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140 始まりの終わり

 それから暫くして、あの大海賊アルダン=カルヴォがジル=エグモントと刃を交えて双方重症だという噂が流れた。そして、黒髪の海賊は王都エートスに姿を現さなかった。


 テオドリックとセシル、またその他の者への勲章授与式はまとめて行われた。その数日後、セシルとマリアは正式に退官を表明した。一度に部下を失ってパーゼル大将は寂しそうだった。

 今日は最後の海上警備だ。


「今日はなんだか風が大人しいですねえ」


 セシルの部下のラシュタット中尉が言う。そうかしら、とセシルが言うと、ええ、と彼は返事をした。

 穏やかな海だ。もうこうして軍服をまとって、剣を握らなくなる。普通の娘になっていい。でもやはりなんだか寂しい。


「中将!あれは……海賊船でしょうか、こちらへ来ます!」


 部下の指差した方には、たしかに一隻の船がある。見慣れた船体、あれは―――。


「アルダン……!」


 紫星海シーシンハイの狂犬、アルダン=カルヴォ。彼の船に間違いない。


「よお、中将さんよ。元気か?」


 船上で彼はひらひらと手を振っている。その手にはたしかに包帯が巻かれていた。


「アルダンっ……!怪我したって……エグモントと戦って、二人とも重症だって……」


 彼はセシルの船にやってきて、否定した。


「噂ってすげえなあ。俺もあいつもたいした怪我じゃねえよ」


 たしかに彼はぴんぴんしている。痣も見えたが、本当にたいした怪我ではない。


「あんた寝込んでたけどさ、俺の土産物は見たか?」


 セシルは熱が下がってから、ルキウス少将に二つの頭蓋骨を見せられた。エグモントの配下の海賊のもので、アルダンの手土産だと言っていた。冷や汗をかき、彼女は言葉を選んだ。


「ああ、ええと、あれね!見た見た!」


「今度はエグモントの首にするからな」


「……お気持ちだけでいいです」


「冗談だ」


 笑った後、少しの沈黙があった。

 黒髪の海賊は寂しそうに言った。


「退官だって?」


「ええ……もう決めたの」


「そっか」


 すると突然、彼はセシルを抱き締めた。といっても出来るだけ触れようとせず、まるで彼女を包み込んでいるような抱擁だった。


「あんたはいっつもそうだ。突然ふらりと俺の前に現れて、俺を狂わせて突然消える。你的眼睛真美、一直(あんたの眼は綺麗だな、ずっと)…… 」


 どう返事をして良いか分からず、セシルは戸惑いつつもされるがままだった。

 その時荒い足音がして、突然二人は引き剥がされた。


「はいそこまで!」


 シェールだった。セシルを背に隠し、アルダンを睨む。


「俺の許可とってもらおーか」


 二人の間に亀裂が走る。すると後ろから大勢の足音がした。


「陛下!」


 そこには幼いシャルトレーズ国王がいた。他にも海軍元帥、大将や宰相、更には王女フィーネもいた。シェールの船にいたようだ。


「これはこれは国王陛下」


 慇懃にアルダンが跪く。


「叔父上、契約通りの金はあなたの部下に払っておきました」


 アルダンが礼を言う。すると、キール元帥が杖をついて歩きながら、黒髪の海賊に紙を差し出した。


「新たな契約書だ。このまま公賊として陛下に仕えぬか」


 アルダンはキール元帥を睨みつつそれを受け取り、立ち上がった。そして、不敵に笑うとそれを真っ二つに破り、更にもう半分に引き裂いた。皆が驚いてそれを眺める。彼は潮風に契約書を投げ捨てた。四つの白い紙片が風に舞う。


