第二十四話 灰の町、残る音
【――夕暮れは、
終わりではありません。
燃え残ったものが、
もう一度、
名を持つ刻です。】
江戸に着いたとき、
空はすでに、暮れかけていた。
赤とも、灰ともつかない色が、
町の上に、低く広がっている。
船着き場の喧騒は、
確かに生きている音だった。
人の声。
荷の軋み。
縄の擦れる音。
けれど――
その奥に、
消えない静けさがあった。
一年前の、江戸の大火事。
火のあとにだけ残る、
沈んだ音。
市松と篝は、
言葉少なに歩いていた。
通りに並ぶはずの家は、
ところどころ途切れている。
焼け落ちた柱。
黒く崩れた梁。
新しく組まれ始めた足場。
人は戻ってきている。
暮らしも、戻り始めている。
それでも、
町の底にはまだ、
あの夜の熱が残っていた。
(……ここで)
市松の胸の奥が、
静かに鳴る。
音音が、
最後に目撃された場所。
倉の跡地。
そこにはもう、
倉の形は残っていなかった。
黒い土。
焼けた石。
崩れた木片。
ただ、
「何かがあった」
という気配だけが、
そこに沈んでいる。
市松は、
足を止めた。
風が、
灰をわずかに揺らす。
そのときだった。
(……あ)
思い出す。
市松は、
篝の帯元へ視線を向けた。
「篝さん」
「ん?」
「その帯飾り……
印が、ありますよね」
篝は、
一瞬だけ黙った。
そして、
小さく笑った。
「よく見てるね」
夕暮れの光の中で、
帯飾りの金属が、
わずかに鈍く光る。
「……もしかして」
市松は、
息を呑む。
「篝さんにも、
不思議な力が?」
篝は、
静かに首を振った。
「ないよ」
迷いのない否定。
「音音みたいな力は、
あたしにはない」
声は穏やかだった。
けれど、その奥に、
消えない痛みがある。
「じゃあ……どうして」
篝は、
灰の地面を見つめたまま言った。
「――誘き寄せるため」
市松の胸が、
強く鳴る。
「音音は、
印を持つ女が狙われてるって、
気づいてた」
風が、
低く通り過ぎる。
「だから……
殺された」
言葉は静かだった。
けれど、
夕暮れの空気を、
鋭く裂いた。
「犯人を、
見つけるために」
篝は、
帯飾りに触れた。
「あとから、
印を刻んだの」
囮。
その意味が、
重く沈む。
「……危ないです」
市松の声は、
思ったより強かった。
篝は、
少しだけ笑う。
「もう遅いよ」
その瞬間だった。
――風が、止まった。
空気が、
ひとつ沈む。
背後。
音。
速い。
殺気。
「篝!」
市松が叫ぶより早く――
刃が、
夕暮れを裂いた。
狐面の侍。
迷いのない踏み込み。
一直線の斬撃。
だが。
――ギィン!!
鋼が、
ぶつかる。
火花。
黒い覆面の男が、
その刃を受け止めていた。
低い構え。
揺れない足。
静かな呼吸。
狐面が、
間合いを引く。
次の瞬間、
再び踏み込む。
速い。
しかし――
黒覆面の刃が、
最小の動きでそれを逸らす。
流れ。
返し。
一瞬の隙。
狐面の肩口に、
浅い傷が走った。
血。
狐面は、
迷わず退く。
闇へ――
逃げた。
静寂。
夕暮れが、
ゆっくり戻ってくる。
黒覆面の男は、
刀を下ろした。
そして――
覆面を、外す。
現れた顔。
市松の目が、
見開かれた。
「……朔之介」
篝の声が、
震える。
花村朔之介。
かつての、
花叢座の看板役者。
本多正継を殺した男。
朔之介は、
深く頭を下げた。
「……すまない」
低い声。
「全部、
話さなきゃならない」
市松と篝は、
言葉を失ったまま、
ただ見つめる。
「ついてきてほしい」
朔之介は言った。
「ここじゃ、
話せない」
夕暮れの空は、
もうほとんど夜だった。
⸻
そして、
連れて行かれた先で、
二人は――
息を止めた。
高い塀。
重い門。
沈んだ静けさ。
そこは。
江戸城。
さらに奥。
女たちだけの、
閉ざされた世界。
大奥。
【――真実は、
いつも遠くではなく、
最も深い場所に、
隠されています。
すべての始まりへ、
物語は――
戻ろうとしていました。】




