13 王子アンドレイ
朝から慌ただしい日だ。パーゼル大将のもとを、現国王夫妻と王女、それに王子が視察に来るのだ。
シャルトレーズ王国は国王が軍事統率権を持つ。そして王妃は名目上、その補佐官とされている。王女と王子はまだ幼いが、いずれは司令官だ。
一家揃ってのいきなりの視察に、パーゼル大将は驚きを隠せなかった。
「よいか、くれぐれも無礼のないようにな」
焦った顔で念を押す大将を、部下達は面白そうに見ていた。といっても、対応するのは中将以上なので、そのほとんどが関係のない者だ。
「パーゼル。どう、軍の具合は」
「陛下!」
ひょっこりと顔を出したのは、国王スキロス二世だ。セシル達よりも一回りほどしか年齢は変わらないはずだが、貫禄のある人物だ。金の綺麗な短髪は潮風になびき、緑の瞳はとても楽しそうだ。単なる視察のため、軍服は着ていない。
パーゼルはビシッと敬礼した。
「は!陛下のおいでと伺って、兵士達はいつにも増して力が入っております!」
「結構。ところで、そろそろアンドレイにも軍の空気というものを見せてやりたくてね」
「王太子殿下にですか?」
スキロスはちらりと後ろを見やった。少し離れた所で王妃テオドラと、八歳になったばかりの王女フィーネ、六歳の王子アンドレイが何かを話している。その傍には当然のことながら、侍従が控えていた。
「ああ……いずれはこの国を背負って立つ身。私も総司令官として戦場に赴くが、そこで戦死してもおかしくはない。早いところアンドレイを軍に馴れさせておく必要がある。私もあれくらいの時に銃を教わったものだ」
「では今日は陸戦隊をご覧になると?」
「そのつもりだったけど……海上部隊も訓練があるの?」
ええ、とパーゼルは答えた。
「シェール=ロシュフォード中将とマリア=エレノール中将が指揮をとります」
「それなら私と妻はそちらへ行くよ。アンドレイは任せた。フィーネは適当に馬術でもやってくれ」
あまりにも放任な言葉を残し、スキロスは妻子の方へ歩いていった。
その隙にパーゼルは四人の中将を集め、先程のことを話した。
「では私達は国王陛下と王后陛下をご案内すればよいのですね?」
シェールが訊ねる。
「ああ、よろしく頼む。私も後で行くからな」
「では、私が内親王殿下をお世話いたしましょう」
申し出たのはテオドリックだ。
「では、私が王太子殿下を……」
セシルが言う。あっさりと決まったが、パーゼルはほっとしているようだった。
「ねえセシル、今度はあれ!あの的を狙って!」
父親と同じ金の髪に緑の大きな瞳。王太子アンドレイはやんちゃな盛りだ。猟銃に弾をこめるセシルの腕を、ぐいぐいと引っ張る。
周りでは、兵士達が射撃の訓練をしていた。近くにセシルと王子がいるせいで、少しやりにくそうだ。
「王太子殿下。先程から撃っているのは私ばかりです。ご自分でなさいませんと、いざというとき銃を撃てませんよ」
セシルの言葉に、アンドレイは猟銃に手を伸ばした。六歳の少年には少し大きい。
セシルはアンドレイの後ろにまわり、自分の肩に銃床を当てた。左手で筒を支え、右手でアンドレイの小さな手を持ち、引き金に触れる。
「いいですか、照準を合わせて……」
アンドレイが目を細める。セシルはアンドレイの手を握る手に、ほんの少し力を込めた。
アンドレイがびくっとして手を握る。と同時に引き金が引かれ、勢いよく弾が飛び出した。
的のまん中よりも少しずれた位置に穴があく。
半分口が開いたまま、アンドレイはセシルを振り返った。
「手伝った……?」
「いえ、殿下がご自身で引き金を引かれたのです」
セシルがにこっと笑うと、アンドレイも笑い返した。
「ほんと!?見て!ほとんどまん中だよ!」
「さすがです。殿下には才能がおありのようですね」
それから暫く的を狙った後、アンドレイは馬に乗りたいと言った。
射撃訓練は部隊の大佐に任せ、セシルは自分の馬を用意し、王子を乗せて自分が手綱を握った。
射撃練習場の向こうには、森が広がる。セシルはその中へ馬を駆った。
「ねえ……セシル。僕もいつか、あなたみたいになれるかな」
「殿下?」
アンドレイは鞍についた持ち手を握り、セシルを振り返った。
「だって、父上もおっしゃっていたけど……ゆくゆくは僕はこの国を治めなければならないんでしょう?なのに……できるかな」
「殿下。まだずっと先の話でございますよ。それに、先程は軍事の才能だってお見せになったではありませんか」
「けれど……不安になるんだ。このシャルトレーズ王国はこれから大変だって、宰相のクレールが言ってた。もしかしたら、一国で世界を相手にしなければならないって」
そう言って、下を向く。
確かに、今は外交があまり上手くいっているとは言えない。最悪の事態だって考えられるわけだ。
幼い瞳は真剣そのもので、むしろ痛々しい。
「大丈夫ですよ。例えどうなっても、私達は殿下の味方です。それにそのようにお考えならば、今、しっかりとお勉強なさるのが一番です」
アンドレイはセシルを見上げた。そして、本当?と尋ねた。セシルが笑い返すと、アンドレイはとびきり明るい顔になり、馬を走らせるようせがんだ。
しっかり掴まっていてください、と言うと、セシルは馬をギャロップさせた。二人の髪が風になびき、馬が駆けるのに合わせて上下に揺れる。
心地よい―――。
将来の国王の、まだ声変わりしていない笑い声が響く。
共に笑うかのように、草木の緑が揺れた。




