7. 過酷
従者として初めての日は、一瞬で終わった。
いや、正確に言えば従者の訓練の日だったが。
レオナはまず体調を整えてからにした方がいいと言ってくれたのだが、私がどうしてもと頼み込んだのだ。
既に一週間休みをもらっていたので、これ以上怠惰に過ごしていてはかえって良くないと思ったのである。
第一王女付きの従者など、本来は7~14歳の頃から練習を重ねた人間が行う仕事だ。
王女と誰よりも近くにいる存在であるため、王族から信頼される貴族の三男などが就くことが多い。
よって貧民街出身であり、礼儀がよくわからず敬語も怪しい、字も読めないし書けない私は猛練習する必要がある。
即ち、寛大なレオナの指示によるユリアとの完全一対一別室授業であった。
「重心が偏っていますよ。それではすぐ木板が落ちてしまいます」
「は、はい」
まず取り掛かったのは、姿勢を美しく保つ訓練だった。
適当な大きさの木の板を頭の上に重ねて置き、その状態のまま歩くのである。
一見簡単そうに見えるのだが、意外と難しい。
特につい先日まで貧民街に居てやせ細り、体力のない私ではなおさらだ。
「木板ばかりに気を取られているせいで、足音が出ていますよ。音もなく歩いてください」
「……分かりました」
ユリアの指示にさえ集中することが出来ない。
部屋を一周するというのが一先ずの目標だったが、もう10回は失敗している。
1度落とせばやり直しで、なかなかきつい。
「ゆっくり過ぎですよ。もう少し早く歩きましょう。そうですね、もう暫く練習しても出来ないようでしたら、レオナ様から本をお借りしてそちらでやりましょうか。金貨5枚ほどの価格ですので、落とせないですよ」
非常に穏やかに教えてくれるユリアが、怖い。
その微笑みから、完璧に教えてやろうという侍女の矜持がひしひしと伝わってくる。
大変有難いのだが恐怖でもあった。
最後のは流石に冗談だろうが、ちっとも笑えなかった。
1歩、1歩、1歩。
何時間も練習し、昼前になってようやくユリアが満足できるほどまで上達した。
短時間で人は成長するものである。
まあ、それ相応の努力が必要となるが。
「お疲れ様です。では、昼食にしましょうか」
非常に嬉しい食事の時間だが、これを舐めてはいけない。
今度は食事のマナーの勉強だ。
「王族付きの従者は、時に格式高い場で食事をすることもあります。その際に最低限の作法を知らなければ、レオナ様や最悪この国に泥を塗ることになります」
「はい」
私の行動1つで、国の評判を落とす可能性があるということだ。
全く、恐ろしい世界に入り込んでしまったものである。
私は密かに唾をのみ、椅子を引いて座った。
本日の献立は、少し粗めのスライスされた白パンに羊のチーズが少々、そして鶏肉とポロネギのポタージュ煮込み。
練習用にかなり豪華である。
「まず、姿勢を正してください。……そう、そうです。肘をもう少しゆったりと。張り過ぎてはいけません。テーブルと胸の間には隙間を開けましょう。左手は膝の上です」
なんと、まず正しく座るだけで一苦労だった。
背筋を伸ばして食べることがほとんどなかったので、こうして改めてやってみると肩やら背中やらが地味に痛い。
そもそも私の場合椅子に座るということさえなかったので、慣れないことばかりだ。
時にはユリアに手を貸してもらい、何とかそれらしく座ることが出来た。
「まずはポタージュから頂きます。共用鉢で出されることも多いですが、今回は1人用の深皿です。基本的に手は添えず、食べるときには顔を近づけ過ぎてはいけません」
「こう、ですか?」
「ええ、お上手です」
ユリアは、貴族の娘らしい。
幼い頃から習ってきたらしく、まさに完璧な手本だった。
分かりやすく実践してくれる彼女に、私も真剣に練習する。
「スプーンは右手で持ちます。自分の手前から奥へと掬いますが、掬う量はスプーンの半分から7分目ほどまでにします。口に運ぶ際、体を少しだけ前に傾けスプーンを水平に保ちましょう」
「分かりました」
