【3】私のためのトキビト
「遅い。待ちくたびれたぞベネ!」
私の友達で幼馴染のヴィルトが、石垣からぴょんと飛び降り、私の愛称を呼んでくる。
ヴィルトは私と同じ10歳の男の子で、街の子供たちのボス。
こっちに来た当初、因縁をつけられたことで知り合った。
「お前見ない顔だな。ここは俺たちの遊び場なのに、勝手に入ってくるんじゃねーよ」
そうヴィルトは言ったけれど、そこはルカナン家が所有してる別荘地……私が住んでいる屋敷の庭だった。
ルカナン家の別荘は、時折本家の叔父さんが使うくらいで、今まで人が住んでいなかった。
屋敷の庭は、ずっと街の子供の遊び場として使われていたらしい。
その当時の私は、相当むしゃくしゃしていた。
兄様の身代わりをさせられ、王都近くにあるルカナン領から、田舎ともいえるバティスト領に強制的に連れてこられたのだ。
「ここは僕の家だよ。文句があるの、このチビ」
なので売られた喧嘩を買った。
ちなみに、別にヴィルトは背が特別低いほうじゃなかった。ただ、私がでかかっただけだ。
けどヴィルトはムキになってかかってきて、そこから喧嘩になった。
意外とやるな、お前もなみたいな感じになり、その結果つるむようになった。
今では街で有名な、悪ガキ2人組みだ。
兄様の身代わりなのは嫌だったけれど、男の子のフリはかなり性に合っていた。
自由に動き回れるし、礼儀作法とか面倒なことも考えなくてもいい。
泥だらけになって帰っても男の子だからしかたないわねと、母様は笑って許してくれる。
これをベアトリーチェがした時は、はしたないと叱ったくせにだ。
遊びは毎日変わる。
街にある店を冷やかして周ったり、落とし穴を掘ってみたり。
その日は森で秘密基探しをした。
洞窟を見つけては中に入り、大きな木があればよじ登り、途中ウサギが出たので追い掛け回したりして、気づけば夕方になっていた。
「よし、そろそろ帰るぞ!」
「まだいいじゃん、ヴィルト。日はまだ沈んでないんだし」
「ダメだ。これ以上はミサキが心配するからな」
帰りたくなくてそう言えば、ヴィルトはきっぱりと断ってくる。
「ミサキミサキって。あのおねーさんのどこがそんなにいいの?」
ヴィルトは街の子供とつるんでいるけれど、実はこの領土を納めている貴族の子供だった。
そのことは、1番仲のいい私しか知らない。
家には使用人が何人もいて、ミサキもその1人だった。
ミサキは兄様と同じ黒髪に黒の瞳をした、異世界からきた女の人。
その見た目だけで、私はあまりミサキが好きじゃなかった。
母様だけでなく友達のヴィルトまで、黒を持つ者に奪われたような気持ちになっていたからだ。
「怒った顔が可愛いし、俺に勉強教えようって頑張ってるとこも可愛い。仕事を手伝ってやると喜ぶ顔も好きだな。あと普段髪結んでるんだけど、下ろすと雰囲気が変わってそれも好きっていうか……」
「もういい。僕が悪かったよ」
長くなりそうだったので、途中でストップをかける。
ヴィルトは本当にミサキが大好きで、語ると長い。
「自分も黒髪黒目で先祖もトキビトなのに、ベネはトキビトが嫌いだよな」
まだ言い足りなさそうな顔をして、ヴィルトが呟く。
この国では、異世界からの客人であるトキビトは歓迎されていた。
国の偉い人たちの中にトキビトがいっぱいいて、国の発展に力を貸してきたからだ。
こんなふうに嫌な顔をする私が、ヴィルトには不思議でしかたないようだった。
ヴィルトには、先祖がトキビトということや、死んだ兄がいることは話していた。
けれど、私が母様に兄様の身代わりをさせられていて、本当は女であり、黒髪でも黒目でもないのは内緒にしていた。
そんなことを言えば、友情に厚く血の気の多いヴィルトの事だ。
何をしでかすかわかったもんじゃないし、女だとばれて態度が変わってしまうのも嫌だった。
ちなみに、私がルカナン家の者であることも、ヴィルトは知らない。
ルカナン家の奥方と令嬢が、バティスト領で静養しているのは秘密だったのだ。
奥方が狂い、令嬢に男装して兄のフリを強いているなんて、それこそゴシップのネタになってしまう。
ヴィルトは細かいことを気にする奴じゃないので、私を自分と同じ貴族のボンボンくらいに思ってるふしがある。
気楽なその態度が、私にとってありがたかった。
「ヴィルトこそ、本当トキビトっていうかミサキが大好きだよね」
「まぁな。ミサキは俺だけのために空から降ってきたトキビトだからな」
皮肉を交えたのに、ヴィルトは自慢気に胸を張る。
「ヴィルトのためって、それはさすがにないんじゃないの?」
「俺が望んだから、ミサキは異世界から俺のところに落ちてきたんだ。俺が決めたからそうなんだよ」
呆れれば、まるでそれが不変の事実だというように、ヴィルトは言い切る。
ヴィルトは強気というか、俺様というか。
いつだってこうあってほしいと思うことを、絶対的な事実のように口にする。
その強い言葉には、真実なんじゃないかと相手に思わせる力があった。
たとえ無茶なことでも、ヴィルトができるといえばどうにかなる気がして、つい着いていきたくなってしまう。
そんな魅力を、ヴィルトは持っていた。
「見つけたわよヴィルト! また勝手に抜け出して。勉強まだ残ってたでしょ!」
「ミサキ、迎えにきてくれたのか!」
声がしてそちらをみれば、黒髪の女の人――ミサキが立っていた。
ヴィルトが目を輝かせて、ミサキに抱きつく。
