焔冠の王子は拳で神の失敗作を殺す、異端の侍と地雷女子コーデのだる系天才魔導士、聖女候補と挑む試練の迷宮
王立魔導研究院・第七分室。
王城の最奥に設えられたその区画は、幾重にも織り成された結界と沈黙の魔法により、外界の時間すら切り離されていた。
白金の魔導紋が刻まれた高天井には、淡い光球が星の配列のように浮かび、思考を研ぎ澄ますためだけに整えられた空気が満ちている。
その厳かな空間に――ひとつの“存在”が足を踏み入れた。
黒と白のフリルを重ねたスカート。
柔らかな透け感を宿したブラウスは、儀礼服の形式美を意図的に外し、左右で意匠の異なるニーハイと厚底のブーツが、計算し尽くされたバランスの崩れを描き出す。軽やかな足取りでありながら、その歩幅は床に刻まれた魔法陣を少しも乱さない。
淡いピンクベージュのハーフツインと、やや重めの前髪。
大きな瞳に施された丁寧なメイクは、無垢さと意図的な可憐さを同時に宿し、見る者の判断を一瞬だけ鈍らせる。胸元で揺れる祈りの十字は、信仰の象徴でありながら、すでにひとつの装飾品としてその世界観に溶け込んでいた。
王都ではまず見ない、そして受け入れられない装い。
だが――ここは第七分室だ。
才能と成果のみが、存在価値を決める場所。
部屋の奥、魔導端末と書類に囲まれた執務机の向こうで、所長がゆっくりと顔を上げる。年齢を測らせない端正な美貌。視線は鋭く、しかし感情の揺らぎを含まない。
「……魔法学においては名門フェルメリア家の血を引く者だと聞いていたが……たしか、次男と」
淡々とした声が、静寂を切り裂く。
所長の視線が、頭から足先までを一度だけなぞった。
その沈黙のあいだ、天井の光球がわずかに明滅した。
少女のような容姿を持つその人物は、静かに一礼する。動作は完璧に礼式的でありながら、フリルがふわりと揺れ、場の空気をわずかに柔らげた。
「はい。……外見については、ご期待に沿えない部分もあるかと存じます」
声は澄んでいて、過度な媚びはない。
そこに怯えはなく、ただ事実を述べる落ち着きがあった。
所長は一瞬だけ眉を動かし、それから小さく息を吐く。
「構わん」
即答だった。
「第七分室では、成果さえ出してもらえれば、何者でも問題ない」
そう告げると、所長は再び書類へと視線を戻す。
まるでそこにいるのが、奇抜な研究員であろうと、無機質な魔導装置であろうと、等しく扱うかのように。
――それが、この場所の流儀。
リリア・ル・フェルメリアの唇に、ほんのわずかな微笑が宿った。
かつて王都に現れた“異世界からの客人”。その者が遺した絵巻――異世界の文化に触れたあの日から、理解していた。
世界は、装いひとつで見え方を変える。それは、価値基準さえ、塗り替えられる。
荘厳な研究室の空気が、ほんのわずかに揺らぐ。
錯覚か、それとも――新たな才能が持ち込んだ、微細な変化の兆しか。
「席は空いている」
所長は顔を上げぬまま、淡々と続けた。
「……好きに使え」
リリアは、もう一度だけ深く頭を下げる。
「――ありがとうございます」
絵巻仕立てのあざとさを全身にまとった天才が、王国最高峰の知の領域へ、静かに足を踏み入れた瞬間だった。
水色と白を基調とした羽織が、静かに風をまとった。
袖口を鋭く裂くように走る白の段――だんだら模様は、異国においては決して、一般的とは言えぬ意匠でありながら、不思議とその場の空気を引き締めていた。
羽織の下には、動きやすさを重視した浅葱色の着物。
腰には反りのある大小二振りの剣を帯び、紋付袴につつまれた佇まいは、武士の実戦装束そのものだった。
しかし、その仕立ての良さは一目で分かる。布の選び方、仕立ての細やかさ、寸分の狂いもない着付け、そこには、鍛え抜かれた戦装束でありながら、貴族の血筋に由来する気品が確かに宿っていた。
長い青銀の髪は高く結い上げられ、額には鉢金。そこに刻まれた一文字「誠」。
