76 揺らいだ土地へ 5
リープ島を出て五日が経った。国境付近にはリープ島から二日で着いた。もう三日もひたすら警備をして、敵船に目を光らせていることになる。
「中将、少しお休みになったらいかがですか。まだこの間のお怪我も完治してはいないのでしょう」
ラシュタット中尉がセシルに声をかけた。
「大丈夫よ。夜もちゃんと寝ているもの」
海図に線を書き込みながら、セシルは笑って答えた。
その時、見張りが声をあげた。
「アストレーズから船が来たぞー!」
糸がはりつめたような緊張が走る。
「閣下、ジル=エグモントです!」
望遠鏡を片手に水平線の影を見ていた兵が叫んだ。
「こっちへまっすぐ来ている……!」
セシルは戦闘準備をさせた。そして信号旗も掲げた。それには、『今すぐシャルトレーズから出ていけ』という意味がある。
「あいつ……無視する気でしょうか」
船はお互いにもうはっきりと見える。それなのにエグモントの船は停まる気配もなかった。領海は既に侵犯されている。
セシルは船を寄せた。
「おーい、シャルトレーズの船乗りよお!なんだ、てめえら海軍か?」
向こうから声が聞こえる。
「今すぐ出て行け!見逃してやる!」
ラシュタットが大声を張り上げる。
「ははは、出て行けだってよ!」
「冗談だな。おーい、あんまし面白くねえぞ!もっと気の利いたこと言ってみろ!」
賑やかに甲板で船員が笑いこけている。
「あいつら……」
ラシュタットは既に怒っていた。セシルは彼を諌めた。
「ラシュタット中尉、怒りを鎮めなさい。こちらから手出しをしてはならない」
すると、いきなり海賊船から砲撃があった。戦闘をする気はないらしい。弾は大きく逸れ、海へ落ちた。
「閣下!」
「駄目だ、あれを見なさい」
顔を赤くしながらラシュタットは敵の甲板を見た。相変わらず船員は戦闘配置にはついているが、緊張はしていない。
「おーい、撃てよ!楽しくねえだろ!」
「シャルトレーズ海軍は腰抜けかあ?」
甲板ではエグモントがこちらをじっと見ていた。どうやらセシルが女だと気付いたらしい。部下に笑いながら耳打ちしている。
「見ろよ、可哀想にシャルトレーズの仔猫ちゃんはビビって動けないってさ!」
「ははは、そりゃ傑作だ!おい、誰かお姫さまを助けてやれよ!」
海賊達はばか騒ぎをしていた。セシルは頬の筋肉がひくつくのを抑えながら、防衛に徹するよう命じた。
すると、エグモントもこちらの気配を感じ取ったのだろうか。部下に無駄な砲撃を止めさせ、船をもっと寄せた。
「よう、シャルトレーズ海軍司令官殿。ご機嫌いかがかな?」
いつものように赤い服を着たエグモントはセシルの乗った船の甲板に降り立つと、片手を挙げて挨拶した。
「ご機嫌?最悪かもね。ジル=エグモント……領海侵犯の罪で逮捕する」
なるべく感情を露にしないよう努めつつ、セシルが言い放った。
「ああ、待った待った」
エグモントはセシルを制した。
「領海侵犯は悪かった。けど、こうでもしねえと話は出来ないだろ。それに、俺は海賊だぜ?もう戦争は済んだし、俺達には国境なんて関係ねえよ。それより……お前ら、ハーシの実について知りたいんだろうが」
セシルは動かなかった。エグモントは気にする様子もなく、話を続けた。
「お前ら、あれを俺の仕業だと思ってるんだろ?結構なことだし、日頃の行いから言っても妥当だと思うが……そりゃ間違いだ」
「間違い!?あれはあんたの仕業じゃないの?」
にやりとエグモントは笑った。そして、大袈裟に頷いてみせた。
「ああ。俺達はまだハーシに手は出していない。これから取引するつもりだったんだが、どっかの誰かに先を越された。ま、いずれ俺のルートを作ってやるけどな」
「じゃあ、それは誰?」
するとエグモントは背を見せ、海の方へ歩いて行った。
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!誰なの!?」
しかしエグモントはひらひらと手を振っただけだった。
「安心しな、これ以上『領海侵犯』しないようにさっさと出てってやるよ」
捕まえろ!という命令と共に、兵達が飛びかかる。それを簡単にかわしながら、エグモントは手摺に寄りかかった。
「誤解すんなよな。俺は潔白を伝えに来ただけだ。まだ知られちゃ困るんだよ」
その時エグモントはふとセシルの後ろの方を見て、顔色を変えた。
「げっ、あれは……」
振り向けば、一隻の船がこちらに近づいている。
「じゃあな。ああ、一つだけ教えておいてやる。その誰かさんはお前もよく知ってる」
それだけ言い残すと、エグモントは自分の船に戻り、さっさと出て行った。
背後の船は、ますます近づいてくる。




