴らすのが自分でもわかった。
キスをするときのような手つきで顎を上げられる。
「ベアトリーチェ、真っ赤。可愛い」
「チ、チサト兄様!」
顔を見られるのが恥ずかしくて、思わずチサトの胸を押し返したけれど、離してはもらえなかった。
「それじゃ駄目。ベアトリーチェが望んでくれていたのは、兄様? それとも僕自身?」
答えてというように、近い距離で見つめられる。
「兄様って呼ぶなら、僕は兄様でいてあげる。兄妹としてずっと側にいて頭を撫でてあげるし、手だって繋ぐけど、もうキスはしない」
「そんなの嫌だよ!」
思わず叫べば、チサトが優しく頭を撫でてくる。
「どうして? 兄妹ならずっと一緒にいられるんだし、それじゃ駄目なの?」
チサトの台詞に思わず息を飲む。
それは以前、従兄弟のコーネルが、想い人と兄妹になってしまったと相談してきたときに、私が言った台詞だった。
「ねぇ、ベアトリーチェ。僕はもうベアトリーチェの兄じゃ嫌なんだ。ベアトリーチェが一人の女性として好きだから。ベアトリーチェは、僕の事をどう思ってくれてる?」
熱を含む潤んだ瞳が、私の答えを求めていた。
「それは……」
「僕の事を大切だと思ってくれてるなら、言葉と行動で示してくれないとわからないよ?」
チサトが、かつて私が口にした言葉をことごとく返してくる。
「私もチサトが、好き……んっ」
名前で呼べばキスは家の中でと言ったくせに、チサトが唇を重ねてくる。
家の中まで待っていられなかったというような、チサトにしては性急なキスに、求められてるってことを強く感じる。
「……やっぱり、チサト少し意地悪になった」
「僕からしてみたら、ベアトリーチェの方が意地悪だよ。僕に行動して伝えなきゃってけしかけたのはベアトリーチェなのに、中々答えてくれないから」
ちょっぴり責めるようにそう言えば、チサトが拗ねたような口ぶりでそんな事を言う。
そう言われてしまうと、確かにそうだった。
散々チサトに、積極的に行けだとか、思いは伝えなきゃ意味がないとか。
私はそんなことばかり言ってきた。
でも、それはチサトの気持ちがミサキに向いてると思っていたからで。
その想いが真っ直ぐ私に向かってくる事に、戸惑ってしまう。
チサトが積極的になったのって……もしかして、私のせいでもあるのか。
自分の蒔いた種が、意外なところで芽を出していることに気づく。
「本当は日が沈む前に着く予定だったんだけど、いいかげん家に入ろうか。鍵を開けてくれる?」
「……うん!」
チサトに返事をして、カチャリとドアを開ける。
そこには私とチサトの新しい住まいがあった。