異国の志士――新選組。
そう呼ばれた者たちの象徴を、その身に余すことなくまとっている。
“ヒジカタ・ソウシ”と名乗るその剣士は、凛と背筋を伸ばし、微動だにせず前方を見据えていた。
武士口調は鋭く、簡潔で、無駄がない。だが、言葉の端々に残るわずかな柔らかさが、聞く者の胸に微かな違和感を残す。
白く細い指先。刀の柄を握る所作ににじむ、育ちの良さを隠しきれない優雅さ。
――彼、いや。
その正体が、ローゼンクロイツ家の令嬢ユーフェミアであることを、完全に覆い隠すことはできていなかった。
幼い頃、ユーフェミアは屋敷の奥深く、誰にも顧みられず眠っていた一冊の書物と出会った。
それは、かつてこの地に招かれた“異世界の東方から来た客人”が遺した、新選組の記録書。
忠義を貫き、「誠」を掲げ、仲間と命を預け合い、刃の先にすべてを託して生きた者たちの記録。
誰にも理解されず、読まれることもなかったその書を、唯一読み解いたのが彼女だった。
そこに描かれた侍の生き様は、単なる物語ではなかった。
それは、どう生きるかという問いへの、明確な答えだった。
貴族社会において、血筋と形式、社交と体裁に縛られる生き方の中で、ユーフェミアにとって侍とは、憧れを超えた“指針”そのものとなった。
だからこそ、選んだ。
理解されぬ道を。
笑われ、忌避され、奇人変人、異端者とささやかれる道を。
同じ令嬢たちは距離を取り、社交界は彼女を話題にし、家名を汚す存在だと眉をひそめる者もいた。
――だが。
そのすべてを、黙らせるものがあった。
一閃。
無駄のない踏み込み。
刃が描く軌跡は研ぎ澄まされ、気配は静かで、殺気すら制御されている。
剣を知る者ほど、息を呑む。その技量と剣先の鋭さに、誰もが目を奪われずにはいられない。
侍の威風と、令嬢の気品。
相反するはずの二つが、奇妙なほど自然に調和したその姿は、確かに異質で、そして強烈だった。
“ヒジカタ・ソウシ”。
それは仮初の名でありながら、同時に――ユーフェミアが選び取った、生き方そのものだった。
王都ヴァレンティア。
王城の地下に設けられた軍機室は、玉座の間とは異なる重圧を宿していた。飾り気はない。壁一面に刻まれた古い戦史と、無数の刃傷の跡が、この場所が「語られる場」ではなく「決断される場」であることを物語っている。
その中央に、ひときわ大きな影が立っていた。周囲の空気をわずかに震わせるほどの圧を放ち、誰もが思わず息をのみ動きを止めている。
王国第二王子――
ガルディウス・レガリア・ヴァルハイト。
十六歳とは思えぬ巨躯。
紅色の金髪は獣のたてがみのように逆立ち、赤みを帯びた金の瞳は、すでに数え切れぬ戦場を見据えてきた者の光を宿している。鎧をまとわずとも分かる、鍛え抜かれた肉体。立っているだけで、周囲の空気が軋む。
民は彼をこう呼ぶ。
焔冠の王子。紅蓮の王子。
そして――戦を愛し、血の匂いに笑う破壊王子。
「――《滅葬虚宮》に入る」
宣言は短く、迷いはなかった。
軍機室に集められていた将軍、騎士団長、王立魔導院の高官たち、冒険者ギルドのマスターが、一斉に息を呑む。
その名は、王国において“禁忌に近い危険領域”を意味していた。
深度、構造、魔力濃度――すべてが異常。
生還者は極端に少ない。
いや、正確には――ほとんどいない。
過去、王国が誇る精鋭たちが、幾度となくそこへ挑んできた。
将軍自らが選び抜いた前線指揮官。前騎士団長が率いた近衛の精鋭。王立魔導院が総力を挙げて編成した魔導戦団。
冒険者ギルドが「これ以上は出せない」と断言した高位ランクの冒険者たち。
だが――
帰ってきた者は、指で数えるほどしかいなかった。
生還者の多くは、深部の構造を語ることすらできず、語れた者も、揃って同じ言葉を残している。
「――あれは、ダンジョンじゃない」
内部には、“神の失敗作”とまで噂される異形が潜む。
