16 交渉
「お頭、来ましたぜ」
薄汚いぼろぼろの服を着た水夫が部屋の奥に向かって言う。奥からは、桜の模様の入った白い着物を着た男が出てきた。
「ようやくか。この俺に対していい度胸だ」
男が向かった先には、カルディリア王国海軍の制服を着た男が三人いた。中央にはかしこまって座っている男がいる。三十代半ば程か。髪と同じ明るい金色の口髭を撫でるのを止めて、すっと立った。そして、右手を差し出す。その袖飾りは、彼が中将の位であることを示している。
着物の男はその手を無視して、椅子に座った。海軍中将は少し気分を害されたような表情だ。
「悪い、握手はしない主義なんだ。俺は身を守る術を他人に気安く差し出すことはしない」
海軍中将はそれを聞き、握手を諦めて座った。
「初めまして―――というのもおかしいな、アルダン=カルヴォ。いつも貴様の首を狙っているのだから」
「ああ、道理で初めてな気がしないわけだ」
アルダンは笑って流す。だがその目は笑っていない。
「けど俺は、あんたの名前を知らない。これって不公平じゃないか、中将さん?今から対等な話をする相手に……」
海軍中将は呆れたように肩をすくめた。
「ロドリゴ=ステビア海軍中将だ。よくその腐った頭に刻んどけ」
アルダンはにやついた表情を崩さぬまま、一瞬彼を睨んだ。
「で?そのお偉い方がこんなクズみてえな海賊相手に何の用で?」
「時間が惜しいので単刀直入に言う。対シャルトレーズ同盟に参加し、海を全て握れ」
「見返りは?」
ステビアが懐から革で装丁された文書を取り出した。紐をほどき、アルダンに差し出す。
「海賊船拿捕許可状だ。対シャルトレーズ同盟に参加する国のサインは全て入れる予定だ」
「へえ……」
「興味ないのか、アルダン=カルヴォ?」
「つまりそれって、俺にカルディリアの臣下に降れってことか」
ステビアは黙った。図星か、とアルダンが笑う。しかしステビアは今回、対シャルトレーズ同盟を成立させるために、わざわざアストレーズ王国に身を潜める海賊に会いに来た。何としてでも交渉は成立させたいところだ。
「確かにカルディリア王国のために働く、ということだ。しかし何も海賊をやめろというのではない。シャルトレーズの船を襲ってほしいだけだ。シャルトレーズの海賊船だけではない、商船も客船も戦艦もだ。シャルトレーズのものは全て襲っていい。なかなか金になるぞ」
「見返りが少なすぎる……」
「何だと!?」
ステビアがすっとんきょうな声を上げた。
「見返りが少ない。海賊船拿捕許可と、カーシュ植民地統帥権、アグン島と身の安全の保証……」
「馬鹿言え、そんなに出来るものか!カーシュ植民地統帥権だと!貴様、ふざけているのか。それは我がステビア家の世襲統治権が認められている。それに、アグン島だと!シャルトレーズに近い島を取って、今度はシャルトレーズに近づく気か?」
アルダンはにこっと笑った。ステビアは、その横顔からシャルトレーズ国王スキロス二世を連想した。髪の色や瞳の色は全く違うのに、ふと直感で思った。
「お前も何年海軍やってんだ?シャルトレーズの船を全てだと?それで見返りが拿捕許可なんて、見返りと命令が同じだ。見返り無しも同然だ。もっと割りのいい話持って来なきゃ駄目だ。俺がそんな安い犬だと思うなよ」
「アルダン、身の安全の保証はなんとかしよう。カーシュ植民地も一部ならなんとかしてみる。な、悪い話ではないだろう?それにお前……シャルトレーズには恨みがあるんだろう?どんな恨みかは知りたくもないが、その恨みとやらを晴らすいい機会に……」
「黙れ」
短くアルダンが言い放ち、がたんと音を立てて席を立った。ステビアは訝しげに彼を見た。
「どこで仕入れたネタかは知らんが、お前が図々しくも立ち入っていい話ではない。二度と貴様なんぞの口から聞きたくもない。とっとと俺の前から失せな。そしてクニに帰って花が咲くのを見てるか、今ここで俺がお前の頭に花が咲くのを見るか……選べよ」
想像以上の剣幕に、ステビアは驚いた。アルダンは氷のような目をして、ステビアの一挙一動を眺めている。
ステビアは限界を感じた。これ以上ここにいたら殺される。王の命令を果たすことは出来なかった。そして、二人の部下を連れて退出した。
「お頭、らしくもねえな。あんな取り乱して」
「俺だってびっくりだ、あの程度のことで……。ともかく、また場所を移らねば」
アルダンが腹立たしそうに言った。そうだな、と相手が返す。
「くそいまいましい海軍めが……」
だが、あの程度の脅しで去るということは、まだそこまで切羽詰まっているわけではないらしい。
シャルトレーズが消えれば、次に狙われるのは俺達海賊に決まってるからな、と呟いた。
いつも何者かを敵にして、血を流さないと気がすまない連中。そうして何事もなかったかのようにすましている貴族共より、人情にほだされて生きている悪人の方が、よっぽど人間らしい。
カルディリア王国の宮殿では、カヴールが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「そうか……断りおったか。あの海賊め」
「は。申し訳もございません」
ステビアが跪いて謝る。
「まあよい……いずれこちらにつかねばならぬことも分かるだろう。所詮は能のない海賊か……」
そして、各国に対シャルトレーズ同盟の延期を知らせる使者を派遣するよう命じた。
「なに……もうすでに一つ目の駒は動かしてあるのだから」
遠くを見つめる目は、百獣の王すら震え上がらせるほど恐ろしかった。




