92 国王の思い 3
スキロスがゆっくりと口を開いた。ありがとう、という呟きが空気に甘く溶けていく。
アンドレイが進み出た。
「父上。ですから、どうか今日おっしゃったことを取り消してはいただけませんか。私はまだ王の力量にはありません。父上のお覚悟がこうして伝わった今、もはやあの王令は不要かと思います」
それに対してスキロスはすぐに首を横に振った。
「それは出来ない。いいかアンドレイ、よく聞きなさい。父は死ぬ覚悟でこれから戦場に立つ。本当に死ぬかもしれないし、生きて帰ってくるかもしれない。もし戦場で死んだ場合、幸いにもお前は一人息子だから兄弟間での王位継承戦争は起こらないし、まあこれもないと信じたいが……お前の継承を不可として戦争を仕掛けてくる者もいるかもしれない。今のうちに足元を固めておくのがいい」
アンドレイは少し寂しそうな顔をした。すると、議員が口を挟んだ。
「しかし陛下……アンドレイ様にはご兄弟といえばフィーネ王女しかいらっしゃらないので安心でしょうが、あなた様にはご兄弟がいらっしゃるではありませんか」
彼はどうやら王兄と王子の継承戦争を心配しているようだ。
まさか。あの義兄上に限ってそんなこと。スキロスが反論しようとした時、よく響く声がした。
「俺が何だって?」
全員が振り返った。廊下の奥からアルダンが進み出た。議員達は声が出ない。
「安心しろよ。俺は王位になんか興味はねえよ。……俺は海賊だ」
その言葉をどこまで信じても良いのか、議員達には分からなかった。
アルダンがちらりとアンドレイを見る。スキロスはそれを優しげな片目で見た。
「ほら、皆。こんなことをしている場合ではないよ。すぐにまた会議を開かねば。今度は軍幹部と同盟国代表を集めてくれ」
一瞬その場の空気が緩み、また張り詰めた。宰相のクレールがまた慌ただしく駆けていく。その緊急は先程とは違い、どこか誇らしげだった。
スキロスは息子を見て、なんの感情も込めずに喋った。
「アンドレイ、お前も出席しなさい」
王太子も無言で頷き返すだけだった。
夜、セシル達四人はパーゼル大将のもとへ集められた。彼女達だけでなく、少将達もそこにいる。
「全く……やっと講和出来たというのに、もう出動命令が下ったよ」
ため息混じりにパーゼルが話す。対して四人は堅い表情だった。
「今度は前と違う。全員別行動だ。いいか、よく聞いておけ。まずテオドリック、再びカオラック諸島へ向かえ。それからシェール。ベイルート島へ行くように。セシルはアストレーズとの大陸付近の国境を守れ。マリアはここに残って王都を警備するように。いずれも警備は厳重に頼む」
パーゼルが淡々と指示を出す。一通り終わると、彼は一息ついた。
「よいか、このまま再び戦争になるだろう。気を抜くな」
手元の書類に目を通し、パーゼルは改めて部下を見た。
「これから陸軍部へ行く。そこで各自、自分の最寄りの要塞を守る将校とよく話をつけておけ」
パーゼルは順に陸軍将校の名を挙げていった。
セシルは驚いた。アストレーズとの国境、そして海岸に一番近いファリシア要塞を守備しているのはヴィッツェンだったのだ。けれど、あまり喋ったことのない人や知らない人よりはありがたい。ほっとしたのが表情に出る。
反対にパーゼルの口からその名前が出た時、シェールは思わず口を歪めた。横目でちらりとセシルを見ると、少し嬉しそうな顔をしている。鉄の棒で心をかき混ぜられているように不快だった。一気に脈拍も上がる。
ぼうっとしていると危うく自分の最寄りの将校の名前を聞き逃すところだった。しかしその名前が読まれると、シェールの頭はすぐにファリシア要塞を思い浮かべた。同時にヴィッツェンのあの余裕の笑みが焼けつくように思い出され、なんだか頭痛もする。
この感情は何だ?もうセシルは俺に関係ないだろう?今更ヴィッツェンといようが構わないし、だいたいこれは仕事だ。誰と組むことになろうが反対は出来ない。
必死で気持ちを圧し殺すも、ますます心は波立った。今度はひどく悲しくなる。子どものように自分の心を制御出来ず、シェールは眉を寄せた。だが、それに気づく者はいなかった。