挑んだ精鋭たちは、力尽き、道半ばで倒れ、あるいは――存在ごと、消えた。
だからこそ、その名が口に出された瞬間、この場に集う全員が、言葉を失ったのだ。
「殿下……年齢をお考えください」
誰かが、恐る恐る口を開く。
だがガルディウスは、獣じみた笑みを浮かべた。
「年齢?」
低く、熱を孕んだ声。
「弱い理由にはならん」
拳を握る。それだけで、空気が震えた。
「拳ひとつで届かぬ場所があるなら、行くだけだ。――あそこには、“壊し甲斐のあるもの”がいる」
軍機室に沈黙が落ちる。
彼がただの血気盛んな王子ではないことを、ここにいる全員が理解していた。
問題はひとつ。誰を同行させるか。
「殿下が単独で向かうことは、王が許可しません」
老将軍が、低く告げた。
「なら、連れて行く」
即答だった。
「条件は三つだ」
ガルディウスは、赤金の瞳で集まった者たちを見渡す。
「一つ。俺について来られる力があること」
「二つ。俺が殴り合ってる最中に、死なないこと」
「三つ。――俺の邪魔をしないこと」
それは、護衛ではない。共に戦う友の条件だった。
わずかな沈黙ののち、ガルディウスはふと思い出したように付け足す。
「……迅月衆は連れていく」
将軍の眉が、わずかに動いた。
「あいつらは探索、罠の解除、警戒――なんでもござれだ。だが、勘違いするな」
赤金の瞳が、鋭く細まる。
「あいつらは影だ。戦闘する人数には入れねぇ」
一瞬、場の空気が張り詰める。
「前に出るのは、俺と――俺が選んだ連中だけだ」
そう言って、ガルディウスは口の端を歪めた。
「……ま、止めても無駄だろうがな」
獣じみた笑みが浮かぶ。
「言わなくても、黙って付いてくる。そういう連中だ」
その一言で、迅月衆という存在が、単なる隠密部隊ではないことを、この場に集う者たちは思い出した。
彼らは王の影――王権そのものの裏側を担う暗部であり、その影が動くということは、すなわち王がすでに采配を下しているという証だった。
将軍も、騎士団長も、魔導院の高官も、冒険者ギルドのマスターも、誰一人として異を唱えない。
沈黙は、承認だった。
もはやこれは、王子の暴挙ではない。
王国そのものが、ガルディウス・レガリア・ヴァルハイトに迷宮攻略を託した――
そう告げられたに等しい空気が、軍機室を満たしていた。
この場に参列を許されている騎士団の精鋭が前に出る。
魔導院の戦闘魔導士が名を連ねる。
だが、ガルディウスは軽く見ただけで、首を振った。
「遅い」
「弱い」
「守る側に回るな」
選別は苛烈だった。
技量だけでは足りない。覚悟も、野心も、戦場に立つ獣性も求められる。
やがて、数名が残る。
重装でありながら機動力を失わぬ前衛。
詠唱短縮に特化した魔導士。
致命傷すら瞬時にふさぎ止める腕利きの治癒術師。
「決まりだ」
拳を鳴らす。
「俺が前で壊す。お前たちは、死なずについて来い」
誰も異を唱えなかった。
それが、十六歳の王子の言葉であっても。
後に語られることになる。
《滅葬虚宮》に挑み、“神の失敗作”を正面から叩き潰し、その死骸から異形の魔剣《グリム=バルムンク》が引き抜かれた――伝説の始まりの一幕として。
王家が誇る広大な訓練所の一角。
その石床は砕け、壁には焦げ跡と刃痕が刻まれ、結界がなければ城の一角が吹き飛んでいただろう。
その中心に立つのは、紅色の金髪を振り乱した少年――ガルディウス・レガリア・ヴァルハイト。
「遅い」
吐き捨てるような一言と同時に、拳が振るわれる。
重装でありながら機動力を失わぬ前衛が、寸前で盾を滑り込ませた。衝撃は受け止めたが、足元が数歩、無理やり削られる。
「悪くねぇ判断だ。だが――」
ガルディウスの蹴りが、次の瞬間には死角から飛んでくる。
「“次”が遅い」
盾越しでも分かる。これは訓練ではない。生き残れるかどうかの試験だ。
