*聖星祭 ~七歳の記憶~ 3
「くそっ、いない……」
まだ夏場なら太陽が傾いてもいない時刻。すっかり日が暮れた。雪もちらつき始めた。だが、セシルはどこにもいなかった。
離れた場所から鐘が聞こえた。随分賑やかだ。大道芸の音だろうか。
細かな雪が降る闇を見上げた。ふといつかの記憶と重なった。デジャヴか。そういえば、あれはたしか今日みたいな雪の降る夜で―――セシルは、一人で泣いていた。海の近くの大きな木の根元で、力なくしゃがみこんで―――。
「あっ……!」
そうだ、セシルの母が亡くなった時のことだ。生前の彼女の意向により、骨はあの大木の根元に砕いて埋められた。そしてセシルはその日の夜、失踪した。一人であの木の根元を掘り返していたのだ。探しに行ったからよく覚えている。彼女は手をずたずたにしてもなお、掘るのをやめようとはしなかった。あの白い雪を染める血の色は、今でも鮮明に覚えている。
シェールは走ってその大木のもとへ行った。さすがに聖星祭だと、この暗い森を抜けた場所へは誰も来ないのだろう、足跡もない雪が積もっている。新雪に埋まりながら、シェールは必死で近付いた。
大木の根元に、白い大きな塊がある。それが僅かだが、もぞもぞと動いた。
「……っ……セシル!」
白い塊がはっと振り向く。やはり、海軍士官候補生の制服の上から白いコートを羽織ったセシルだった。
「シェール……どうして……」
埋まりながらもやっと隣に行き、シェールは疲れて腰を下ろした。そして、ぎょっとした。
「お前……髪……」
普段は結んでいたが、ほどけば背中の真ん中ほどもある豊かな銀髪。それが、今は肩にかかるかかからないか程の短さになっている。
「……切ったの」
彼女はナイフをちらりと見せた。
「なんで……?」
驚きのあまり、シェールは声がかすれた。セシルは悲しげに微笑んだ。
「見たくないでしょ?だから、少しでも短い方がいいと思ったの」
暗くてよく見えないが、周りの雪に目を凝らせば、白に混じって銀が見える。
それを掬うと、白は体温で溶けた。走って雪を掻き分けたため、異様に暑い。
「ごめん……」
思いがけないシェールの呟きに、セシルはきょとんとした。
「ごめん。ほんとごめん。あんなこと言うつもりじゃなかった。お婆さんみたいとか、嘘だから。ただ……その……」
エベールに睨まれると、何があるか分からないから。
だが、これは言いたくなかった。
するとセシルはまた俯いた。そして、ぼそぼそと喋る。
「いいよ、別に。……私だって変だと思うし。自分で好きになれないのに、他人が好きになれるわけないよ」
少しの沈黙の後、シェールは思いきって口を開いた。
「あのさ……また、髪、伸ばさない?」
え?とセシルは聞き返した。そして、なんで、と悲しげに呟いた。
「俺は好きだよ。だって……綺麗だから」
大きく見開かれた青の瞳から、ぽろんと涙がこぼれた。セシルはシェールにしがみつき、声を立てずに泣いた。その手を包み、あまりの冷たさに思わず噴き出した。
「冷てー……」
朝からここにいたの、という問いにセシルは頷いた。当然、何も食べていないんだろう。
「帰ろう。テオもヴィッツェンも心配してるから。人拐いに拐われたんじゃないかって……。ほんと、良かった。帰りになんか食うか?」
こくんとセシルは頷いた。立ち上がると、待って、と声がした。セシルは木の根元に微笑みかけた。
「さよなら、お母様。また来ます。今度はお母様の好きなチューリップを持って来ますね」
そして、新雪に足をとられながらもセシルは歩いてきた。その手を取り、まだ足跡のついている方へ歩いていく。
「いつかその髪に合う飾り探してやるよ」
シェールの言葉に、セシルは小さく頷いた。そして、聞こえないほどのか細い声で、ありがと、と呟いた。だが結局その言葉は雪の舞う風に吹き飛ばされたようだ。
街へ戻ると、まだ人はたくさんいた。最後の夜に、皆興奮している。
「あっ、あのパイすっげえ美味しいんだって!具がたっぷりって聞いたぞ!」
シェールが指差した。美味しそう、とセシルも呟く。人の列に並ぶと、セシルがふと何かに目を止めた。その先にあるのは花屋。まだたくさんの花がある。
「あの……すぐ帰って来るから」
セシルはするりと抜け出した。止める間もない。彼女は人の間に消えた。
パイを買い終え、仕方なくその近くで待っていると、セシルが走って戻ってきた。
彼女にパイを手渡し、あまり人のいない所へ座った。すると、目の前にばっと何かが差し出された。
「はい!」
その手には、白い小さな花がたくさんついた細くしなやかな枝があった。
「これ……俺に……?」
「他に誰がいるのよ」
ドキドキしながら訊ねると、あっさりと返された。ありがとう、と素直に受け取っておく。頬が熱い。動揺を悟られないよう、胸のポケットに差した。
彼女のもう片方の手には、白い花が二つある。シェールのとは違う花だ。
「それは?」
「テオとラシード様の分。ご迷惑おかけしたみたいだから」
するとそこへ、テオドリックとヴィッツェンが来た。
「ああ、良かった!誘拐されたんじゃないかっ……て……ええ!?セシル嬢、髪が!」
ヴィッツェンが目を大きくしている。
「あっ、ラシード様。大丈夫ですから……あと、これ。よろしければ」
セシルがすっと花を差し出す。受け取った途端にヴィッツェンがにっこりと笑った。
「ありがとうございます、セシル嬢!長い髪のあなたも好きでしたが、今のもなかなか好みですよ」
その背後から、ヴィッツェンを呼ぶ声が聞こえた。私も付き合いがあるのですみません、と断ると、彼は雑踏の中に消えていった。シェールは嫌そうな目でその背中を睨んだ。
「テオも……ごめんね、心配かけて」
花を受け取り、テオドリックが曖昧に微笑む。
「いや……俺もごめん。あんなこと言うつもりじゃなかったのに。でも……大丈夫?」
髪を見ながら訊ねる彼に、うん、とセシルは頷いた。雪が一段と激しく舞う。
帰るか、とシェールに促され、三人は寮へ戻った。
「……ありがと、二人とも。おやすみ」
寮の別れ口でセシルはにこっと笑った。彼女はそのまま建物に入ったが、少年二人はもごもごと口を動かすことしか出来なかった。
「あ、シェールも貰ったのか」
胸のポケットを見てテオドリックが言う。ああこれ、とシェールは指で触れた。
「さすが花屋だなぁ。今時期俺の花もお前の花も咲いてないって」
そうなのか、とシェールは訊ねた。
「ああ、俺のがベルガモット。花言葉は感謝だったかな。んで、シェール、お前のがナンテン。花言葉はたしか……つのる想い、だったか」
「へ……?」
思わず顔を赤くしたシェールをテオドリックがつついた。
まだ賑やかな街に、雪が踊るように降り積もる。




