117 風樹之嘆 2
アンドレイが新国王となってから暫く後。セシルとアルダンが帰国した。
「叔父上……」
広間で呟くアンドレイを横目に、アルダンは悲しそうな目をした。窓の外を眺め、ぽつりと言う。
「バカ野郎が……形見になっちまったじゃねえか……」
彼は桜の柄の着物の袖を握った。スキロスが王都から親征する少し前、彼は桜の柄の着物をアルダンに与えた。別にいいのに、と言うと、褒賞も何もなしではこちらが困ると弟は笑っていた。
まったくこんな古い柄の着物をどこから手に入れたのか。大方、玉蘭国皇帝を通しているのだろうけれど。以前、着物が血で汚れたと言ったのを覚えていたのか。つくづく似てない弟だ、と感心する。
二人の間にあるテーブルの上には、折れた剣が置いてあった。
「するとなんだ……竜の剣は契約切れ……剣を使った代償に、あいつは死んだのか」
悲しげにアルダンが言う。アンドレイは頷いた。
「ええ、ヘファイストースの話によれば」
それから彼は叔父をちらりと見た。
「叔父上は……父上だけのお味方ですか。それとも……」
新しい王は続きを濁した。アルダンはふっと息を吐き、馬鹿馬鹿しそうに去っていった。
「んなもん聞くだけ野暮だろうが」
その背中にアンドレイはありがとうございます、と声をかけた。
セシルは海軍部の医務室にいた。夕方、アンドレイがそこを訪ねた。人の声がする。アンドレイは扉の前で立ち止まった。従者にむかって人差し指を立てて口許へ持っていき、黙っているように指示した。
「なんということだ……。そんな……もう嫌だ、なんでも構わない!海軍を辞めてくれ!」
叫んでいるのはセシルの父、オルトス=コシュード陸軍大将だ。
「早く結婚して海軍を辞めてくれ!そうだ、ヴィッツェン殿で……いや、彼は、そうか……うむ、もう誰でもよいわ!文官とて構わぬ!」
「ですからコシュード大将、私が今日はそのことでお話があると……」
これはシェールの声だ。だが突然、オルトス=コシュードは声を荒げた。
「黙っていてもらおう、ロシュフォード中将!こうなった一因はあなたにもあるんですぞ!」
「ここは医務室だぜ、大将さんよ」
アルダンの声だ。むう、と唸り声がして、オルトスは黙った。
沈黙が流れる。いつまでも扉の外にいるわけにもいかず、アンドレイは部屋に入った。
「陛下……!この度はまことに……」
ベッドに寝ていたセシルが体を起こそうとする。アンドレイはそれを制した。
「セシル、もうパーゼル大将から聞いているだろうけれど、あなたにはこのままファリシア要塞に戻ってもらおうと思う」
アンドレイは従者に合図して、箱を差し出した。上品な紫の箱には、質素だが美しい白い勲章が入っていた。
「へ、陛下……これは……」
セシルが口をぱくぱくさせる。
「白鱗勲章。こんなところで悪いけど……あなたに受け取ってほしいんだ」
「身に余る光栄でございます、陛下」
「全て聞いたよ。何もかも。辛いと思うけど、あなたを信頼している。これからもシャルトレーズのために尽くしてほしい。ちゃんとした授与式もしてあげられないし、僕はこんなことをしてしか、あなたを励ませられないけれど……」
白鱗勲章は、海軍の中で最も栄えある勲章の一つだ。もっとも、それに伴った地位などなく、功労のあった者に贈られるものだ。
「真ん中はダイヤか?」
アルダンが、中央の透明な石を覗き込む。アンドレイがにこりと笑う。
「さすが叔父上」
「そいつだけ売ってもなかなかいい値がつくぞ」
「あなたねえ……!」
セシルが勲章を貰った恥ずかしさを隠しながら、アルダンを睨む。
その様子を見て、シェールは胸にぽっかりと穴が空いたような気がした。無言で笑い合う二人を見る。
「だから申し訳ないけれど、コシュード大将。セシルに辞めてもらうわけにはいかないんだ。ほんとごめん」
オルトスは焦ってしどろもどろになりつつ、何をおっしゃいますやら、と言った。悲しそうに笑いながらアンドレイが言う。
「いいよ、分かるよ。僕も……父上と母上に、帰ってきてほしかったから」
その場の空気がしんとした。それを掻き消すように、従者が退出を促す。涙目を隠しながら、アンドレイは部屋を出た。
その後、それぞれの部下に連絡を受け、満足な話も出来ないまま、オルトスとシェールは医務室を出た。
セシルに背を見せ、アルダンは戸棚を開けた。中の薬品を物色する。
「ちょっと、あなたねえ……何やってんの?」
「ちょっと失敬するだけだ。お、見ろよ、これなんか……」
茶色く萎び、カサカサした物体をセシルに見せる。
「何よそれ?」
「これ高いんだよな。玉蘭であの薬屋、ぼったくった値段つけてたから買わなかったんだ。何だと思う?」
さあ、と彼女は首をすくめた。アルダンはいたずらっ子のように笑う。
「ガケウサギの耳のミイラ」
セシルは気味の悪いものでも見るかのようにした。本当に高いんだぞ、とアルダンが付け加える。
そこから暫く二人は黙っていた。沈黙を破ったのはアルダンだった。
「なあ、本当に……本当にあの螺鈿の髪飾りに見覚えはねえんだな?」
セシルはこくんと頷いた。
「ええ……残念ながらね」
そうか、とアルダンは悲しそうに呟いた。
「忘れてくれ……」
彼の声はセシルの頭の中で、幾重にもこだました。