詠唱短縮に特化した魔導士が、ほぼ反射に近い速度で魔法を放つ。火線が走り、前衛の背後を通り抜け、想定された敵影を焼き払う。
「……今のは良い」
ガルディウスは言ったが、次の瞬間には首を振った。
「だが“連打”が続かねぇ。《滅葬虚宮》じゃ、一発で終わる敵なんざいねぇぞ」
治癒術師が即座に詠唱し、前衛の割れた防具と傷を素早くふさぐ。
速度は申し分ない。判断も正確だ。
「治療は完璧だ」
それを認めたうえで、ガルディウスは牙をむいた。
「だが――治してる最中に、お前自身が死ぬ」
沈黙が落ちる。
技量は高い。連携も成立している。だが、それだけだ。
数刻に及ぶ“訓練”が終わり、結界が解除された後。
ガルディウスは瓦礫に腰を下ろし、拳を握った。
(……悪くはない)
事実だ。
王国でも指折りの強者たち。例え帝国を相手取ろうとも、確かな戦果を挙げるだろう。
(だが――最高じゃねぇ)
脳裏に浮かぶのは、《滅葬虚宮》の最奥。
神の失敗作と呼ばれる異形の存在。こいつらと組んで殴りかかったところで届きもしない“絶望的な怪物”。
(この戦力のままじゃ、最後まで辿り着けねぇ)
その確信だけは、どうしても拭えなかった。
「……チッ」
その時だった。
「殿下、面白い噂をお聞きになりませんか」
控えていた近衛の一人が、慎重に口を開いた。
「噂?」
「はい。最近、妙に目立つ連中がいまして」
まず一人目。
「――“ヒジカタ・ソウシ”と名乗る剣士です」
聞き慣れないイントネーションの名前。
だが、続く言葉にガルディウスの目が細まる。
「異国風の装束。奇妙な羽織と二振りの変わった剣を帯び、戦い方は古式ながら、無駄がなく、前に出ることを恐れない」
「……剣士か」
興味が、わずかに動いた。
「口調も独特で、客人由来の武士語と呼ばれるものだとか。見た目も……少々、常識から外れております」
一拍の間。
報告役が、言葉を選ぶように続けた。
「なお――迅月衆のリュウゲツ殿が、“気に入っている”とのことです」
その瞬間、ガルディウスの口角が、わずかに吊り上がった。
「ほぅ?」
低く、楽しげな声。
「あいつが気に入るってのは……よっぽどだな」
リュウゲツは、あまり喋る者がいない迅月衆の中でも最も口数が少なく、誰かを評価することなど、まずない頭領だ。
その名が出たことで、“噂の剣士”は、単なる変わり者ではなくなった。
「……面白ぇ」
ガルディウスは、獣じみた笑みを浮かべる。
「会ってみる価値は、十分ありそうだ。それに変なのは嫌いじゃねぇ」
ガルディウスは笑った。
「次だ」
「王立魔導研究院・第七分室所属の魔法使いです」
その瞬間、空気が変わる。
第七分室――天才と狂人の吹き溜まり。
「ジライ系、と呼ばれる異世界由来の衣装をまとっているとか。正直、見た目だけなら戦場に立つとは思えません」
「ジライ?」
「……意味は、誰も正確には分かっておりません」
ガルディウスは、腹の底から笑った。
「ははっ、最高だな。ジライ系って語感もいい」
そして、続く言葉。
「ですが、魔法の腕は――超一級。詠唱速度、制御力、応用、すべて規格外だと」
笑みが、獣のそれに変わる。
「……ほう」
最後に、近衛は少しだけ声を落とした。
「そして――ミレフィーオ様」
ガルディウスの動きが止まる。
「ご存じの通り殿下の母方のハトコにあたる方です。大地母神グランテルメスの巫女。最近、聖女候補に選ばれました」
思い出す。
穏やかで、明るく朗らかな芯の強い少女。
「力が、急激に伸びていると。治癒、結界、祝福……どれも、従来とは比べものにならないそうです」
ガルディウスは立ち上がった。
拳を鳴らす。
「――噂、か」
紅金の瞳が、愉悦に細められる。
「いいじゃねぇか。足りねぇと思ってた“何か”の匂いがする」
訓練場に残るがれきを踏み砕きながら、王子は笑った。
「集めろ。俺が“最後まで行く”ための連中を」
焔冠の王子は、すでに嗅ぎ取っていた。
