*聖星祭 ~七歳の記憶~ 2
聖星祭三日目。朝早く、まだ日も出ていない頃から街は浮かれていた。いや、街だけではない。同じ神を崇める者は皆、浮かれていた。
海軍士官学校の寮の談話室では、シェールが一人、暖炉の前で本を読んでいた。この日だけは朝から子どもも街へ出てよいことになっている。
「おい、シェール!」
テオドリックがぱたぱたと駆けてきた。なんだよ、とシェールが訊ねる。
「セシルがいない」
「……え?」
昨日は寮にいるはずだと言ったのに?いない?いないって、どういうことだ?
まだ状況をさっぱり呑み込めていないシェールに、テオドリックがしっかりと言い聞かせるように説明を始めた。
「さっき寮の方に行ったんだ。管理人にセシルを呼んできてくれって言ったら、朝早くから出てていないって……」
ぱたんと本を閉じ、シェールは靴を履き直した。
「陸軍のヴィッツェンとかいう先輩と一緒じゃねーの?」
テオドリックは首を横に振った。
「ここに帰る途中に会ったけど、セシルを知らないかって聞かれた」
探しに行くか、とシェールは上着を羽織った。
「一人なら今日は危ねえぞ。何年か前、聖星祭三日目にかこつけていろいろヤバい事件も起きたらしい。去年は一つ年上の令嬢が誘拐されたらしい」
ああ、とテオドリックは頷き、二人は談話室を飛び出した。舌打ちしてテオドリックが言った。
「これが終わったらすぐに休暇だ。暫く先まで会えなくなっちまう!」
街は相変わらず凄い人だ。雪が積もっているというのに、貴族も平民も混ざりあっている。時々同世代くらいの女の子から差し出される花を貰いながら、シェールとテオドリックは銀の髪の少女を手分けして探していた。
「いたか!?」
「いや、コーラルの丘にもいなかったし、教会にもいなかった!」
どこ行ったんだ、と二人は焦燥にかられた。
士官学校の生徒にも手当たり次第聞いてみた。セシルはヴイッツェンのおかげで陸軍の方にも知られるようになったので、陸軍士官学校の生徒にも聞いてみた。だが、誰も見ていないという。昼過ぎに彼らは一度戻ったが、寮にもまだ帰っていないらしい。
冬の日は短い。いくら今日ばかりは夜遅くの外出が許可されているとはいえ、もうあまり時間がない。夜になればなるほど物騒になり、銀の髪も見つけにくいだろう。あと一時間ほど、ティータイムの頃には日は暮れる。
「あとはロイズラン広場の南側だけだけど……」
シェールが呟いた。二人は顔を見合わせた。
ロイズラン広場の南側はシュリアルガ通りと言われている。もちろん本当は違う名前なのだが、もはや本当の名前で呼ばれることは少ない。シュリアルガとは古代シャルトレーズ語で『春に咲く花』という意味だ。売春宿が多く、そう呼ばれている。普通は子どもの近寄る場所ではない。
広場まで来たとき、シェールの腕を誰かが掴んだ。
「ラシード=フォン=ヴィッツェン……」
オリーブグリーンの詰め襟の制服の袖は、金の糸で刺繍がしてある。明るいウェーブした茶髪に鳶色の瞳。彼は眉間に皺を寄せた。
「呼び捨てとはいい度胸だな。……セシル嬢はどちらに?」
シェールは青い目で彼を睨んだ。慌ててテオドリックが答える。
「まだ見つかってないんです。あとは、あの……シュリアルガ通りだけ……」
さすがにヴィッツェンでもまだ入れる年齢ではない。待ってろ、と言い残すと彼はどこかへ駆けていき、一人の中年男性を連れてきた。
「頼むよ、もしかしたらこの中にいるかもしれないんだ!」
ヴィッツェンが頼む。
中年男性は乗り気ではなさそうで、頭をぽりぽりと掻いている。