「俺は犬じゃねえ」


 そして彼はしゃがむと、目を見開いてそれを見ていた国王と王女の頭に手を置いた。


「お別れだ、国王陛下殿、内親王殿下殿」


 その時その場にいた全員が思った。そうだった、彼らはもはやこの世で一番血の繋がりの深い、たった三人の親族なのだと。


「また、会えますよ。叔父上」


 そうかな、と海賊は笑うとセシルを振り返った。歩み寄り、鳥の羽の耳飾りを一つ差し出した。


「返すよ」


 セシルが戸惑っていると、彼は続けた。


「もう俺には必要ないから」


 そして彼は懐から小刀を取り出した。赤みを帯びた木の柄、木の鞘で、螺鈿で花の装飾が施してある。


「祝いだ。よく斬れるぜ。……前に渡しそびれたからな」


 セシルは彼に何かをねだった覚えはない。恐らくその渡しそびれた相手は梅鈴メイリンだろう。おそらく、その耳飾りも。


「俺はあんたからまだ続きを聞いてない。生きて帰ったらって約束だったろ」


 優しい声に、セシルははっとした。隣でシェールが苛ついている。


「あの……私は、ね。考えたんだけど……」


 シェールが彼女をじっと見つめる。彼女はそれに気付く気配もなく続けた。


「私は梅鈴じゃないし、その人の記憶も持ってない……私は私だよ。だから……」


 その先に詰まると、アルダンはくすっと笑った。


「知ってる」


 彼はもう行こうとしたが、シェールが呼び止めた。


「俺には祝いはないのか?」


 アルダンは少し考えて、いきなりシェールにゲンコツをお見舞いした。これには全員が驚いた。


「―――っ、痛えっ!何しやがる!」


 頭を押さえ、涙目で睨むと、目の前に先程のものよりは大きい小刀が差し出された。黒っぽい木の鞘には、やはり螺鈿で梅の花が描いてあった。


「とっとけ」


 素直にシェールは受け取り、礼を言った。アルダンはセシルの目を見た。


「お別れだ。将軍殿」


「また……会えるんでしょ?エートスに帰ったら、いろんな所の話を聞かせて。ね?」


 しかし彼は船縁に歩いて行った。振り返り、呟く。


「たしかに俺には居場所はなかった。この地上には。……けど、海にはあった。俺はこれから帰るんだ」


 すぐ隣の海賊船では彼の部下達が、頭の帰りを待っていた。


「お別れだ」


 最後に彼はシェールとセシルと握手を交わした。セシルはぽつりと呟いた。


「あなたはこれからも……その人を探しに?」


 彼はセシルの手を握ったまま、青い瞳を見つめて言った。


別了ビェラ我的愛人ウォーダアイレン


 彼が船に戻ると、セシルの部下のラシュタットが言った。


「追わなくていいんですか?海賊ですよ!」


 それに返答したのはアンドレイだった。


「まあ、そう急くこともないよ。今日くらいいいじゃない」


 すると海賊船からアルダンの声が聞こえた。


「てめえら喜べ!今日は鬼ごっこをしなくて済むぞ!久々にパーッといくか!」


 続いて彼の部下、ラクス=ユゴーの声がする。


「おおい、てめえら!今日はお頭の失恋記念だと!パーッといくぞ!」


「ばかやろう!」


 ラクスがぽかっと殴られ、甲板からは笑いが起きた。セシル達は彼らを敬礼で見送った。だが、彼らは振り向きもしなかった。


「帰ろうか」


 アンドレイの言葉を皮切りに、元帥達はシェールの船に戻った。


「帰ろうか」


 セシルの手をとり、シェールが微笑む。


「ええ」


 彼女も微笑んだ。明るく柔らかな日差しの中、二人はそっとキスをした。


「仕事中ですよ」


 それを掻き消すようにラシュタットが言う。


「うるせえ、分かってら!」


 真っ赤にした顔を向けて、シェールが言う。ラシュタットや部下達は笑っていた。

 港では今頃、テオドリックとマリアが二人の帰りを待っているだろう。この後港に戻れば退官式だ。


「また後でな」


 シェールは頬を赤らめそう呟いて、船に戻った。その背中を追いかけ、セシルは潮風を胸いっぱいに吸い込んだ。


「碇をあげて!帆を張れ!」


 船の上が活気づく。

 少し伸びた銀の髪をなびかせ、潮風に彼女は目を細めた。






(完)

完結です!こんなに長く書いたのも初めてで、さらに見切り発車だったので、最初は不安でしたが評価や感想などがいつも励みになりました。


ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございます。次からは10話ほど、番外編を掲載しています。本編には直接関係ありませんが、どうぞそちらもお読みください。

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