屋敷から結構遠いのに、ミサキはわざわざヴィルトを迎えにきたらしい。
叱られながらも、ヴィルトは嬉しそうで。
あんな風に心配して、迎えに来てくれる人がいるヴィルトを心の底からうらやましく思った。
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「どこへ行っていたのクライス! 心配したのよ」
「すみません、母様」
屋敷に戻りたくなくて、外を歩いていたら、日はもうすでに沈み、空には月が出ていた。
帰ってくるなり門の前に母様が待っていて、叱られてしまう。
兄様が行方不明になってしまってから、母様は私が見えなくなると不安定になった。
正確にいうと私『ベアトリーチェ』ではなくて、兄様の姿をした私がいなくなったらなのだけれど。
母様は心配しているのは、私ではなく兄様。
そう思うと、心の奥が冷えていく。
母様の心を落ち着かせるため与えられた、黒髪黒目の人形は綿がたくさん飛び出していて。
その壊れ具合が、母様の精神状態を表しているように見えた。
後ろに控える使用人の顔が疲れきっていて、また何人やめるかなぁなんて他人事のように思う。
「ほら、早く中に入りなさい。もうお父様も到着していますのよ!」
門の中に入るよう、母様は急かしてくる。
屋敷に戻れば、私はまた兄様にならなきゃいけない。
そう思うと足が重くなって、立ち止まり、空を見上げた。
空には願ったら何でも叶いそうなほど、綺麗な満月があった。
ふいに、ヴィルトの言っていたことが、頭を過ぎる。
ヴィルトが願ったから、世界を越えてミサキは空から落ちてきた。
――なら、私が願ったら、私のために誰かが異世界からやってきてくれるのかな。
私にもあんな風に心配して、想ってくれる誰かがいたらいいのに。
そんなメルヘンチックで、都合のいいことあるわけない。
そう思うのに、ヴィルトの言っていたことが真実だったらなと強く願った。
兄様じゃなくて、私を――ベアトリーチェを見てくれて、愛してくれる人がほしい。
ヒステリックに兄様の名前を呼ぶ母様の声を聞きながら、そんな事を願う。
そんな贅沢な願いじゃないと思うのに、それは自分が兄の身代わりをしてる限り叶わない。
「兄様……帰ってきてよ」
月を見上げたまま目を閉じる。
救いを求めるように呟いたら、ふいに影が顔に落ちた。
その変化に目を開ける。
月を隠していたのは、雲じゃなかった。
「えっ?」
ふわふわとゆっくりと。
優しい風をまとって、私の目の前に男の人が空から落ちてきた。
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空から降ってきたのは、黒髪に黒目の、18歳くらいに見えるお兄さんだった。
少し几帳面そうな印象がある顔立ちで、うなされているのか眉間にシワがよっていた。
思わずしゃがみこんで、顔を覗き込む。
そしたら、お兄さんが目をあけた。
「……君は?」
「ベアトリーチェ」
尋ねられて名前を言えば、そうかと呟いてお兄さんは上半身を起こした。
「クライス! クライス! 帰ってきてくれたのね!」
私を押しのけて、母様がお兄さんに抱きつく。
「よかった、よかったわクライス! あなたにはまだ、王の騎士になるっていう夢があるものね。あんなことくらいで、死んだりなんかしないって、母様信じていたわ!」
「えっ、ちょ、ちょっと何なんですか一体!」
お兄さんは混乱しているようだったけれど、母様はお構いなしだった。
今まで私をクライスと呼んでいたくせに、お兄さんをクライスと呼んで、涙を流し、声をあげて縋りついていた。
――私よりもこのお兄さんの方が、クライス兄様に似ているもんね。
黒髪に黒目、薄めの顔立ちで、顔のパーツの系統も近い。
兄様が生きていたのなら、今頃彼と同じ歳くらいだ。
あまり兄様を知らない人なら、騙せてしまえるはずだ。
本当、母様は――都合がいい。
でも、苛立ちすら起きなかった。
冷めた目で母様を見ていたら、お兄さんが逃げるようにして私の後ろに周りこんだ。
「どうしたのです、クライス。母様を忘れてしまったの?」
幽霊のようにゆらりと立ち上がる母様は、どこか表情が虚ろで鬼気迫るものがあった。
「ごめん、状況がよく飲み込めないんだ。助けてくれないか?」
切羽詰った声でお兄さんが助けを求めてきて、振り向けば心細そうな瞳と目が合う。
「頼むよ。ベアトリーチェ」
頼れるのは君だけなんだというように、呼ばれたのは――私の名前。
それが耳をくすぐって、胸の奥に温かく広がるようだった。
なんだか高揚した気分になって、肩に置かれたお兄さんの手をきゅっとにぎる。
「……わかった。お兄さんは私のためのトキビトだから、私がお兄さんを助けてあげる」
そう宣言すれば、お兄さんは驚いたように瞬きをして、それからホッとしたように微笑んだ。
「ありがとう、ベアトリーチェ。助かる」
その顔を見た瞬間、とくりと心臓が鳴る音がした。
微笑んだ顔が、とても素敵だと思った。
年上の男の人なのに――かわいいと思ってしまった。
「まかせておいて!」
頼られて悪い気がしなくて、気づけば私は笑っていた。
――私のために、お兄さんは落ちてきてくれた。だから、私にできることなら、何でもしてあげよう。
その瞬間にそう決めて、私はお兄さんの手を引いて屋敷の中へと走り出した。
★2016/10/3 読みやすいよう、校正しました。