19 王宮にて 2
「あら……シェール様と王后陛下だわ」
「ほんと……とても美しくて、まるで絵のようね」
人びとが思わずため息をつく。視線は王妃とシェールが全て奪っていく。
もちろん、セシルも見ていた。
シェールが王妃と楽しそうに踊っている。優しい言葉もその笑顔も、全て他人のものだ。決してセシルに向けられることはないことも、彼女は知っていた。
「セシル様はいいわねえ……あんな方を背の君にいただけて」
そこにセシルがいることを知ってか知らずしてか、若い娘達が三人ほどで喋っている。セシルは思わず聞き耳を立てた。
「あらでも、実はそうでもないらしいわよ。私、父が海軍少将ですけれど、セシル様とシェール様、いつも喧嘩をなさってるのですって」
「まあ、無理もないかもねえ。お二人とも、気が強い方でいらっしゃるし。証拠に私、今日お二人が踊っていらっしゃるどころか、喋っていらっしゃるところをまだ見ていませんの」
「ですよねえ。ということは、私達にもまだチャンスはあるってことですね」
「ええ。それにしても……セシル様もなんて方かしら。いくら親同士の決めたことといっても、私達には手の届かない方をご自分のものにして、それでいて不平をおっしゃるのだから」
「本当に……シェール様がお可哀想よ」
あまりの言われように聞くに耐えず、セシルはワイングラスを掴み、大きなガラスの窓を兼ねた出入口から、中庭に出た。
ガラス一枚の遠さに、セシルは感謝した。中は蒸すように暑かったのに、外はひんやりとしている。いつも軍でやるように、ぐっと中身を飲み干す。
ふうっとため息をつき、改めて自分の場違いさを痛感する。
ゆっくりとまばたきをして、空を見上げた。紺色の空には銀の細い月が光る。点々と宝石を散らしたように光る星も見えた。
中庭に続く数段しかない階段の手すりに寄りかかり、よく見える星をつないでいった。あれは、なんていう星だろう。
時間が経つと、少し肌寒い。中から優しい音色が聞こえるが、もう戻る気にはならない。ああ、やっぱり適当に理由をつけて断れば良かったかも。風邪とか、腹痛とかなんとでもなったのに。
ぼうっとしていると、中から一人、人が出てきた。ガラス窓の軋む音がする。
セシルは一瞬、期待した。
しかし、そこにいたのはテオドリックだった。セシルの表情を見て、申し訳なさそうな目をする。
「ごめんね……君の望む人じゃなくて」
「テオ……そんなこと……」
テオドリックはセシルにワイングラスを差し出した。セシルは素直に受け取る。
「何してるの、こんなところで」
「別に……人が多すぎて気分悪くなっちゃって」
「シェールとはもう踊った?」
ごほっ、とセシルはワインにむせた。
その反応を見て、まだか、とテオドリックは笑った。
「シェール、君を探してたみたいだぜ」
「まさか。さっきも王后陛下とご一緒で、下心見え見えなくらいへらへらしてたわ」
「へえ、それを見て君はなんだか嫌になって、ここへ逃げたのか」
違う、と言い切れなかった。セシルは黙った。
おやおや、とテオドリックがため息をつく。
「嫉妬……かな?それは。あ、俺もう広間に戻るけど、セシルも入らない?」
セシルは弱々しく首を横に振った。今戻っても、きっとシェールは他の娘達と踊っている。ますます惨めな思いをするくらいなら、何も見ない方がいい。
テオドリックは心配そうにセシルを見た。
「テオ、私はいいわ。あ、それと、余計なことはしないでね」
余計なこと、とはつまり、シェールにこの場を教えることだ。
テオドリックは分かったよ、と優しく言うと、戻っていった。
しかし広間に入った途端、目が合ったのはシェールだった。酒が入っているらしい。酒に弱いシェールのことだ。きっとあの様子では、明日には記憶が吹っ飛んでいることだろう。つかつかと歩み寄り、テオドリックに小声で聞く。
「外にあいつがいるんだな?」
「あいつって?」
「とぼけんなよ、セシルに決まってるだろ。いるのか?」
テオドリックは頷いた。シェールは無言で外に視線を移した。テオドリックは心の中で、セシルに土下座をした。
シェール、上手くやれよ。そう呟いたら、シェールはばしっとテオドリックの背中を叩いた。
外には果たしてセシルがいた。シェールの出たのにも気づかず、空を見ている。その目に光るものがあり、シェールは背中に冷や汗をかいた。一気に酔いがさめる。
セシルが何気なく振り向いた。目が合う。気まずい沈黙が流れる。
「誰かと思えば、お前か」
心にもない言葉が口をついて出る。
「それは失礼を……」
セシルがどこかへ行こうとする。
「待てよ」
セシルが立ち止まり、シェールはその背に歩み寄った。
「テオドリックがいたな。何をしていた」
ぶっきらぼうな言い方に、セシルはむっとした。
「あんたには関係のないことよ。妄想を働かせるようなことはないわ」
「この前もテオドリックが一緒だったな。いつか夜に馬で歩いていた。その時やつは……お前に何をした?」
睨むような、悲しげな何とも言えない目をしたシェールは、セシルに繰り返して尋ねた。
「何をって……?別に何も」
「とぼけんな。やってただろう、二人で。こんなふうに……」
シェールはセシルの右腕を掴み、頬にもう片方の手を添えると、強引にキスをした。あまりの驚きに、セシルは動けなかった。
少しワインの味がする。だが、全身に鳥肌が立つような感覚と共に、セシルは体中の力が抜けていくのを感じた。
やっと解放された時、セシルは大きく息を吸った。
口の中に冷たい空気が流れ込む。




