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84 傾いた 2

 それからというもの、セシルとシェール、そしてマリアの三人の仲はぎこちなかった。傍目にも特にセシルとシェールがかなり無理をしていることが分かる。


「おい……やりにくくてたまんねえぞ」


 帰途のある夜、アルダンがセシルに不平を言った。


「ごめん……」


 セシルは俯くばかりだ。


「あのなあ、お前は司令官だ。何人もの人間の命を握ってんだぜ?いざって時、そんなんで部下を守れるのか?部下を守るのは上官の義務だろうが」


 うん、と曖昧な返事をして、セシルは再び海図に目を落とす。アルダンはつまらなそうに部屋を見渡した。しかしそこは自分の船長室である。特に目新しいものもなく、彼はまたセシルを見た。


「ねえ、アルダン」


「なんだ」


「あなたは……その、メイリンて人が好きなの?」


 アルダンは暫し返答に詰まった。


「ああ。もう二十年ほど前の話だがな」


 そう、と呟くとセシルは何かを考えていた。が、突然ばっと顔を上げると、アルダンをまっすぐ見た。


「人を好きになるって、どんな感じなの?」


 少々悩んだ末、アルダンはいい答えを導き出せなかった。


「どんな感じって……口で簡単には言えねえよ。どんな……うーん、そうだな。まあ、命懸けていいとは思ったな」


 結局叶わなかったのだが。そう、思いだけは誰にも負けなかった。思いだけなら。


「人を愛すのって、疲れない?」


 アルダンは彼女を訝しむような眼差しで見た。


「さあな……俺は知ってのとおり海賊だし、物心ついた頃には欲しいものはぶんどるしかなかった。女だって一緒さ。欲しけりゃ力ずくで奪う」


「相手がどう思うかなんて……」


「関係ないね。俺達は貴族が読んで満足するようなラブストーリーの世界に生きちゃいねえ。自分の欲望がこの腐りきった世界でどれだけ満たせるか―――力ずくで奪うしか、方法を知らねえ。こんなふうにな……」


 突然アルダンはセシルを引き寄せると、無理矢理唇を重ねた。


「んっ……やめっ……」


 抵抗しようとするセシルの手首を掴むと、彼は更に激しくキスをした。

 その時、バン、と扉を蹴る音がした。


「ふざけてんのか?」


 戸口には冷たい眼差しのシェールがいた。

 セシルはそれを涙で滲む目で見た。

 見られた―――シェールに見られてしまった。なんで、こんな―――。


「人のこと言えねえだろ、セシル。お前も浮気しやがって」


「ああ、待て。そりゃ俺が悪かった」


 割って入ったアルダンの言葉を無視して、シェールは立ち尽くすセシルに近づいた。

 修羅場になる、と直感的に思ったのか、アルダンはするりと部屋を抜け出した。


「なんだ、今のはよ」


 彼はセシルの襟を掴んだ。一瞬固まったセシルは、何かに気付いたような顔でシェールを見た。


「『お前も』って、何?」


「え?」


「さっき、シェール言ったよね。『お前も浮気しやがって』って。私、しようと思ったわけじゃない。私はアルダンをそんな対象に見たこともない。シェールは……浮気したのね……?」


 襟を掴んだ手から、力が抜けた。それを見て、セシルは涙を流した。


「マリアと……?」


 シェールは答えない。セシルは確信した。そして、一歩踏み出してシェールに背を向けた。


「ねえ、やめようか。許嫁」


「な……何言って……」


 彼女よりも焦っていたのはシェールだった。自分が『お前も』と言ったことすら無意識だったのだ。無意識にマリアと―――事故とはいえ―――キスをしてしまったことや、答えを導き出せないまま彼女を抱きしめてしまったこと。それを心の奥底でセシルに申し訳ないとは思っていたが、まさか浮気だと思っていたなんて。


「もともと親同士が決めたことだし……やっぱ、私とシェールじゃ無理なんだよ。ね、もう終わりにしよう?」


 頭が真っ白になった。


「……させるかよ」


 次の瞬間、シェールはセシルの手首を掴み、床に押し倒した。


「やめて、シェール!やだ!」


 乱暴に服を取り払うと、彼女はますます激しく抵抗した。シェールはそれでも構うことなく、思うようにやった。

 分かっている。きっとこれでまた嫌われるネタが増える。けれど、我慢出来ない。アルダンがあんなことをしてしまった以上、シェールはセシルを自分のものにするしかないと思った。いつもあと一歩のところで取り逃がして、後悔ばかりだ。もうそんなことはしない。例え嫌われたとしても、もう我慢するのは嫌だった。




「心外だな。ここまで嫌われてたなんてな」


 服を直す手を止めセシルの髪を優しくなでると、彼女は過剰ともいえるほどにビクッと体を震わせた。彼女は横になったまま、泣きながら顔を覆っている。


「……もういいでしょ?ここまでして……気が済んだ?早く出てって」


 涙声でセシルが呟く。


「お前の船には帰らないのか。ここはアルダンの船だろうが」


「マリアが待ってるわ。早く戻りなさい」


 突き放すかのように冷たい言い方に、シェールは驚いた。


「嫌だ。お前が戻らないんなら、俺もここにいる」


 自分でも駄々っ子のようだと、シェールは内心己を嘲った。


「早く行って。お願い」


 頑なな態度に思わず閉口しそうになる。その時、扉の向こうからシェールを呼ぶ部下の声がした。心の中で舌打ちをして、シェールは立ち上がった。


「誤解をするな。俺が本当好きなのは……お前だけなんだ……」


 ぱたんと音がして扉が閉まる。


「人間なんて……大嫌い……」


 セシルは小さな声で呟いた。

 シェールが部屋を出ると、そこには彼の部下とアルダンがいた。アルダンはじっとりとした目でシェールを見た。


「お前人の部屋で何やってくださりやがったんだ、このボケナス」


「……悪い」


 アルダンはそのまま船長室に入っていった。そこには床に横に寝ているセシルがいた。


「おい、生きてるか」


 唸るような返事とともに、セシルがむくりと体を起こす。シャツに袖を通しながら、急にむかつきを覚えた。


「気持ち悪い……」


 吐くんなら海へやれよ、とアルダンが忠告する。大人しくセシルはテラスへ出た。

 再び部屋に戻ると、アルダンが透明なものの入ったグラスを寄越した。水かと思って彼女はそれを一気に飲み干した。とたんに焼け付くような喉越しに咳き込んだ。


「何これ!きつっ!お酒!?」


「ああ。玉蘭ユイラン国の澄陽酒チョンヤンチューってやつだ。お前酒は強いって聞いてたからいけるかと思ったが……さすがに無理だったか」


 改めて水を用意しながらアルダンが言った。


「なんで……シェール、あんなこと……」


 少し落ち着いたのか、セシルが涙ぐんで呟いた。


「そりゃあお前のことが……」


 続きを飲み込んで、アルダンは彼女にグラスを渡した。水を飲む様子を眺めて、続きは完全に仕舞いこんだ。

 馬鹿馬鹿しい。なんで俺がここまでしてやらなくちゃいけないんだ。

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