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134 月下罪人 3

 カルディリア王宮で会議が開かれてから数日後。夜、ラシュトンは王宮の庭を散歩していた。月が綺麗な晩で、近頃は少し寒くなってきた。これから長い冬がくる。そう思った時、白い葉の陰で何かを見た。


「誰だ!」


 思わず声を荒げ、剣に手をかける。

 木の陰にいたのは、幼いシャルトレーズ国王アンドレイだった。


「あ……ご、ごめんなさい……」


 無断で庭に入ったのを咎められると思ったのか、アンドレイはすっと立ち上がって出ていこうとした。ラシュトンがそれを引き留める。


「構いませんよ。どうです、綺麗な庭でしょう。……それよりも、歩き回って大丈夫なのですか。お熱は?外はもう肌寒いですよ。そんな薄着では、風邪をひいてしまいます」


 彼はアンドレイと並んでベンチに座った。自分の上着を脱ぎ、幼い国王にそっと掛ける。


「いったいどうなさったのです、こんな時間に。お付きの方も心配しておられるでしょう」


 俯いて黙っていたが、アンドレイは呟いた。


「僕は……嘘つきです。父上に、シャルトレーズのためならば死ねると約束したんです。……でも、僕は本当は……死ぬのが怖い。戦争の責任をとるということは……死ぬってことでしょう?つまり、処刑。……僕は断頭台に立つのも、絞首台に立つのも恐ろしくて……」


「それは皆そうですよ。誰も死ぬのは恐ろしいものですから」


 ラシュトンは隣に座るアンドレイの頭を撫でた。


「でも僕は嘘をついたんです。……国のために死ぬことも出来ない弱虫だ。僕がこんなだし、クレールも皆困ってしまうし……もう、僕は死んでしまいたい」


 ぎょっとしてラシュトンは彼を見た。恐らくこの少年は、自分が何を言っているかすら分かっていない。死にたくないから早く死にたいなど―――。


「それだけは駄目です」


 すると、アンドレイは目に涙をいっぱいに溜めてラシュトンを見上げた。


「僕は生きることも出来ないし、死ぬことも出来ない。どうすればいいんですか」


 ぼろぼろと大粒の涙が落ちる。瞬きもせずに、彼は泣いていた。


「私は、あなたを断頭台に送ったとしても、真に平和は得られないと思います。だって、そうでしょう?平和のためにまた誰かが死ぬなんて、間違っている。私にも私の正義がある。アストレーズ国王の好きにはさせません。私は出来る限りやってみるつもりです」


 ラシュトンはハンカチを渡して続けた。


「だからあなたもそんな滅多なことは口に出してはなりません。辛いことから逃れるには、死ぬしかないなんてあり得ない。他にも道はある。それに、死ぬことでは何の解決にもなっていない。ただ途中止めして、悲しむ人を増やしただけです」


 アンドレイはハンカチに染み込む涙を見た。


「あなたは、父上みたいです……」


 ラシュトンが微笑んだ。


「嬉しいお言葉です。私は実は長いことあなたの父君に憧れていました。私も王となったからには、誠実王と言われるほどになりたくて」


 その人を、この手で傷つけたこともあった。だが、不思議と間違っていたとは思わない。

 でも、と彼は続けた。


「私は父王を殺してしまいました……とてもあなたの父君、スキロス二世のようにはなれません」


 不思議そうな顔をして、アンドレイは彼を見た。


「前に父上がおっしゃってました。スキロス一世はそれはそれは慈悲深く、また勇敢な人で―――守るためなら悪魔を恐れず、助けを求めるならば敵をも助け―――父上は、スキロス一世のようになりたくて、同じ名前を名乗ったのだそうです。けれどやっぱり生きる時代も環境も違うから、とても同じにはいきません。けれど……彼になれなくても、彼と同じ道を歩むことは出来ると。彼のように生きていけば、もっと大きなものも見えてくるかもしれないと」


