婚約破棄された無能な私、王都の結界を止めたら3日で崩壊しました〜今さら土下座されてももう遅いので、隣国で正当に評価されます〜
王宮の大広間は、やけに静まり返っていた。
普段なら貴族たちのざわめきが絶えない場所だというのに、今日に限っては、誰もが息を潜めている。
その中心に立たされているのは、私だった。
「エリシア・ヴァルノワール。お前との婚約を、ここに破棄する」
玉座の前でそう宣言したのは、この国の第一王子、レオニード殿下。
まるで芝居の台詞のように整った声音だったが、その目には一片の情もなかった。
――ああ、やっぱり来たか。
内心でそう呟きながら、私は軽く息を吐く。
「理由をお聞きしても?」
形式的に尋ねると、殿下は鼻で笑った。
「決まっているだろう。お前が“無能”だからだ」
広間に小さなどよめきが走る。
けれど、それは驚きというよりは「やはり」という空気だった。
「王宮魔術師でありながら、攻撃魔法の一つも満足に使えない。華やかな戦果もない。そんな者が王妃になるなど、国の恥だ」
「……なるほど」
「だが安心しろ。代わりは既にいる」
殿下の隣に一歩進み出たのは、白い衣に身を包んだ少女だった。
「聖女ミレイユだ。彼女こそ、この国にふさわしい存在だ」
柔らかな微笑み。透き通るような声。
「エリシア様。今までお疲れ様でした」
その言葉は労いのようでいて、どこか勝ち誇っている。
「これからは、私が皆様をお守りします」
拍手が起きる。控えめだが、確実に。
私はそれを、ただ静かに見ていた。
「……以上だ。エリシア・ヴァルノワール。お前を王都から追放する」
「承知しました」
あまりにもあっさりとした返事に、殿下の眉がわずかに動く。
少しは取り乱すと思っていたのだろうか。
「最後に何か言うことはあるか?」
「そうですね」
私は一歩だけ前に出て、軽く頭を下げる。
「では――止めますね」
「……何をだ?」
問い返す声に、私は微笑むだけで答えなかった。
王都を出るのに、そう時間はかからなかった。
元々、持ち物は少ない。
必要なのは、ほんの少しの衣類と、最低限の生活道具だけ。
城門をくぐるとき、背後から誰かの視線を感じた。
振り返ると、そこにいたのは見慣れない男だった。
黒髪に落ち着いた瞳。装いからして貴族――いや、他国の使者だろう。
「……興味深い方ですね」
小さく呟く声が、風に乗って届いた気がした。
けれど、私は足を止めなかった。
もう、振り返る理由はない。
異変は、三日で起きた。
最初は些細なものだった。
王都周辺で魔物の出現が増えた。
次に、天候が乱れ始めた。
晴れていた空が突然曇り、雷が落ち、強風が吹き荒れる。
そして――
「結界の出力が、急激に低下しています!」
王宮の魔術師たちが悲鳴のように叫ぶ。
「何だと!? 原因は!」
「不明です! ですが、このままでは――」
外壁を守る結界に、ひびが入る。
それは目に見えるものではない。
けれど、魔力を扱う者なら誰もが理解できる“崩壊の前兆”だった。
「ミレイユ! どうにかできるだろう!?」
縋るように叫ぶレオニード殿下。
聖女は顔を青ざめさせながら、必死に祈りを捧げる。
光が広がる。
けれど――
「……だ、駄目です……抑えきれません……!」
その声は、絶望的だった。
「なぜだ! お前は聖女だろう!?」
「わ、わかりません……こんなの……」
外では既に、魔物の群れが城壁に押し寄せていた。
そして誰かが、ぽつりと呟く。
「……エリシア様が、いなくなってから……」
その一言が、広間を凍りつかせた。
辺境の小さな村は、静かだった。
王都とは違い、空気は穏やかで、風も優しい。
ただし――結界の外側に近い分、本来なら危険な場所でもある。
それでも私は、問題なく暮らしていた。
「……来ましたね」
扉を叩く前から、気配でわかる。
「入っても?」
「どうぞ」
扉を開けて入ってきたのは、あのときの使者の男だった。
「改めて。隣国アルヴェリアの使者、カイルと申します」
