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33 朝露に 2

「物騒、ねえ……」


 ガタガタと揺れる馬車の中で、シェールが呟いた。隣にはセシルがいる。

 街はいつもと変わらず朝早くから活気に満ちている。少し前までアストレーズと刃を交えていたとは思えない。

 今日は薬売りの老婆、リゴ=ウルスを更に問い詰め、アストレーズの動きを知らねばならない。といっても、大して収穫は得られないだろう。

 一人で暫くそう考え、ふとセシルを見た。彼女は馬車の窓から、往来を裸足で駆けていく子どもを見ていた。


「なあ、セシル」


 その声に振り向く。シェールは意を決して口を開いた。


「あのさ、お前の髪って……綺麗だな」


 セシルは疑いの眼差しを向けた。


「熱あるんじゃないの?」


「ない!」


 少しシェールの言葉を品定めするかのように、シェールの瞳を覗きこんでいたが、セシルはまた窓の外に視線を移した。

 シェールは無視された、と思ってもう一度言おうとした。しかし、セシルは消え入りそうな声で返した。


「……どうして?」


「え?」


「どうしてそんなこと言うの?」


 どうしてって言われても……。

 シェールには、昨晩のことを話す勇気がなかった。口ごもっていると、セシルは続けた。ほとんど棒読みだが、こんな時のセシルは内心物凄く取り乱しているのだ。


「覚えてない?七つの頃ね、あんた私に変な髪って言ったのよ。おばあさんみたいって」


 ズキッと胸が痛んだ。しかし、セシルの方が傷ついているだろう。

 だがあれは、悪意が本当にあって言ったわけではない。ただ振り向いてほしくて、構ってほしくて……。


「違う……」


 自分で思った異常に辛そうな声が出た。驚いてセシルが振り向く。その頬に触れ、次に髪を撫でる。青の瞳が驚きで見開かれている。


「そんなんじゃない……」


 セシルは心臓が体のどこかからはみ出すんじゃないかと心配した。

 シェールのこんな顔、見たことない。まるで自分のことのように辛そうだ。


「そんなんじゃないんだ……」


 再び頬に手が触れたかと思うと、次の瞬間、シェールはセシルに優しくキスした。

 心の中をぐちゃぐちゃにかき混ぜられているかのような錯覚に陥る。頭が熱い。セシルはシェールの肩に手をかけた。

 次にシェールは彼女の髪にキスを落として呟いた。


「綺麗な髪だよ……まるで月の光みたいだ」


 シェールが別人みたい。私が子どもに戻っていた間に、何があったんだろう。聞くのは無粋かしら。

 それにしても、きっとシェールはそんなことを言ったことすら忘れていただろう。テオ、大人になって、失って良かったものもあるわ―――。

 そう思った時、セシルの目から一筋、涙がこぼれた。


「あ……」


 手で拭おうとした時、ぐいっとシェールが引き寄せた。涙はシェールの軍服に吸い込まれた。

 大きな手が頭を包み込む。


「お前は俺のものだ」


 真っ赤になった顔を埋めながらも、セシルは待って、と呟いた。


「泣いたのがバレちゃう……」


 少し赤くなった目元を気にしている。


「ああ、それはな……」


 言いかけた時、馬車がガッタンと大きく揺れた。シェールは衝撃でつんのめり、馬車の壁に頭突きをした。痛みに涙を堪えていると、セシルが笑っているのが聞こえた。


「ごめん……笑っちゃ悪いけど……涙も引っ込んだわ!」


 途切れ途切れにヒイヒイ言っている。

 シェールはぶすっとしていた。

 なんでいっつもこうなんだ!

 それから海軍司令部に着くまでの間、シェールは腹立ちと恥ずかしさでそっぽを向いていた。

 到着して入り口の所で、セシルがくるりと振り返った。


「……ありがとう」


 にこっと笑って、周りに聞かれない程度の大きさの声で呟く。そして、そのまま駆け足で資料庫を目指して行ってしまった。

 後にぽつんと残されたシェールは、目を大きくして呆然とそれを見ていた。

 なんか……調子狂うな……。

 一人、心で呟いた。


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