12. 同族
いたって真面目に差し出された手を、私は沈黙のまま眺める。
これを取っていいものか判断が付かなかった。
静かに、穏やかにこちらを見てくるメディクス殿下の瞳は優しい。
彼の隈のある顔は、慈悲と同情、哀憐などが混ざった複雑な表情で彩られていた。
この場の謎の空気感にまるで合わないその温かい態度が、更に私の思考を混乱に陥れる。
「……ありがとう、ございます?」
「ええ。……これからよろしくお願いします」
私は散々迷った末に、メディクスの手を取った。
彼の骨と青い血管が目立つ男性らしい手は、ひんやりとしている。
よく見ると、洗っても落ちなかったのか指の先には薬草の色がついていた。
「……おい、“姉上被害者の会”とは何だ」
「そのままの意味です」
頬杖をつきながらこちらを見ていたレオナが突っ込みを入れる。
それに対しメディクスは、哀れみさえ含まれる視線を彼女に向けた。
「御自身にも覚えはあるのでしょう?私に無理難題を吹っかけるのは日常茶飯事、リヴィアに関しては言うに及ばず。我々を被害者と呼ばずしてどうしましょう」
「……」
思い当たる節は沢山あるのか、レオナは黙り込む。
自覚はしていることが分かったので、私は場違いにも安心してしまった。
「……まったく。本当に意味のない無茶な要求であれば、こちらも断ることが出来るというのに」
メディクス殿下がぼそりと呟く。
それに反応し、私が彼に向きなおると、彼は遺憾そうに口を開いた。
「姉上が無茶振りや、一見奇行にしか見えないことをされるときは、必ず理由が存在します。御本人ですらぼんやりとしか分かっていないときであろうとも、その行動が裏目に出たことは一度もありません」
「なるほど……」
『では、このリヴィアを出会った意味を、そして彼女の価値を証明して見せましょう』
レオナが、アウグスト様に言い放った言葉だ。
自信満々に、確証をもって紡がれた信頼の証だ。
まだ、私がレオナの従者になった影響は特にない。
悪い事は起こっていないが、城や国に良い変化をもたらしたとも言えない状態でもある。
それでも、レオナがこの宣誓を撤回したり、後悔する様子はなかった。
まるで言葉通りになると知っているかのように、迷いのない彼女の態度には何度も疑問を持った。
たかが貧民街の子供との出会いに、何故意味があると確信できるのか。
そして何故、アウグスト様はすんなりと私をレオナ付きの従者に任命したのか。
それらが全て、これまでのレオナの実績を加味したからだとしたら―——?
一体彼女は、いままでどれだけの信用を勝ち取ってきたというのだろう。
気難しそうな雰囲気を持つメディクス殿下や、博打を打つようには見えないアウグスト様が信じようと思えるだけの、信用を。
私はレオナに対する認識を改めた。
彼女はやはり、化け物だ。
「メディクス、それはともかく貧民街の話を聞くんじゃなかったのか?」
「……そうでした」
素で忘れていた様子のメディクス殿下は、彼の侍女から紙と羽ペンを受け取る。
彼は素早くインクを羽ペンに染み込ませ、すぐに記録が出来る姿勢をとった。
「私の話が、そこまでの価値を持つとは思えませんが……」
「そこまでの価値を持ちますよ。貧民街の衛生状況を知るのには、実際に住んでいた者の話を聞くというのが一番確実で正確な情報の手に入れ方です」
「そうですか……」
完全に研究者としての思考モードに代わった彼が、口の端を吊り上げる。
私には、彼が何に喜びを覚えているのかさっぱり分からなかった。
だが、爛々と輝くその瞳は、間違いなくレオナの弟のものだった。
この頃は大体2種類のインクがありました。
メディクスが使っているのは煤と水、アラビアゴムを使って作られた炭インクで、もう1種類がオーク(ナラ、カシなどの総称)の虫こぶと硫酸鉄、アラビアゴムと水で作られた鉄ガルインクです。
炭インクの方がメモに使われたようですね。鉄ガルインクは公文書の方によく使われたようです。