「でもなぁ……俺、一応騎士だし?まあ制服着てはいないけどさ……気が進まないんだわ」
だるそうな声だ。ヴィッツェンが彼を睨んだ。
「いいだろ、お前なら聖星祭三日目にあぶれてここへ来たって顔してるじゃんか!早く行って!女の子が一人でこんなとこいたら、どうなるかくらい分かるだろ!?」
最後は興奮のあまり、ヴィッツェンは早口で罵るように喋った。男は失礼なガキだ、と悪態をつきながらも人に聞きに行ってくれた。
帰ってくるなり、彼は首を横に振った。
「いなかったよ。誰も見ていないってさ。けどな……あまり騒ぐとそんな珍しい毛並みの奴、誘拐されるぞ」
こっちでも巡回の合間に探してやるよ、と男は言い残すと、さっさと去っていった。
だんだんと日の光が黄色くなる。あと少しで日が沈む。
「たしかにこのままだと、騒ぎが大きくなってしまうな。……テオドリック=ヒューだっけ、露店の中を探しながらもう一度寮へ行け。帰ってるかもしれない。ロシュフォードはコーラルの丘だ―――もう少ししたら大道芸があるらしいから。私は王宮前の広場を探す。もしいたらそこへ来てくれ」
言うなりヴィッツェンは駆け出した。テオドリックも、じゃあ、と短く言葉を残すと走っていった。
なんであいつに命令されなきゃいけないんだ。
シェールは心の中で呟きながら、もう一度コーラルの丘へ行った。
海軍士官候補生の白の制服はよく目立つ。ちらちらと見えた方へ行くと、例の公爵家子息であるエベールが取り巻き達と丘にいた。
「どうしたんだロシュフォード。あーあ、お前貰った花くちゃくちゃじゃんか」
エベールに指差され、自分の胸元のポケットを見ると、萎れた花がいくつかあった。人込みに揉まれ、花の汁が白の制服についている。
「へぇ、お前モテるんだ」
彼らがにやりとする。
「そ、それより……コシュード知らないか」
一瞬きょとんとして、さあ、と彼は笑った。
「なんだよ、あいつから花を貰いたくて探してるのか?」
「そんなんじゃない!」
思わず顔が赤くなったのが自分でも分かった。
「うわー、まじかよ!あんな男女のどこがいいんだ?よせよせ、悪魔の子だぜ、あれは」
一斉にはやす声に嫌気が差し、シェールはもう用はないと言い捨て、背を向けた。
「ひゅー、王子様か?カッコいいなぁ。見ろよ、あんな変な髪の女のために頑張ってるんだぜ、ロシュフォードの奴!ソンケーしなきゃなぁ」
かっとなり、気付いたらシェールはエベールを殴っていた。
「セシルの髪をバカにするな!」
赤くなった左頬を押さえ、エベールがむくりと起き上がった。
「ロシュフォード、貴様!公爵家への侮辱だぞ!」
取り巻きの一人が叫んだ。だがシェールはそれを黙らせるほどの怒気を含んだ声で言った。
「処分でも何でもしやがれ!そしたらお前だってセシルを侮辱してたこと、言ってやるからな!」
シェールは丘の他の場所を探そうと、またその場を離れた。
公爵家に楯突くと、自分だけでは済まされない。もしかしたら父に被害が及ぶかもしれない。だが、シェールの父は陸軍中将だ。いくら公爵家でも、簡単に手は出せないだろう。特に彼の父は元帥に気に入られているのだし。
それに、知っている。セシルがもっと小さい頃から、どれだけあの髪の色のせいで指を差されてきたことか。どれほど傷付いてきたことか。
この程度で侮辱だの何だのと言われるなら、あの大人達はどうなんだ。今彼女を笑うあいつらはどうなんだ。
抑えがたい怒りをなんとか押し込め、シェールは必死で人込みを掻き分けていった。




