45 シェールと少年
翌朝、セシルはシェールと同じ馬車に乗って、キール元帥の邸宅へ向かっていた。マリアとテオドリックは先に出てしまった。
人通りの多い石畳の通りを、ガタガタと揺れながら通っていく。
「なあセシル」
不意にシェールが口を開いた。何、と明るく訊ねた。
「結局、思い出したのか?その……」
歯切れの悪い言葉に、セシルは首を傾げた。
「だからっ、その、俺がガキに戻ってた時に俺に言ったことだよ」
シェールは勢い任せで喋った。あの時、まだ記憶のもどっていないフリをしたのがばれてしまう。けど、それでもいいという思いがあった。あの後シェールが元に戻ってすぐ、今度はセシルが子どもになってしまったから、完全に訊く機会を逃していたのだ。
セシルは暫く無言で、腕を組んで考え始めた。しかし、シェールを見て首を横に振った。
「ごめん、分からないわ」
「思い出せ。夜だ」
実はこの辺はシェールも少し曖昧な記憶なのだが。たしか、セシルはこう言った。『ずっと隣にいるから、信じて』、と。
セシルはなおも考えていたが、やはり思いつかないらしい。答えは?と純粋な瞳をこちらに向けてきた。
答えようか―――一瞬、迷った。けれどシェールは、分からないならいい、とぶっきらぼうに返事した。
そう、あれは夢だったかもしれない。現実だったかもしれないが、シェールが子どもの姿になっていたから、セシルが気を利かせて言ったにすぎないかもしれない。いずれにしろ、この調子では彼女は覚えてはいないだろう。
真偽を確かめる勇気すら、己が持ち合わせていないことにシェールは内心愕然とした。
「悪い、ちょっと待っててくれ」
鍛冶屋の前で、シェールは馬車を停めた。
「どうしたの」
「いや、前に訓練途中にドジってな。剣が少々歪んでしまったんだ。そろそろ出来る頃だから」
そのために、シェールは今朝少し早めに出てきたのだ。
待っていても暇なだけだと考えたセシルは、シェールについて行くことにした。
「おい、ネルバの旦那」
奥から汚れた格好で片手に鍛冶道具を持った、白髪の老人が出てきた。
「おはようございます、シェール様。仕上がっておりますよ」
もう一度奥へ戻り、ネルバは一振りの剣を持ってきた。シェールはそれを受け取り、勢いよく抜いて刃を確めた。
「さすがだ、旦那」
テーブルの上に代金を置き、満足げに笑うシェールを見て、ネルバは拗ねたように言った。
「もう少し丁寧に扱ってくだせえ。なにしろそれは、わしの師匠が打ったものなんですから。あんまり邪険に扱うと、もう直しませんぜ」
「悪かったって。でも、切れ味は衰えないな」
「当たり前でさあ。わしらも一端に職人だ。嘗めんでくだせえ」
ネルバはふとセシルを見た。その目が腰の剣にいく。
「そいつは……」
セシルの剣を指差した。
「何か?」
不審そうにセシルが老人を見る。
「その剣を、拝見してもよろしゅうございますかね」
セシルは剣を老人に渡した。ネルバは刃や柄をじっと見ていたが、剣を収めるとセシルに返した。
そして、懐かしそうにセシルを見た。
「そうか、あなたでしたか。私の師匠が最後に打った剣の主は」
ネルバは勢いよく喋り始めた。
「死ぬ三ヶ月くらい前かな。ふらりとどこかへ行って戻ってきた師匠は剣を持っていた。今まで見た中で、最高に美しかった。どこで作ったかも、どうやって作ったかも分からずじまいだった。最初から最後まで自分一人でやったらしく、誰に渡ったかも分からなかった。ただ、守り刀ということを言っていただけで。生涯で最高の剣だと―――」
「でもこれは、私が父から受け継いだものです」
「お父上もまた、受け継いだものでしょう。……それにしても、シェール様とは違って手入れが行き届いてますな」
うちには専属の鍛冶がいるから、とセシルは答えた。名はユランだ、と付け加えた。
「え、ユラン!?ああ、そいつぁわしの弟弟子ですよ!まったく、突然行方をくらましたと思ったら……生きていたんですね、よかった。にしても、こんなに近くにいるならわしの噂くらい聞くだろうに」
ネルバが嬉しそうに話した時、外から悲鳴が聞こえた。
二人が走り出ると、待たせていた馬車の周りに人だかりができていた。子どもの泣き声が聞こえる。
「どけ、どいてくれ!」
シェールとセシルは人を押し退けながら、馬車に近付いていった。