「エリシアです。……知っているでしょうけど」
「ええ、もちろん」
彼は部屋を見渡し、そして私に視線を戻す。
「あなたが“止めた”のは、王都の結界ですね」
「さあ、どうでしょう」
とぼけると、彼は苦笑した。
「我が国でも観測されました。世界全体の魔力循環が乱れている」
「大げさですね」
「いいえ。むしろ控えめな表現です」
彼は一歩近づく。
「あなた一人で、あれを維持していたのですか?」
少しだけ、沈黙する。
隠す意味も、もうないか。
「……正確には、“そういう体質”なんです」
生まれつき、魔力を外に流し続ける。
意識せずとも、周囲を安定させる。
それが、私の力。
「王宮にいる間は、結界に接続されていましたから」
「つまりあなたがいなくなれば――」
「維持できなくなりますね」
あっさりと言うと、彼は深く息を吐いた。
「……とんでもない話だ」
「でも、“無能”らしいですよ?」
少しだけ皮肉を込めて言うと、彼は首を振る。
「理解できない者にとっては、そうなのでしょう」
その言葉に、ほんの少しだけ救われた気がした。
王都は、崩壊寸前だった。
結界はほぼ機能を失い、魔物が街中に侵入している。
貴族たちは逃げ惑い、兵士たちは疲弊しきっていた。
「エリシアを連れてこい!!」
レオニード殿下の叫びは、もはや威厳など欠片もない。
「どこにいる!?」
「辺境の村にいるとの報告が……!」
「すぐに向かう! 馬を用意しろ!!」
その横で、聖女ミレイユは震えていた。
「わ、私は悪くありません……こんなの……知らなくて……」
誰も、答えなかった。
数日後。
私の家の前に、豪華な馬車が止まった。
扉が開き、転がるように降りてきたのは――元婚約者だった。
「エリシア!!」
息を切らし、泥にまみれた姿。
かつての威厳はどこにもない。
「……お久しぶりです、殿下」
「頼む……戻ってきてくれ……!」
いきなり、地面に膝をつく。
「お前が必要なんだ! このままでは国が――いや、世界が滅ぶ!」
その必死さに、嘘はないのだろう。
けれど。
「無能に任せるのは、不安では?」
静かにそう返すと、彼の顔が歪んだ。
「そ、それは……」
「攻撃魔法も使えず、戦果もない、役立たず……でしたよね?」
一歩近づく。
「そんな者に、世界を任せるんですか?」
言葉が、突き刺さる。
彼は何も言えない。
「……条件があります」
「な、何でもする! だから――」
「あなたの王位継承権の放棄」
「なっ……!?」
「それと、聖女ミレイユの国外追放」
彼の顔が蒼白になる。
「そ、それは……」
「無理なら、別に構いませんよ」
くるりと背を向ける。
「私は、ここで静かに暮らしますから」
「ま、待て!!」
必死の声。
長い沈黙のあと――
「……わかった」
絞り出すような声だった。
結界を再び起動するのに、時間はかからなかった。
元々、止めていただけだ。
王宮の中枢に立ち、ゆっくりと魔力を流す。
世界が、応える。
乱れていた流れが整い、崩れかけていた均衡が戻っていく。
外では、魔物たちが次々と退いていった。
空は晴れ、風は穏やかになる。
「……終わりました」
振り返ると、誰もが言葉を失っていた。
その中で、元王子だけが深く頭を下げていた。
「……すまなかった」
「もう終わったことです」
興味はなかった。
本当に。
数日後、私は王都を離れた。
今度は追放ではない。
自分の意思で。
「本当に来ていただけるとは」
城門の外で待っていたのは、カイルだった。
「あなたの国は、ちゃんと評価してくれるんでしょう?」
「もちろんです」
彼は穏やかに笑う。
「少なくとも、“無能”とは言いません」
「それなら安心ですね」
少しだけ、笑みがこぼれる。
馬車に乗り込み、王都を後にする。
振り返ることは、もうなかった。
世界は、変わらず回り続ける。
けれど今度は――
「ちゃんと、正しく評価される場所で」
小さく呟く。
それだけで、十分だった。
世界は、ようやく正しく回り始めたのだから。




