75 揺らいだ土地へ 4
「これで怒るなっていう方が無理なんじゃないのかな?セシル?」
作り笑顔をするテオドリックは、怒った時よりも怖かった。
「ごっ、ごめんなさい!」
「まったく……君は少々警戒心がなさすぎる。今回はたまたま間に合ったから良かったようなものの……遅れてたら確実に死んでたぞ」
「はい……」
セシルは俯いた。己の軽率さが体中から染みてくる。
「でも、どうして分かったの?私があそこにいるって」
「ん?ああ、レブラン号だよ。レブラン号が俺を探して、あの路地まで連れてきてくれたんだ」
感心したようにテオドリックが答えた。
「ところで、体は動く?」
「ええ、おかげさまで」
そうか、それなら、とテオドリックは椅子に座り直した。
「さっそく明日から港のハーシ取り締まりを行おうと思う」
「またえらく早めたのね……予定では、暫くは対アストレーズで海を固める筈だったのに」
その時、ラシュタット中尉がノックをして入室した。持っている盆の上には、湯気の出ているスープが二つあった。
「ご苦労様。……セシルは食べられそう?これなら大丈夫かと思って頼んでおいたんだけど」
「ありがとう、テオ。食べるわ」
セシルが元気そうなのを見て、ラシュタット中尉はほっと安堵の表情を浮かべた。テオドリックはそれを見て、一人で微笑んだ。
ラシュタット中尉はヴィッツェンと同い年で、彼ら四人が海軍に入隊した時からセシルの部下として働いている。彼はとても忠実だ。テオドリックの見る限り、どうやらセシルに気があるようなのだが、セシルの相手が相手なのと、彼女との上司と部下という関係上、決して態度に出さない。
そして何より、セシルはそのことに全く気付いていないのだ。セシルはもともとそういう方面に聡い方ではないが、見ていると少々ラシュタット中尉が気の毒になる。
「中将、もう起き上がられてもよろしいのですか」
ラシュタット中尉は優しい声で訊ねた。
「ええ、ありがとう。大丈夫よ」
ラシュタット中尉は丁寧にお辞儀をすると、退出した。
それで、とセシルは話を戻した。
「明日、どうするの」
「ああ。アストレーズとの国境警備もないがしろには出来ないから、セシルはそっちに行く方がいいと俺は思う。俺が港のハーシ取り締まりをするよ。ある程度目処がついたら合流するから」
セシルは少し考えた。というよりは、時間をとって今のテオドリックの言葉を整理していた。
「それって、命令かしら?」
「じゃあ、そういうことにしようか。ここでは俺が総司令官で、君が副官だから」
「アイ、サー」
二人は顔を見合わせてくすっと笑った。それからセシルは申し訳なさそうにテオドリックの額に触れた。
「それにしてもごめんなさい。私の不注意で……」
「大丈夫だよ。それに君を傷つけたら、それこそシェールに殺されるよ」
冗談めかしてテオドリックが言った。
「でも、私、ハーシの常用者があんなになるなんて初めて見たわ」
「ああ、俺もだ。話には聞いていたけど……。あんなのがエートスに入ったら大変なことになる。なんとしてでもここで食い止めなければ」
ハーシの中毒を治療する薬はないのだ。これが広まればシャルトレーズは国としての機能を失うも同然だ。もちろん、それは他国にとって美味しい状態であることは言うまでもない。
そう、敵はもしかしたら売人など個人ではなく、国かもしれないのだ。