伝説に必要な異物の気配を。
刃が、火花を散らして弾けた。
衝撃音が遅れて訓練場に響き、踏み砕かれた地面が波紋のようにひび割れる。
紅蓮の拳と、異国の刀を模した剣が――真正面からぶつかり合った結果だった。
「……ッ、ははっ!」
ガルディウスは一歩引き、獣じみた笑みを浮かべる。腕に走った衝撃が、まだ骨の奥で鳴っていた。
対する剣士は、二振りの刀を低く構え、静かに呼吸を整えている。
水色と白の羽織、袖口に走るだんだら模様が、風に揺れた。
「……ここまで、ですな」
凛とした武士口調。だが、どこか柔らかさを残した声音。
“ヒジカタ・ソウシ”。
奇妙な名を名乗るその剣士は、最後まで一歩も引かなかった。
力で押し潰されることもなく、速さで置き去りにされることもなく――ただ、拮抗していた。
「おいおい……」
ガルディウスは拳を握り、肩を鳴らす。
「防ぐだけじゃねぇ。殺しに来る踏み込み、全部“前”だ」
踏み込みの角度。
間合いの取り方。
無駄のない斬撃と、退かぬ胆力。
(俺が本気で――剣ごと叩き壊しにいったってのに、こいつは力で受けず、綺麗にいなしやがった……)
一瞬の戦闘の中で、幾度もあったはずの“決着点”。それを、すべて潰されている。
(防御じゃねぇ。回避でもねぇ。殺す気の線を、最初から消してやがる)
ガルディウスの口元が、わずかに歪んだ。
(……底が、知れねぇ)
剣士は、ゆっくりと刀を収めると、深く一礼した。
「貴殿の拳、噂に違わぬ威力。正直――背中が凍りましたぞ」
「ははっ! それで逃げねぇのが気に入った!」
ガルディウスは豪快に笑い、剣士を正面から見据える。
そのとき、ふと気づく。
白く細い指先。
汗に濡れた額から零れる青銀の髪。
荒い戦いの中で隠しきれなかった、育ちの良い所作。
「……なるほどな」
視線が、自然と定まる。
「女、か」
一瞬、場の空気が張り詰める。
しかし剣士は、動じなかった。
「――御意。されど、剣を振るう上では、それが何か?」
その返しに、ガルディウスは目を見開き、次の瞬間、腹の底から笑った。
「はははははははッ!!」
訓練場に、獣のような笑い声が響く。
「いいねぇ……最高だ」
一歩、距離を詰める。
見下ろす形になりながらも、その視線に侮りはない。
「俺と拮抗する戦闘センスとはな。これで女ってのが勿体ねぇ……」
一拍。
そして、ガルディウスは肩をすくめた。
「――いや」
紅金の瞳が、愉悦に細まる。
「強けりゃ、性別なんぞどうでもいいか」
笑う。
「ヒジカタ・ソウシ。お前、面白ぇ」
その言葉に、剣士は一瞬だけ目を瞬かせ、やがて、ほんのわずかに――誇らしげに、口元を緩めた。
焔冠の王子と、異国の侍。
その出会いは、確かに“次”へ進む予感をはらんでいた。
王城外縁、研究棟へと続く回廊。
魔導結界の残り香が淡く漂うその場所で、ひときわ場違いな色彩が目に入った。
黒と白のフリル。透け感のあるブラウスに、左右で意匠の異なるニーハイ。厚底のブーツなのに、軽い足取り。
「……うん?」
ガルディウスは足を止め、赤金の瞳を細めた。
「お前、その恰好してるが――」
一拍も置かずに、言い切る。
「フェルメリア家のリザリオンだろ? 同年代にしちゃ、やけにくそ高ぇ魔力だ。一度嗅いだら忘れねぇ――そういう匂いがする」
空気が、わずかに張り詰める。
地雷系と呼ばれる異様な衣装に身を包んだ魔法使いは、ぴたりと足を止め、こちらを見た。
大きな瞳が、ほんの一瞬だけ揺れる。
「……その名で」
声は低く、きっぱりと。
「呼ばない」
次の瞬間だった。
前置きはない。警告も、殺気の予告もない。
――ガルディウスの拳が、空を裂いた。
風圧だけで、回廊の魔導灯が震える。本気の一撃。訓練でも、試しでもない。
「――――ッ!」
リリアの目が見開かれる。
「あ……ぶっ!?」
間一髪。
無詠唱。