「唇を軽く閉じて静かに口に含みますが、決して音を立てて啜ってはいけません。下品に見えてしまいます」
「は、い」
貴族とは、大変だ。
これを子供の頃からやっているとは正気ではない。
本当にここまでする必要があるのかという細かさである。
しかし、それはともかくポタージュが本当に美味しい。
やや黄金がかった淡いクリーム色のポタージュは、少しとろみがあって食べやすい。
そして鶏の優しい香りとポロネギの青い香りがたまらない。
鶏の澄んだ旨味の後に来るポロネギの甘みが最高だ。
口の中でゆっくりと味が広がり、体に染み渡っていく。
碌なものを食べたことがない私でも、時間を掛けられて作られていることくらいは分かるので恐怖だ。
病人用の食事の時から思っていたのだが、これほどいいものを私が食べていいのか不安になる。
「リヴィア殿は要領が非常に良いですね。初めてとは思えません」
「いえ、そんなことは決して。とても出来るようになる気がしません」
「様付けは不要です。そして、今の私の言葉はお世辞ではありませんよ」
途中からは、そんな会話をすることが可能なほどに成長した。
これまた大声では喋ってはいけないらしいが。
「次はパンです。ナイフで切ることもありますが、ここでは手でちぎっても良いでしょう。一口分ずつ口に運びます。最初に全てちぎってはいけません」
「なるほど」
全部ちぎっておけば楽なのでは、という私の考えはあっさりと否定された。
そちらの方が遥かに効率的に食事ができると思うのだが、不思議である。
食事が終わった後は、再び姿勢の訓練だ。
「今度は壁に背をつけて真っ直ぐ立ちましょう。その姿勢を3時間保ってください。従者には耐久力が必要です」
さらりと告げられたその言葉は、私が絶句するには十分過ぎた。
これでユリアからすれば優しめなのだから、1周回って笑えてくる。
「私が幼い頃は一日中無言で立ち続ける修行をやりましたからね。頑張りましょう」
怖い怖い闇が深い。
そんなこんなで、あっという間に時間が過ぎて行った。
***
「お、やってるな」
突如レオナが様子を見に来たのは、本当に3時間立ち続けて私が死にかけていたころだった。
子山羊のように足を震わせる私に、レオナは苦笑する。
「無理はするなよ。倒れられては困る」
「承知、し、ております」
最早これは拷問ではないかという苦行を終え、私が返事をするとレオナは困ったように笑った。
そしてすぐに表情を改めると、彼女はおもむろに口を開いた。
「明日、私の弟が来る。お前もその場に立ち会え。なんでもメディクスはお前に興味があるらしい」
「私に、ですか」
レオナに弟がいるということを今初めて知ったうえ、明日来るとはかなりの不意打ちである。
立ち続けている間にユリアによって鍛えられた表情が早速崩れてしまった。
ユリアが視界の隅で額に手を当て、首を振っている。
これは追試かもしれない。
「ああ。あいつは医学の研究をしているからな。貧民街の状況も知りたいんだろう」
「なるほど、そういうことでしたら」
ようやく納得できた。
食事中にユリアから聞いたのだが、この国は女王制らしい。
王子は王女と比べるとかなり気楽な立場なのだとか。
それでも王族であることには変わりはないので、責任は色々と付き纏うらしいが。
「じゃあ、頼むぞ。明日は朝から私に付け。未熟な所は私が補ってやる」
「ありがとうございます」
こうして、私の明日の予定が決まった。
もう少し早めに教えておいて欲しいものだが、きっと急遽決まったことで仕方がないのだろう。
私はそう思っておくことにした。
ネギやタマネギはかなり昔からあったんですね。
この物語は一応『中世ヨーロッパ風異世界』が舞台なんですが、中世ヨーロッパになかったものはあんまり出したくないので控えめにしています。
あと、ポタージュの材料載せときます。
・鶏肉(小さめの部位)
・ポロネギ(西洋ネギ)
・タマネギ
・お好みでアーモンドミルク少々
・塩、胡椒
・少量のサフラワー(色付け程度なので、人参や卵黄で代用可能)




