21 翌朝の記憶
「何するのよシェールのばかーっ!」
がばっと起き上がると、そこは見慣れた自分の部屋だった。わけが分からず、ぽかんとする。まだ夜明け前らしい。外が少し明るい。
「お目覚めですか、セシル様」
使用人のアンレースだ。
「アンレース……私は昨日たしか―――」
「ええ、どうやら中庭で気を失っておられたようで。シェール=ロシュフォード様が馬車のところまで運んで下さいましたよ。着替えの方は侍女達ですが。そういえば、イヤリングを片方なくされたのですね」
シェールが……。嘘をつくのは当然だけど……いや、あれは現実?夢?やっぱりシェールが言う『気を失っていた』は正しいの?彼があんなことをするはずがない。
ぼうっとしたまま、セシルは着替えようとした。
「え……何これ」
左の胸元に、赤い痣がある。いや、虫刺され!?
「アンレース、アンレース!薬箱を……なんか胸に変な痕が!赤くなってる!」
アンレースが薬箱を持って、駆けつけてきた。
「セシル様、失礼します」
セシルの指差す赤い痣を見て、アンレースは眉をひそめた。
「セシル様」
「何これ!虫刺されにしては大きいような……」
慌てふためくセシルに、まずは落ち着くよう説得する。
「セシル様、ご安心下さい。病気でもなんでもありません。キスマークじゃないですか」
「キスマーク……?なんで?」
「私の知ったことではありませんよ!どなたか、昨日の舞踏会でしょう」
昨日の舞踏会……。セシルははっとした。
アンレースは失礼します、と言って部屋を出た。
シェールだ。それ以外に考えられない。そうだ、息が苦しくなって、そこから何も覚えていない。きっとあの後……何か変なことをされたんじゃないかと思うと、セシルはぞっとした。鳥肌が立つ。
朝食のテーブルには、先に父のオルトスがいた。二人は挨拶を交わして、食前の祈りを捧げた。
「セシル、昨日はどうだった?」
「はあ……人混みはやはり苦手ですね」
「違う、シェール殿だ」
セシルはぐっと詰まった。オルトスはなんとも嬉しそうな顔をする。
「一緒にいたのだろう?昨日結局、お前を連れて来たのはシェール殿だったぞ。なぜ父の前で踊ってみせてくれなかったかなあ。で、どこまでいったんだ」
セシルは紅茶にむせた。
「父上っ……野暮です」
しまった、答え方を間違った。
そう思ったが、オルトスはにこにこしたままだ。
「いや、父上、訂正いたします。何もありませんでした」
「いや、いいよいいよ。私は余計な詮索はしないから。しかしほら、言った通りだろう?所詮男と女の仲なんて、どうなるか分かりはしないのだから」
「父上っ!」
反論できない。できないのだが、何か違う。悶々としたまま、セシルは朝食を食べた。
「シェール!おはようございます。昨日は楽しかったです」
「マリア、おはよう。あ、テオも」
海軍司令部の廊下でシェールとマリア、テオドリックが会った。マリアはすぐに資料庫に行ってしまい、テオドリックとシェールは並んで歩いた。
「おいシェール、昨日どうだった」
「昨日ー?舞踏会か。なんかあったかなー」
さらっと答えが返ってくる。テオドリックは耳を疑った。
「え、お前……覚えてないの……?」
「お前、俺が酒に弱いの知ってるだろ。……あ、王后陛下と踊ったぞ!」
「いや、そうじゃなくて……」
テオドリックは冷や汗をかいた。シェールの酒に弱いというのが、ここまでとは思わなかった。まさか、全て忘れて……?
「あー、マリアとも踊った。なんだお前、妬いてんのかあ?」
「いや、だからなあ」
テオドリックはため息をついた。あまりこういう野暮なことは嫌いなのだけれど。
「セシルとだよ」
シェールはきょとんとした。
「セシル?なんであいつの名前が出てくるんだよ」
テオドリックは愕然とした。
「お前……本っ当に何も覚えてないのか?」
「だから、何なんだよ。あいつが何だってんだ」
「へえー、そうなんだ……私のことはどうでもいいわけね」
二人がびくっとして振り返ると、そこにはセシルがいた。
「なっ、何だよ!朝っぱらからやるってのか!?」
戦闘体勢をとるシェールに、セシルはため息をついた。
セシルの様子が違うのを見て、シェールは警戒を解いた。
彼女の横顔が、ひどく悲しげだった。
「おい……」
シェールの呼び掛けに、セシルは心底辛そうな顔をした。テオドリックは思わず目を逸らした。あまりに痛々しい。まともに見れないほどの表情だ。
それを見て、シェールは覚悟を決めて言った。
「分かった、俺が悪かった。けどな、俺は何にも覚えてないんだ。……変に恨まれたら後味悪いし、仕事にも支障をきたすからな。本当に俺が悪いと思うなら、殴って構わない。その代わり、それでチャラにしろ」
「なあ……」
話しかけるテオドリックの横には、右の頬が腫れたシェールがいた。
「セシルって素直だよなあ」
何と声をかけて良いか分からないテオドリックには、これが精一杯だった。
対してシェールは不服そうだ。
「おい、本当に俺が悪いのか?」
テオドリックはふっと笑った。
「まあ……今回ばかりはセシルに同情するよ」
シェールは気付かれないよう、ポケットの中身を握った。