展開されたのは、多層式の防御魔法。衝撃を“受け止める”のではない。力の向きをずらし、分解し、逃がす。
拳は、見えない壁に吸い込まれるように軌道を逸らされ、地面を砕くことなく、空振りに終わった。
――完璧。
ガルディウスは、拳を引いたまま、目を見開く。
(……やっぱりな)
内心で、舌を巻く。
(こいつの無詠唱、防御精度――王国一だ)
詠唱短縮ですらない。思考と同時に魔法が発動している。
リリアは、胸に手を当て、小さく息を吐いた。
「ちょ、ちょっと……! いきなり殴るとか、何考えてるの……!」
だが、その声に本気の恐怖はない。むしろ――呆れと、少しの警戒。
ガルディウスは、次の瞬間、豪快に笑った。
「ははっ! 悪ぃ悪ぃ!」
まったく悪びれた様子もなく、親指で自分を指す。
「俺は、ガルディウス。噂通りかどうか、確かめただけだ」
視線が、リリアをまっすぐ捉える。
「前に一度だけ、王家主催の席で見たことがある。フェルメリア家の連中に囲まれてたな。その時から同年代じゃ、やけに目につく魔力してた」
赤金の瞳が、愉快そうに細まる。
「姿はずいぶん変わったが……中身までは誤魔化せねぇ」
リリアは、じっと睨み返し、唇を尖らせた。
「格好と実力は、関係ないでしょ」
「違ぇねぇ」
ガルディウスは、心底楽しそうに笑った。
ふと、思い出したように顎に手をやる。
「そういや……お前、バフ系が得意なんだってな?」
リリアの眉が、ぴくりと動く。
「確認はしたんだ。見た目と違って――いや、見た目通り? 抜け目ないんだね」
赤金の瞳が、面白がるように細まった。
「頭の中まで脳筋だって思わせとく方が、楽しいだろ?」
軽く肩をすくめる。
「ちょっと、掛けてみろよ」
一瞬の沈黙。
次の瞬間、リリアの指先が、わずかに動いた。
詠唱はない。魔力のうねりも、無理に捻じ伏せる感覚もない。
――それなのに。
ガルディウスの体に、違和感なく力が満ちていく。
重さが消え、視界が冴え、呼吸が深くなる。
筋肉が悲鳴を上げることなく、自然に“次の段階”へと引き上げられる。
「……」
一瞬、言葉を失う。
これまで受けてきた強化は、力を“足す”感覚だった。
だが、これは違う。
最初から、その力で在るべきだったかのように、馴染む。
ガルディウスは、ゆっくりと拳を握りしめた。
「……はは」
低く、喉を鳴らす。
「こりゃあ……別次元だな」
視線が、リリアに戻る。
「無理に盛ってねぇ。削りもしてねぇ。ただ、正しい場所に収めてるだけだ」
赤金の瞳が、確かな熱を帯びる。
「――気に入った。これなら絶望的な怪物にも届く。いや、超える」
焔冠の王子は確信する。
この魔法使いは、最後まで辿り着くための“切り札”になり得ると。
そしてリリア・ル・フェルメリアは、この紅蓮の王子が、面倒で、危険で、――だが、とてつもなく“強い側の人間”だと理解する。
二人の視線が、火花のようにぶつかり、それは、戦友になる前の――最初の、衝突だった。
王城外縁、出立前の控え広場。
高い天井を抜ける風が、結界の膜をわずかに震わせていた。
すでに二つの気配が、そこにあった。
水色と白の羽織をまとい、二振りの刀を腰に帯びた異国風の剣士。ヒジカタ・ソウシは、柱にもたれながら静かに刃の状態を確かめている。
そのすぐ近く。
黒白フリルに透け感のあるブラウス、左右違いのニーハイという場違いな装いの魔法使いが、魔導陣を展開しながら指先で調整を加えていた。
「……その角度、三度目でズレる」
「え、ほんと? じゃあ、ここ……?」
「否。もう半歩、外」
「――あ、合った」
短いやり取り。言葉は多くないが、無駄がなく、自然だ。
ガルディウスは腕を組み、その様子を眺めていた。
(……なんだ、この空気)
別に、べったりしているわけじゃないし、笑い合っているわけでもない。
だが――背中を預けているのが、一目で分かる。
「……お前ら」
