96 潮風の中の戦い 2
風が黒煙を払い、煙の隙間からカルディリア船が見えた。
「まだですか、中将」
構えている部下が怯えた声を出した。カルディリア海軍は、シャルトレーズ海軍が逃げ出したものと思っているようで、歓声を上げながら追ってくる。
「まだよ」
船がもっと近づく。部下はますます怯えた様子で、半ば青ざめた顔をして彼女を見る。
「まだですか!?」
それには答えず、セシルは風とカルディリア船の速度、それから船首の方向を計算した。じっとりと嫌な汗が流れる。
風が止んだ一瞬、セシルは掲げた右手を振り払った。
「撃てっ!」
砲撃の衝撃で足元が揺れた。
「途切れさせるな!続けて!」
黒煙の更に向こうから黒煙が上がった。
「命中しましたね」
ラシュタットが嬉しそうに言った時、風が黒煙をなぎ払った。
シャルトレーズの船が一隻、カルディリアの船が二隻煙を上げている。カルディリア船のうち一隻はたいした被害ではない。一隻はまともに砲撃を食らったようで、マストが折れている。
残ったカルディリア船二隻は逃げ出した。
「追いますか?」
部下の言葉に、セシルは首を横に振った。
「いいわ。向こうにはカルディリアの要塞があるし、新しく出てこられたらこちらがもたないわ」
「そうですね……。捕虜の回収をしますか」
それにもセシルは首を横に振った。
「では、カルディリア船は沈めておきますね」
まだ船の残骸にしがみついている者達を横目に、ラシュタットが言った。
「だめよ!」
セシルが一変した態度で怒鳴る。
「もう勝敗はついたわ!これ以上殺して何が楽しいの!?あの人達は助かったのよ!もう少し運が尽きていないなら生きて帰れるわ!どうして殺さなくちゃいけないの!?」
あまりの剣幕に、ラシュタットはぽかんとしていた。
それを見て、セシルもはっとする。
「ごめんなさい……そうよね……今は、戦争中……忘れてたわ……」
「い、いえ、中将……。敵といえど人間……そのようなお考えこそもっともたるべき……」
セシルはうつむいて足早にそこを去った。背を向けたまま、彼らに言い残す。
「あとは任せるわ、ラシュタット中尉。沈めるなり生かすなり、好きにして……」
船長室に閉じ籠り、セシルは椅子にぼんやりと腰掛けていた。
敵は全滅させるつもりだった。だが、出来なかった。敵兵の顔を見ると、彼らも自分たちと同じような顔をしていた。顔つきではない。命を懸けて国を守ることに対する誇りと、同時に恐れ。生々しく脳裏に焼き付いた。だから、殺せなかった。
こんな時、シェールならどうするだろう。まだ戦いは始まったばかりだというのに、なんと弱気なことか。しかし、自分が分からなくなった。何を考えている?何を貫く?
「シェール……シェール、助けて……」
祈るような言葉は宙に消え、思わず泣きそうになった。堪えると、鼻の奥がツンと痛む。じわじわと痛みが緩んだ時、そのせいで涙が出そうになった。
鍵のかかった扉を、心配したラシュタットがドンドンと叩いている。中将、と繰り返し呼ばれ、返事をすると声が震えるに違いないと確信したセシルは立ち上がり、扉を開けた。
この世界から逃げる道など、ない。




