30 子どもになったセシル 2
「そんな……私、一度だって聞いたこと……」
「ああ、マリアが途中編入してくる頃にはもう収まってたし、セシルはマリアに気を使わせないようにしてたからな」
マリアはセシルを見た。哀れにも怯えきったセシルは、まるで追われる獲物のような目で彼女を見つめ返した。
一歩マリアが近付くと、セシルは逃げ場を探した。しかし、自分よりも背の高い大人ばかりであることを確認し、ぎゅっと目を閉じてうずくまった。
「セシル?大丈夫ですか?」
優しい声でマリアが尋ねる。セシルはそっと上目遣いで彼女を見た。そして、尋ねた。
「……誰?」
「マリア=エレノールです。私達はあなたに何もしたりしませんよ」
「……本当?」
そして、ちらりと後ろのシェールとテオドリックを見た。
「まさか……シェールとテオドリック……?」
どう答えようか―――テオドリックがそう思った時、シェールが先に口を開いた。
「違う」
えっ、とマリアが声をあげた。シェールは何を考えている?
「俺はシェール=ロシュフォードだ。こいつは、テオドリック=ヒュー。だけど、お前の知ってるやつじゃない」
「嘘!」
セシルがぶんぶんと首を横に振った。
「だってシェールとテオドリックにそっくりだもの!」
「他人の空似、同姓同名ってやつだ」
いや、無理があるぞシェール。
心の中でテオドリックは呟いた。
「嘘だ、そんなに都合いいわけがない」
セシルはまだ口調が男のようだ。
「現実は小説よりも奇なり、って知ってるか?それに、お前の知ってる二人はもっとガキだろう?」
それもそうだ、とセシルは一人で頷いた。
ここで信じるところがまだやはり子どもなのだ、とシェールはほっとした。
「おいで。怖くないから」
差し伸べたシェールの手を、今度は振り払わずに取った。
「リゴ。これはいつまで続く?やはりシェールのように二、三日か」
パーゼルは心配そうに聞いた。
「明日の朝には戻ってるさ」
四人はほっと胸を撫で下ろした。
テオドリックはじろりとリゴを睨む。
「というか、まだ薬を持ってたんだな。全部出せ」
「あれで最後さ」
リゴは衛兵に牢へ連れて行かれた。
シェールはセシルを抱き上げた。セシルは元の大人の時のシャツ一枚で、すっかり体が隠れている。
「大将、コシュード大将に連絡をとっていただけませんか」
パーゼルは少し考えた。
「ああ、駄目だ。コシュード大将は領地視察に行かれている」
ということは、今コシュード邸には使用人しかいないことになる。セシルの母は、彼らが五つの頃に病死してしまったのだ。
「まあ、今晩だけのようだから……」
厄介事のようにテオドリックがため息混じりに言う。
「何なら、私がセシルを預かりますよ」
気を利かせたマリアが申し出る。しかしそれをシェールが断った。
「いや、いい。俺がする」
シェールがセシルを連れて退出した後、マリアはテオドリックに詰め寄った。
「どういうことなんですか、テオ。セシルをいじめていたって」
パーゼルは気を利かせて、少将達を連れて退出した。
はあっと大きくため息をつき、テオドリックは重い口を開いた。
「俺達が士官学校に入学してすぐのことだ。セシルは同級生の公爵家の一人息子に目をつけられた。髪の色が違うというだけの理由だった。まあ、子どもにありがちな好きだからいじめるっていうのも入ってたかな。もともと女子は限られているし、セシルは寮でも一人だった。俺達は止めなかった。いや、止められなかった。相手は公爵家の者だ。下手に楯突けば、俺達だけではない。家族が危ない。だから、何も出来なかった。そうして気が付いたら、セシルは世界を信じなくなった」
「そういえば、私が編入して初めてセシルに会った時と今とでは、だいぶ雰囲気が違いますね」
「ああ。マリアが来てからだよ。セシルに少し余裕が出来たのは。その頃にはもうとっくに収まっていた。ただ飽きたから、というのが理由さ。……マリア、感謝してるよ。君がいなければ、俺達とセシルは今、もっと違った関係になっていた」
テオドリックは遠い目をした。
「セシルは……何も言いませんでした」
「あの子は我慢しすぎるんだ。全て自分で何とかしようとする。今でもその傾向は見られるけど。……強い子だよ」
だから同時に、とても弱い存在でもある。
そして、ふと七つの頃のことを考えた。
たしかあの頃からじゃないか。ヴィッツェンがセシルに近付いたのは。
たまたま海軍部の方に来て、ヴィッツェンは五つ年下の少女が泣いているのを見つけた。以前そうこぼしていた。それからだ。ヴィッツェンがセシルを気にかけるようになったのは。
「テオ?気分が優れませんか?」
マリアが心配している。テオドリックは、素直にマリアが自分を心配してくれているということが嬉しかった。
「ああ。……マリア、一つ前から聞きたかったんだ。セシルは、誰が好きなの?」




