82 天秤 4
シェールがカルディリアに捕らえられてから暫く経った日だ。海に出ていたアルダンが、リープ島に慌てて戻ってきた。
「やべえぞ!お前らの同僚二人が、カルディリアの捕虜になったって!スキロスから、早々に救出せよとの勅令だ!」
「シェールとマリアが!?」
セシルが素っ頓狂な声をあげた。
知らせを聞いた二人は少将達とアルダンを交え、即刻話し合った。
「ここは俺が管理する。だから、セシルが行け。君の軍の方が今は装備が整っている」
最小限の人員で行くこととなった。しかしあの辺りは海賊も多い。果たして大丈夫なのか―――。
そんなテオドリックの不安を打ち消すように、アルダンが手を挙げた。
「俺が一緒に行く」
狙いは別にあるんじゃないか、と言いたいのをぐっとこらえ、テオドリックは許可を出した。
「期限がある。すぐに出るわ」
セシルは命令を出した。その顔は蒼白で、今にも倒れてしまいそうだ。冷や汗をかいている。
アルダンはその様子を眺め、セシルの肩に優しく手を置いた。
「深く考えるな。目の前が見えなくなるぞ。……大丈夫だ、この季節なら風を捕らえて海流に乗れば速度を出せる」
力なく頷いたセシルは、それでも青い顔をしていた。
「いってえ……!お前らなあ、捕虜はもっと丁寧に扱え!」
文句を言っているのはシェールだ。牢の関係で彼はマリアの牢に移された。
「ふん、やかましい!今は貴様らの戯言に付き合う暇はない!」
ステビアはピリピリした様子で去っていった。
「なんだ、あいつ……?」
ぽかんとしていると、マリアが後ろからがばっと抱きついた。
「おい、マリア!ちょっ、やめっ……」
「シェール、良かったです!怪我してないですね!」
涙声に、シェールは暴れるのをやめた。ますます細くなったマリアの手首を握る。
その時、砲撃音が響いた。
「なんだ……!?」
石で出来た牢の隙間からなんとか覗いてみたものの、海しか見えない。しかし砲撃音は続く。心の中で舌打ちした時、マリアがシェールを押し倒した。
「え、な、何を……?」
疑問よりもむしろ恐怖心に支配され、シェールは体が硬直しそうになった。マリアはにこりと笑う。
「既成事実さえあればこっちのものです。ね、シェール?」
「……はい?」
寒気がする。一瞬の隙を逃さず、シェールはマリアの下から抜け出た。
「あっ、シェール!」
「何考えてんだよ、マリア!しっかりしろ!」
相変わらず可愛らしい笑顔でマリアは立ち上がった。
「しっかりしてますよ!それよりシェール、この狭い空間で私から逃げ切れると思ってるんですか?大人しく捕まってください!」
「お前自分の状況分かってんのか!?」
不毛な追いかけっこをしていると、牢の外が騒がしくなった。
「シェール、捕まえました!」
嬉しそうにマリアがシェールの体にぎゅっと抱きつく。バランスを崩してシェールはマリアの上に倒れこんだ。
その時、何人もの足音が聞こえた。
「シェール!」
シェールが顔を上げると、そこにはじっとりと二人を見下ろすセシルがいた。いつも結っている彼女の髪はほどけ、癖のついた銀の背中の真ん中まである髪が波打っている。
「え……」
セシルの頬がひくついている。彼女の部下がおそるおそる鍵を開け、シェールとマリアは牢を出た。その間もセシルはシェールを睨みつけていた。
「おい、セシル……」
もごもごとシェールが名を呼んだ。するとセシルは振り向きざまに彼に平手打ちをくらわせた。爽快な音がして、シェールの頬が赤くなる。彼女の部下達は思わず自分の頬を触った。
「何すんだ、バカ!」
セシルはキッとシェールを睨みつけた。涙がその目からこぼれる。
「心配してたのに―――なんであんたっていっつもこうなの!?」
「はあ!?」
焦りと恥ずかしさと罪悪感の板挟みとなりながら、シェールは頬を擦った。
「でもシェール、私にキスしてくれましたよね?」
マリアがぽつりと呟いた瞬間、空気が凍った。セシルについて牢まで来た部下達は皆、やはり別の方へついて行けば良かったと後悔した。
その時、アルダンがやって来た。
「おいセシル。制圧完了だとよ」
そしてその場を見て暫し考えると、豊かな黒髪を掻き上げた。
「なんだ、修羅場か?セシル」
するとシェールはアルダンに向き直った。
「おいてめえ……さっきから気安くセシルを名前で呼んでんじゃねえ」
だいたいの状況を飲み込んだアルダンは、それを笑った。
「悪かったな、でも俺はこいつに惚れたんだ」
「何!?」
アルダンがセシルの肩をぐっと引き寄せた。セシルは目が点のまま硬直している。
「てめえ……惚れただのなんだの好きに言いやがって、勝手に肩まで抱くな!」
「うるせえ!惚れた女に惚れたっつって何が悪いんだよ、この浮気男が!」
シェールは反論する言葉が見つからず、セシルを見た。相変わらず硬直したままだが、頬が僅かに染まっている気がする。
まさか、愛想を尽かしてアルダンに乗り替える気なんじゃ……。
「お、おい、セシル……あの、マリアが言ったことは……」
セシルはアルダンの手をそっと退けると、二、三歩歩いて振り返った。冷ややかな目でシェールを見据える。
「邪魔して悪かったわね……本国に戻るから、早くしてくれない?」
そのままスタスタと出ていった。彼女の部下達が慌てて後を追う。アルダンに急き立てられ、二人も外へ出た。




