第二十話 声を聴く者
【――祭りは、
祈りと、忘却でできています。
人は、
騒ぎながら祈り、
笑いながら、
大切なものを見落とします。】
夜の神社は、光で満ちていた。
石段の下から、提灯が続く。
赤。橙。金。
灯りは風に揺れ、
まるで火が列をなして昇っていくようだった。
境内には、屋台が並んでいる。
焼き団子の甘い匂い。
醤油の焦げる匂い。
綿菓子の白い湯気。
油で揚がる音。
銭の触れ合う音。
子どもの笑い声。
酔った男の大声。
夜は、にぎやかだった。
にぎやかすぎるほどに。
けれど――
その中心だけが、
静かだった。
拝殿の前。
白木の舞台が、月の光を受けている。
人々は、そこへ近づきすぎない。
楽しげな声も、
その手前で、少しだけ低くなる。
祭りの名は――
死の巫女祭り。
古くから続く、
この地だけの夜。
市松は、人の流れの端に立っていた。
この祭りの噂だけは、
貴船に来る前から耳にしていた。
死の巫女。
声を越える巫女。
生と死の境に立つ女。
伝承は、どれも曖昧だ。
曖昧なのに、
なぜか消えない。
⸻
太鼓が、低く鳴った。
どん。
……どん。
屋台の喧騒が、
少しだけ遠ざかる。
笛が入る。
細く、まっすぐな音。
その瞬間――
空気が変わった。
舞台の奥から、
白い影が現れる。
巫女装束。
白と紅。
月光を受けて、
布が淡く光る。
凛だった。
歩みは遅い。
けれど、迷いがない。
一歩ごとに、
足音が消える。
まるで――
地面に触れていないように。
手には、
鈴。
小さな鈴。
銀の光。
そして――
刻まれた、
印。
市松の呼吸が、
止まった。
(……あれは)
凛が、舞い始めた。
袖がひらく。
空気がほどける。
足が滑る。
月光が揺れる。
鈴が鳴る。
ちりん。
……ちりん。
その音は、
祭りの音とは違った。
屋台の音でも、
太鼓の音でも、
人の声でもない。
もっと――
遠い音。
生まれる前から、
知っているような音。
市松の胸が、
強く打つ。
鼓動ではない。
呼び声に近い。
(……聞こえる)
距離はある。
けれど、届いた気がした。
鈴の向こうから、
誰かの声が――
⸻
舞は、静かに終わった。
最後の一音。
余韻だけが、
夜に残る。
人々は、
しばらく動かなかった。
やがて、
小さなざわめきが戻る。
祭りの音が、
ゆっくりと息を吹き返す。
⸻
市松は、
拝殿の奥へ向かった。
神主が、
白い灯の下に立っている。
「……あの鈴は」
市松は言った。
「印の刻まれている鈴は、
何ですか」
神主は、
少しだけ目を細めた。
若者を見る目ではない。
確かめる目だった。
「あれは――巫女の鈴のレプリカです」
静かな声。
「本物は、
もう残っておりません」
「では、
あの印は」
「死の巫女の印です」
神主は言った。
「伝承では――
巫女の力は、
女にしか宿りません」
「男は、
その力を持たない」
市松は、黙って聞いた。
「ですが」
神主は続ける。
「男たちにも、
役目がありました」
「巫女の鈴を介して――
どれほど離れていても、
巫女や、その血を引く女の
声を聴くことができた」
市松の胸が、
強く鳴る。
「女が力を持ち、
男が声を聴く」
「その二つで、
一族は守られてきたのです」
夜風が、
境内を抜けた。
提灯が揺れる。
遠くで笑い声。
祭りは、続いている。
けれど市松の中だけが、
静まり返っていた。
(……だから)
理解が、
ゆっくり形になる。
死の巫女の力を継ぐ――
女。
だから、
狙われる。
そして。
(……俺は)
胸の奥で、
確信が生まれる。
遠くから届く音。
名を呼ばなくても届く声。
向こうから続く、
かすかな旋律。
(……音音)
偶然ではない。
意味がある。
声を聴く者。
それが、自分。
ならば。
音を受け取る理由は、
ひとつしかない。
助けるため。
市松は、
静かに目を閉じた。
祭りの喧騒の中で、
ただ一つの音だけを探す。
遠い。
けれど、消えていない。
ちりん、と。
胸の奥で、
鈴が鳴った。
【――声は、
距離で消えません。
届くべき者へ、
必ず届きます。
それが――
運命と呼ばれるものです。】