ガルディウスが口を開くと、二人が同時に顔を上げた。
「なんだ?」
「なに?」
ほぼ同時。間の取り方まで、妙に揃っている。
「……ははっ」
ガルディウスは鼻で笑った。
「聞いたぞ。お前ら――許嫁なんだってな」
一瞬。
空気が、ぴたりと止まる。
「――――違う!!」
声が、完全に重なった。
ヒジカタは顔をしかめ、リリアは即座に否定する。
「形式上、そうなっているだけでござるぞ!」
「家同士の話で、本人の意思とか関係ないし!」
息が合いすぎている。
「はははははっ!」
ガルディウスは腹を抱えて笑った。
「いやいや、焦りすぎだろ」
指を差す。
「でもよ――」
二人を交互に見て、素直な感想を口にする。
「なんか……似合いじゃねぇ?」
「「だから違う!」」
再び、完璧な同時否定。
「……ぷっ」
ガルディウスは肩を揺らしながら笑った。
「否定のタイミングまで同じかよ。こりゃあ、息が合ってるわ」
ヒジカタはため息を吐き、リリアはむっとした表情で腕を組む。
「……この人、無駄に察しが悪い」
「そこは、同意するでござる」
「おい」
その時だった。
「――あっ! みんな、もう揃ってたんだ!」
明るく、澄んだ声が、場の空気を一気に変えた。
振り返ると、柔らかな光をまとう少女が小走りで近づいてくる。淡い色の神官服。胸元には大地母神グランテルメスの聖印。
ミレフィーオ。
第一王子アーシェスとガルディウス、二人の幼馴染。朗らかで裏表がなく、それでいて芯の強さを感じさせる聖女候補の少女。
「遅くなってごめんね! 祈祷がちょっと長引いちゃって」
「おう」
ガルディウスは、自然と笑みを浮かべた。
「相変わらず元気そうだな、ミレフィーオ」
「えへへ。最近、調子いいんだ」
そう言って、ヒジカタとリリアを見る。
「……この二人が、噂の?」
「そうだ」
「よろしくね!」
二人の衣装なんてまったく気にしていない屈託のない笑顔。その瞬間、場の空気がふわりと和らぐ。
ヒジカタは一礼し、リリアは少し照れたように手を振った。
ガルディウスは、三人を見渡し、満足そうに息を吐く。
(……ああ)
(これなら、行ける)
剣と魔法と、祈り。
異端と天才と、聖女。
焔冠の王子は、確信していた。
――ようやく、“最後まで辿り着く面子”が揃ったのだと。
控え広場に、笑い声が響く。
これから待つ地獄のようなダンジョンなど、まだ誰も口にしないまま。
異国の侍が刀を鳴らし、奇抜な装いの魔法使いが魔導陣を畳み、大地母神の巫女が祈りを胸に刻む。
そしてその中心で、焔冠の王子が拳を握った。
剣は誠を掲げ、魔法は理を歪め、祈りは命を繋ぎ、拳はすべてを叩き砕く。
血筋も、常識も、価値観も違う。
正統と異端が入り混じった、歪で不揃いな面子。
――だが、だからこそ。
《滅葬虚宮》の最奥に潜む“神の失敗作”に、真正面から牙を剥ける連中だった。
この瞬間、彼らはまだ知らない。
剣と拳が伝説となり、魔法が歴史を塗り替え、祈りが神に届き、そして一人の王子が――“神殺し”と呼ばれる未来を。
笑って、言い合って、肩を並べているこの時間こそが、嵐の前の、最後の静けさだった。
――それでも。
運命は、もう歩き出している。
剣が抜かれる日へ。
神が殺される日へ。
そして、焔冠の王子の名が、王国中に、そして世界に刻まれるその瞬間へ。
伝説は既に動き出していた。
Fin.
お読みいただき、ありがとうございます。
この物語に登場する人物たちが活躍する本編もあります。
(リリアとヒジカタは少し後の登場です)
もし気に入っていただけましたら、そちらにも目を通していただければ幸いです。どうぞよろしくお願いします。
モケジョの異世界聖女ライフ ~模型神の加護と星降りの巫女の力に目覚めた私~光の王子の距離感がバグっているんですが!
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