09 鷹
薄暗く汚い部屋に、黒い縮れた髪の男がいた。ラクス=ユゴーだ。彼の前には一人の男が背を向けて立っている。たっぷりと布を使った薄汚れた白い着物には、桜の模様がある。腰には剣が差してある。漆黒の髪は腰まで届く長さだ。傷のある少し日焼けした手には、畳まれたままの渋い赤の質素な扇子があった。
「へえ……それで、その女がどうかしたか」
声は凛としたテノールだ。
「なかなかに曲者でしたぜ。階級は中将……何者かは知らねえが、わけありの男が一人いた。奴も中将だったな。その女、結構な上玉で。銀の髪のいい体でさあ。売れば高値が付くだろう」
ラクスは「銀の」という言葉を強調して言った。
「そうか……あんまり興味ないな」
抑揚のない声で答えが返ってきた。その反応に、ラクスがきょとんとする。そしてすぐ、にやにやと嫌な笑い方をした。
「遂にあっちの世界へ自ら足を踏み入れたってことですかい?そりゃあ目出てえ」
「アホ。んなわけあるか。俺は生憎そういう女は好かねえだけだ。……ただ、シャルトレーズ王国の者なら覚えておこう。どうせこれから、嫌でも顔を合わせるだろうからな」
男は冷たい微笑みを口元に湛え、振り向いた。
整った顔に優しそうな黒い瞳。だが内面は獰猛な獅子を思わせる光が宿っている。
男は扇を勢いよく広げ、軽く扇ぐ素振りをみせた。
「ところで、カルディリア王国の交渉人はまだ着かねえのか」
「はあ、それがまだ……。恐らくカルディリアで先日起こった大嵐のせいかと」
カルディリア王国は、ワディファルハー海という海を挟んでシャルトレーズ王国の北にある国だ。もとよりシャルトレーズ王国とは仲が悪い。
男は鳥籠の方へ歩み寄った。大きな鉄の鳥籠の中には、一羽の鷹がいた。主人の顔を見ると、嬉しそうに羽をばたつかせる。
彼の左腕には何かの茶色い皮が巻かれている。鍵を開けてやると、鷹はそこへ乗り移った。
「まあ、悪い話じゃねえだろうよ。王直々に拿捕許可状も寄越そうとしてるんだからな」
「海賊が出世したもんだ。王国海軍の仲間入り……海賊のプライドはいずこへって感じかな」
哀愁漂う声で歌うようにラクスが言った。その声にはどこか皮肉った感じがある。
そして、むしろ金に釣られたか、と付け加えた。
「金ね……そいつぁ女より興味ねえや。いろいろ噂を立てる輩もいるだろうけどな。だが、俺には野望があるだけだ」
「綺麗事ってやつか、それは」
ラクスの問いに、想像に任せる、と短く答えた。男は鷹の頭を撫でた。鷹が目を細める。
「さて……最初の獲物はどれだろうか」
鷹が羽を広げ、また閉じた。
一部始終を眺めたラクスは男に向かって言った。
「まるで血に飢えた鷹だな、アルダン=カルヴォ」
男はにこっと笑った。そして、ラクスの目を見て言った。
「アルダン=カルヴォじゃない。もうそんな偽名は必要ない。俺は十二分に待ったし、強くもなった。泉雲花だ」
鷹がキッと鋭く鳴いた。男はなだめるように頭を撫でてやった。
「ユンホワ……久しぶりに聞く名だ。災いの子が、よくもここまで大きくなったもんだ」
「これからはそう呼べ。ま、無理強いはしねえけど。もう災いは消えたんだ。……そもそも、俺が元凶でも望んでこうなったわけでもないんだし」
雲花はちらりとラクスを見た。ラクスはへへっ、と笑い返す。
「未来が楽しみかい?」
ラクスの問いに、雲花は笑って頷いた。
「楽しみすぎて、ぞくぞくする」
「ふ……世界ってのは不思議だなあ、お頭」