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灰色の空と、金の狼  作者: 灯薄
【始動編】
9/15

8. 期待




カリッ、カリッ、と、小さな音が静かな部屋に響く。


部屋の中では、仄かに香る獣脂蝋燭の匂いと、石壁の隙間から入り込む冷たい夜気が混ざり合っていた。

すっかり夜になり、手元を照らすのは頼りない蝋燭の炎のみ。


その中で、私は集中して机と向き合っていた。


「そうですそうです!かなり上手になってきましたね!」

「ありがとうございます」


傍らで私を見守る茶髪の侍女、フィデナが褒めてくれる。

うんうん、と頷く彼女は、どこか満足げだった。


木枠にはめ込まれた薄茶色の蝋。そこへ鉄筆を滑らせると、白い線が浮かび上がる。


所謂、蝋板というやつだ。


鉄筆の反対側でこすってならし、少し温めると蝋が溶け、平らに戻るという仕組みになっている。

紙が高価なため、私は繰り返し使うことが出来る蝋板を使って文字を書く勉強をしていた。


紙と違って何度も繰り返し使用することが出来るうえ、持ち運びの簡単なのでかなり便利だ。

ただ、体温で蝋が少しずつ溶けてしまうので、毎回手に蝋がついてしまうのが玉に瑕だが。


「最初の頃は勢い余って木枠に穴をあけたり、不快な音を立ててしまって申し訳ありませんでした……」

「今は冬なので、どうしても蝋が固くなりすぎてしまうんですよねー」


始めた当初は、キィッというユリア激昂(ブチギレ)確定のナイフと皿が擦れ合ってしまったような音が、よく部屋に響き渡っていた。


その度に二人は硬直し、隣室から苦情を受けていたのである。

それでもやめようとは思わなかったし、フィデナも見捨てずに付き合ってくれた。


フィデナとは相部屋で、かなり仲良くなっている。

妹のようだ、ということで可愛がってもらえているのだ。


「そろそろ、区切りを付けましょうか。明かり用の蝋も勿体無いですしね」

「はい」


まだまだやりたかったが、そろそろ日付が変わる時間である。

付き合ってもらっているフィデナにも申し訳ないので、私は一区切りついたところで鉄筆を置く。


ミミズが這うようだった文字は、今や子供が書く字くらいまでには成長していた。


小さくとも、間違いなく前進している。


確かな達成感が、胸の中に芽生えた。


暫く自分の文字を眺めた後、次にすぐ使えるようにこすってならし、表面を整える。

それをゆっくり温めると、表面がとろりと溶け、滑らかになった。

蝋板を置き、椅子から立ち上がった私は、亜麻の手ぬぐいで汚れた指先を拭う。

すっかり黒く汚れてしまった手ぬぐいを丁寧に折りたたみ、鉄筆の隣に置いた。


「消しますねー」

「了解です」


ふっとフィデナが蠟燭に息を吹きかけると、部屋が完全に真っ暗になる。

消えた蠟燭から立ち上る煙を、窓から差し込む月の光が照らした。


「明日は、メディクス様とお話しするんですよね」

「ええ。貧民街の件だとか」


そんな雑談をしつつ、私は木枠に藁入りの寝具を敷いた寝台に身を滑らせた。


「メディクス様は面白い方なので、期待しておいてください」

「分かりました。楽しみにしておきます」


()()レオナの弟だ。


こう言っては悪いが、きっとレオナとはまた別の方向で変な人なのだろう。

なんでも医学の研究者らしいが。


城に来てから退屈する事がない日々に、私は小さく笑った。


蝋板は持ち運びが簡単で、大変重宝されたそうです。

書いた文字は縁が真っ直ぐなへらのような道具を使って削り落とします。

ちなみに『文字が全部消された状態の蝋板』のことをラテン語で「タブラ・ラーサ」と言います。

『白紙』という意味でもあるので、どこかで聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

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