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104 石の砦

 港を出て再び海を行く。セシル達はエルシャンデル海を越え、アストレーズとの国境近くにあるファリシア要塞のすぐ近くまで来ていた。日暮れ間近の海は肌寒い。


「閣下……様子が変です」


 彼女の部下であるラシュタット中尉が言った。


「変?何かあった?」


 彼は要塞の方角を指して言った。


「聞こえませんか、戦闘の音です……」


 セシルは乗組員に黙るよう指示し、耳を澄ませた。たしかに波と風の音の間に聞こえる。


「最悪の事態も想定出来るわ……海上からの攻撃用意と、陸戦隊の準備を!」


 急に船が慌ただしくなった。

 最悪の事態とは、ファリシア要塞が占拠されてしまうことだ。そうなれば上陸は不可能となり、アストレーズからの敵の侵入口になってしまう。

 セシルは冷や汗をかいた。何をするのが正しいんだろう。分からない。だが、迷いは死に繋がる。迷っていることを部下に知られても、それは士気に関わる。心臓がどきどきした。今はただ、願うばかりだ。




 ファリシア要塞に近付くと、セシルは望遠鏡で陸の様子を見た。思った通り、攻防を繰り広げている。ぱっと見ただけでは戦況は読めない。海には敵船がいたが、かなり遠くにいる上、敵の後方を守っている。挟撃は難しい状態だった。

 そもそもカルディリアは北にあるため冬は海が凍り、アストレーズは海に面する海岸線が短い。そのため、両国は海軍はあまり発展せず、シャルトレーズとは正反対に陸軍が主に活動しているのだ。そのせいか、敵の船はシャルトレーズ海軍との戦闘をわざと避けているように見えた。


「仕方ない、陸戦隊は私が指揮を執るわ。残りは引き続き海上を警備すること。ラシュタット中尉、あなたに任せる。必要なら戦闘も許可する。……ああ、帰りの便は今予約しておくわ。出来ればこの船の船長室がいいわね」


 その言葉にラシュタットはくすっと笑った。


 船を陸につけ、セシルは兵を率いてヴィッツェンの守るファリシア要塞に向かった。


 太陽が沈みきってもなお薄暗い中、ヴィッツェンのもとに兵が転がり込んだ。


「中将、援軍です!海軍のコシュード中将が陸戦隊を率いてこちらへ進軍中です」


 援軍という言葉にヴィッツェンは嬉しそうな顔をした。しかしその兵はなんとも言えない表情をしている。どうしたのかとヴィッツェンは訊ねた。すると兵は答えにくそうにもごもごと口を動かしたあと、沈んだ声で言った。


「あの、コシュード中将は、その、あざなが……」


 当然ヴィッツェンの耳にも入っている。彼は顔をしかめた。


「ふざけるな。そんなことを心配していたのか、愚かにも程がある。言われる方の身にもなるがいい!今後そのような世迷い言を抜かす兵は私の前に連れてこい!そのような馬鹿げた噂をし合う力があるなら、もっと他のことをしろ!」


 あまりの剣幕に恐れをなして、兵は早々にそこを去った。

 外は雲が出てきた。一気に暗くなる。辺りがすっかり闇に沈んで少し安心した時、セシル達がファリシア要塞に到着した。


「申し訳ありません、あまりに暗くて途中で迷いかけてしまったので遅くなってしまいました……」


 少し恥ずかしそうに彼女が言う。しかしヴィッツェンは歓迎した。


「少ないですが、物資も持ってきました。必要なら海上輸送も可能です」


 光を抑えているため薄暗いが、荷車には食糧や火薬、武器があった。


「ありがたい!陸からの補給がなかなか来なくて困っていたんです」


 お疲れでしょう、とヴィッツェンは司令官室に彼女を通した。

 そこは窓がなく、石造りで頑丈だが、なんとも冷たいところだった。蝋燭一本の明かりが全てだ。

 棺桶の中みたい、とセシルは思った。


「戦闘が続いているのですか」


 椅子に座って一息つきながらセシルが訊ねる。


「ええ……だいぶ。先程も言いましたが、陸からの補給がなかなか来なくて……。士気も下がるし、大変でした。しかし、また盛り返せるでしょう」


「夜襲は?」


「まあ、この暗さですし……一応警戒はさせていますよ。しかしここにはシャルトレーズ陸軍が誇る大砲がありますからね。それに、いくつか溝を掘ったり、他にも罠をしかけてあります」


 そうですか、とセシルは頷いた。ここは今までヴィッツェンが守ってきて持ちこたえたのだ。彼に任せるのが一番だろう。

 セシルは壁の石の繋ぎ目を見た。隙間なく埋められているのに、なんだか寒い。思わず腕を擦ったのを見て、ヴィッツェンが毛布を出した。


「寒いですか?」


「いえ、大丈夫です!」


 気を遣わせてしまったかと、セシルは慌てて否定した。

 しかしヴィッツェンは毛布を持ったまま隣に座り、二人の肩から背中を覆うように毛布をかけ、セシルの肩を抱いて引き寄せた。思った以上の体温の温かさに、セシルは何の抵抗も出来なかった。さらにセシルは自らその体重をヴィッツェンにまかせていた。


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