22 翌朝の記憶 2
「教えろよ。俺、何したんだ?」
腫れ上がった右の頬に触れながら、シェールが尋ねた。
「えー?セシルといい感じだったじゃないか。ああ、お前、彼女泣かしたろ」
「なっ、泣かし……」
そういえば―――。
段々と記憶が蘇ってくる。中庭でセシルと逢って、ダンスをした気がする。そしてその後、なんか……無理矢理キスしたような。
だいたい、なんで俺がそこまでしたんだ?
テオドリックをちらりと見て、あっと声を上げた。そうだ、こいつがセシルと逢っていて―――。
「おいテオ、聞きたいことがある」
「なんだ」
シェールは少し気持ちを落ち着かせてから喋った。
「お前……セシルとマリアのどっちが好きなんだ」
テオドリックがぽかんとする。どういうこと、と聞き返した。
いいから答えろ、と急かす。
「シェールお前、俺とセシルを疑ってるのか?残念だな、ハズレだ。いいか、俺が好きなのはマリア。もちろん、愛してるって意味だ。セシルも好きだけど、彼女は仲間としてって感じだな」
シェールはテオドリックが話し終わった後も黙っていた。おい、とテオドリックが呼び掛ける。
「テオ、お前さ……いつだったかの夜、セシルと馬で散歩してたな。その時彼女に……キスしてなかったか」
テオドリックは記憶の糸を手繰り寄せた。思い当たるものはある。
「キスなんてしてないよ。真似をしただけだ。隣にいるのがマリアだったらどうするかって聞かれてね。……シェール、お前まさか、セシルのこと信じてないとかそういうの?」
「そんなんじゃないけど。でも……人のことなんて分からないだろ。特に、女の考えてることなんて……分かんねえよ」
そう言うシェールはまるで拗ねた子どもだ。
「でもなあ、シェール。彼女がどんな気持ちで昨日を過ごしたと思う?」
人のことなんて分からないと言ったばかりなのに。シェールはテオドリックを軽く睨んだ。それが分かれば苦労しないって。
「彼女に昨日最初に声をかけたのはヴィッツェン中将だ」
そういえば、メヌエットをヴィッツェンと踊っていた。今思い出すだけで腹が立つ。なんであいつなんだ。
「ヴィッツェンはセシルを見てるだけじゃない。自分からセシルを奪おうとしている。そこだな、お前達の違いは。それにどうせお前のことだ。俺にその夜散歩してた時の話を聞く前に、セシルに聞いたんだろう?」
黙りこくったシェールを見て、図星だな、と呟いた。
「違う、尋ねてなんかない。そんな夢は見た気がするけど」
きっとそれは現実だよ、とテオドリックが返す。
「信じれないのか、彼女のこと」
シェールは辛そうに目を閉じた。
昼にシェールはセシルに会いに行った。セシルは司令官室で書類に目を通していた。
セシルはシェールを見ると、少し俯いて顔の赤くなるのを隠した。
「その……悪かったな、本当に」
「朝殴ったのでチャラにするんじゃなかったの?」
「改めて謝る。あともう一つ。テオとお前の仲を疑った時、俺はよく覚えてないが、あれが本当の記憶だとしたら、俺はお前の言うことを信じなかった。なぜもっと反論しなかったんだ」
セシルはその言葉に、胸が苦しくなるのを感じた。だが決して表情には出さない。歯を食い縛り、深い息を整えてから口を開く。
「言っても信じてもらえない真実に……真実の価値はあるの?」
答えに詰まったシェールに追い討ちをかけるようにセシルは付け加えた。
「やっぱり信じてないんだね。全部……」
そして、もうこの話は終わりにしましょう、と言った。
「朝に殴ったのでチャラでしょ。あまり考えると仕事にも支障が出るよ」
早く出ていけというオーラを出すセシルに、シェールはイヤリングを投げた。翡翠と真珠の小さなものだ。
「これは……そういえば今朝、アンレースがそんなことを言ってたわ……」
ありがとう、とシェールに言うと、彼は既に扉の前に立っていた。
「信じるよ、全て。俺が見た夢は現実だった。もちろん、お前の言葉の一欠片まで―――そのイヤリングがその証しだ」
シェールは部屋を出ていき、あとには愕然としたままのセシルが残された。
そっとイヤリングを手に取る。ずっとポケットに入れていたのだろうか。僅かに温かい。
「ずるい……」
シェールは全てを信じると言った。けれど……彼は恐らく知らないだろう。昨日セシルに語りかけた言葉を。踊ったことすら。ましてや、キスをしたことさえ……それはシェールにとっては現実ではないのだ。夢でもないだろう。覚えてやしないだろうから。
それでも構わない、と思いつつイヤリングに口づけをする。唇に、ほんのりと温かい温度が残った。




