61 胸元の月桂樹 2
スキロスは左手で顔の左半分を覆っている。指の間から徐々に紅く染まっていく。
「来てはならん」
それだけ言うと、またラシュトンに向き直る。
スキロスの額から左目を通り、左頬にかけて傷が出来ていた。顔と手を紅く染める。普段は優しい微笑みを湛えていたがこの時ばかりは、スキロスも苦痛に顔を歪めていた。
一方、ラシュトンも震えていた。
初めてあんな風に人を憎み、憎しみに任せて斬った。確かな手応え。剣を通してすら十分すぎる。
恐ろしい。私は―――、私は一体何になってしまったんだ……。
「ラシュトンよ。早くあの王の首を獲るがいい」
後ろから非情な、しかしどこか恍惚とした父の声が聞こえた。その丘に響き渡り、シャルトレーズ軍は身構えた。次いでカルディリア軍も身構える。
「父上、しかし……」
急にもとの自分に戻った気がした。
これ以上あの傷ついた国王に何を求める?左目に傷を負わせた。恐らく父、カヴールと同じように、あの目はもう見えまい。これ以上何を……?
「戦を早よう終わらせい。あの首を獲れば、何百何千の民の命が救われる……」
その手の言葉に、ラシュトンは昔から弱かった。力の抜けていた手で、再びギュッと柄を握る。そして、真っ赤に染まったスキロスに狙いを定め、大地を蹴った。
お許しください!
心の中で、そう願いながら。
透明な音が風の低音に小さく重なる。
ラシュトンの剣は宙を舞っていた。そして、さも当たり前のごとくスキロスの血染めの左手に収まった。次の瞬間、きらりとスキロスの目が光る。
しまった―――そう思う間もなく、得物を持たないラシュトンに、スキロスは容赦なく突っ込んできた。
「ひっ……」
息子が目の前で仇に殺されると思い、カヴールは思わず目を背けた。
剣を地面に突き立てた音がして、カルディリア軍はどよめいた。ざわざわとした後、怖いもの見たさに薄目を開ける。
一人が立っていて、もう一人が地面に寝転んでいる。地面には、突き刺さった二つの剣が見えた。
「ラシュトン!」
狂ったように息子の名を叫びながら、カヴールが走り寄った。そして、胸を撫で下ろした。
剣は確かに地面に刺さっていた。しかし、ラシュトンの首すれすれの所に一本、もう一本は脇腹の真横に刺さっていたのだ。
ふらふらと二、三歩下がると、スキロスはがっくりと膝をついた。シャルトレーズから兵が駆け寄る。それを見てカルディリアからも兵が駆け寄ってきた。
「なぜ、殺さなかった」
カヴールがスキロスを見た。
「なんだ、殺してほしかったのか?」
荒い呼吸を整えながら、スキロスが聞いた。
いや、そういうわけでは、とカヴールがしどろもどろに喋る。
「この一騎討ちはもともとラシュトン殿が無駄な争いをせぬよう、善意で行ったもの。ここでどちらかが倒れれば、『無駄な争い』は避けられぬでしょう」
シャルトレーズ兵に支えられながら、スキロスが立ち上がった。
「これから、いかがいたしますかな?カヴール殿」
カヴールはスキロスを見た。しかし、もう脅えの色はない。
「この場は丸く収めよう。『この場』はな」
スキロスの去っていく方から、犬の鳴き声がした。呼応するように、カルディリアの方からも聞こえる。
両軍の間に、冷たい風が吹き抜けた。