 そこまで喋って、アンドレイははっとして顔を上げた。


「スキロス二世になることは出来なくても……父上みたいになることは、出来るかもしれない」


 ラシュトンは再び彼の頭を撫でた。


「そのためには、こんなところで死んではいけませんよ」


 ふふっと笑ってアンドレイは月を見た。


「ああ、カルディリアでは月は白っぽく見えるんですね」


「シャルトレーズでは違いますか」


「ええ。もう少し黄色くて―――たまにこんな風に白っぽくなりますけど」


 つられてラシュトンも月を見て、ふと思った。そういえば、最近はこんなに月を見ることがなくなった。何事かにかまけて、いつも書類ばかり見ていた。月は、こんな色をしていただろうか。

 その時、ラシュトン付きの女官がやって来た。月の色と同じ髪の色。たしか、彼女の名前は月の石という意味だった。


「ラシュトン様。お部屋に葡萄酒をお持ちしておりますが」


 分かった、と言って彼は立ち上がった。


「ルナリア、シャルトレーズ国王殿をお部屋まで送って差し上げろ。それから、お薬湯をお持ちするように。長話をしてしまった。お体が冷えていらっしゃるだろう」


 ぽかんと口を開けて、アンドレイは彼女を見ている。


「あの……私に、何か……?」


 はっとして、アンドレイは口をつぐんだ。


「い、いえ、なんでも!あの、綺麗な髪だなあと思って……失礼しました!」


 アンドレイは女官に案内され、部屋に戻った。二人の後ろ姿を見て、ラシュトンは微笑んだ。それにしても、彼女はあんな綺麗な髪だっただろうか?彼女がアンドレイに見せた優しい笑顔が、ふと頭に焼き付いた。幼い頃から見ていたが、彼女はあんな綺麗な目をしていただろうか?

 だがそれ以上考えるのは止め、上着を羽織ると、彼は自室へと向かって王宮の廊下を歩いていった。


 アンドレイは体調を崩してから、医師に会議への出席を 見合わせるよう言われた。会議には、代理として宰相クレ ールが出席していた。そんなある日、クレールが帰ってき て、安堵の表情を浮かべて言った。


「陛下、今日全てが終わりました。明日はどうしても調印 式に出席していただかねばなりません。こればかりは代理 のサインが使えませんので」


 もう平気だよ、とアンドレイは笑う。


「昨日言ってた通りになった?」


 ええ、と宰相が頷く。


「結局振り出しです。しかし王は国でもある。あなた様の 体に傷がつく代わりに領土を削ってしまいましたが、それ は同じことです。陸戦隊も削れと言われたので、なんとか ハルヴァティア地方をアストレーズの植民地として渡し、 またその他も削りました。……結局、この二つの戦争が始 まる前と変わらなくなりました」


 この戦争で、結局世界が疲弊しただけになってしまった 。


「賠償金は?」


「ラシュトン殿のおかげで、払わなくても済みました。先 に挑発行為を行ったのはカルディリアであるとお認めにな ったのです」


 そう、とアンドレイは呟いた。 負けた国に全ての罪を着せ、挑発行為など行っていない としらを切ることも出来る。勝てば正義のはずだ。アンド レイは父のスキロス二世を語るラシュトンを思いだし、小 さく笑った。 ふと見ると、クレールは泣いていた。白髪の恰幅のよい 宰相が子どものように泣いているのを見て、アンドレイは 首を傾げた。


「どうしたの、クレール」


 てっきり敗れたことがまだ悔しいのかと思っていたが、 そうではなかった。


「ようございました」


 え?とアンドレイは聞き返した。


「本当にようございました。陛下が生きていらして……ま た、お守りすることが出来ないのかと思っておりました。 本当にようございました」


 幼い国王が、白髪の宰相の頭をまるで子どものように撫 でた。


「大丈夫だよ。……僕は生きてる」


 それもこれもクレールのおかげだね、と彼は笑った。


「僕もいずれ、父上みたいな王になってみせるよ。どこよ りもシャルトレーズを素晴らしい国にするよ。今は戦争で ぼろぼろだけど、また皆が笑える国にするよ。誰もが羨む ような、住みたくなるような……素敵な国にするよ。だか らね、クレール、早く泣き止んで」


 宰相は思わず吹き出した。壮大なことを並べておいて、 だから泣き止んで、とは。


「あなた様はきっと、素晴らしい王になりますよ」


 泣きながら笑い、宰相は言った。みっともないよ、とア ンドレイからハンカチを渡されても、宰相は暫くそうして 泣きながら笑っていた。


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