1-7. もしかしてここでバイトしてた?
午後のターミナル駅。平日の昼間であるにもかかわらず、そこそこに多くの人々が行き交っていた。ほとんどの人は僕らと同じように、駅前に並ぶデパートとかの商業施設が目当てだろう。僕も普段から月に一度や二度はこの界隈に来て買い物をしている。ただ当然それは自分自身のためのもの目的なので、さて女性の衣料を揃えようとなると、どこに行けばいいのか、ちょっと迷ってしまう。
そんな事情を、改札へと向かいつつ話したら、トートはこう言った。
「大丈夫。任せて」
そして改札を抜けて少し出たところで立ち止まり、あたりを観察し始めたのだった。
僕はその隣に所在なげに立った――改札の前で周囲を眺めるよりかは、まずどこかのデパートに入って探したほうが早いのではと思いつつ。だが「任せて」と言われたからにはそうするしか他にない。
彼女の注意は、立ち並ぶ商業施設にではなく、周囲を歩く人々に向いているようだということに気づいた。なんでだろう、とは思うもののその理由はわからなかった。
駅前をゆく人たちをしばらく眺めていた彼女は、やがておもむろに歩き始めた。その動きに迷いは感じられなかった――さっき喫茶店に向かったときと同じように。僕は彼女の後ろについていく形となった。
まるで慣れた場所に来たかのような足取りだ。僕は彼女の均整のとれた後ろ姿を眺め、いかにも女性らしいその曲線美に、ひとりドキドキしてしまうのだった。これでは心臓がもたないと思った。それでも目を離すことなどまったく不可能だった。
彼女はデパートのひとつへと入った。エントランスを通り抜けたところで、ちょっとだけ僕のほうを振り返り、小さくニコリとした。そしてすぐに前を向き、スタスタと歩き続ける。フロアガイドとかを見るつもりはまったくないようだ。周囲には人が多く、皆ゆっくりと歩いていたけども、彼女は構わずズンズンと進んでエスカレータに乗った。
僕らは行儀良くフロアを上っていった。僕は彼女の後ろ姿を眺めながら、こんなひとと一緒に暮らすことができるという自分の幸運を噛み締めていた。エスカレータを乗り継ぐたびに彼女は僕に視線を投げかけ、小さくニコリとした。
何階かで彼女はエスカレータを降り、足を止めた僕らの目の前にはユニクロの赤い看板があった。彼女は隣にいる僕に顔を向けた。
「ここでいい?」
少し唖然としつつも、僕は頷いた。そして少しばかり安堵した。なぜなら、当然僕の手持ちの資金には低レベルな上限があるからだ――給与もカットされているわけだし。高級ブティックなどは論外だが、そうでなくともちょっとハイセンスな感じのお店とかだったら高確度で破産してしまう――そもそも女性の衣服の相場もわからないのだけど。だがユニクロであればそこまでの心配はないだろう。
それにしても彼女は、当てずっぽでここまで来たのだろうか。適当に進んだ先にたまたまユニクロがあった、と。あるいは、もしかしたら彼女は以前にここに来たことがあるのかもしれない。二駅しか離れていないとはいえ、僕の住む街よりも幾分ここは都会だから、それもありえなくはない。
そんなことを考えている僕を尻目に、彼女は店の入り口近くにスタックされていた買い物カゴを取りあげ、僕に向けて差し出した。
「持ってもらっていい?」
受け取った。
彼女は店の端っこからスタートした。
そこから順に店内を巡り、ところどころで彼女は商品を手にし、僕の持つカゴへ突っ込んだ。その動作には一片の迷いも躊躇もなかった。そのうえ彼女は一度通過したところを二度と通らなかった。まるで最初から全てが決められていたかのようにカゴが商品で埋め尽くされた。
もしかしたら彼女はこの店でバイトでもしていたのではないだろうか。そうとしか説明のつけられない手際の良さだ。いや、そうだとしてもなかなかこうはいかないだろう。感嘆する以外になかった。
もちろん僕に意見が求められることはなかった。カゴに商品を追加する際、彼女が僕の顔色をうかがうことは一度もなかった。ついでに言うと、値札を気にする様子もなかった――ま、彼女にしてみれば自分が支払うわけではないから当然とも言えたが。
カゴが商品で埋まっていくのを見ながら僕は、これはもしかしたら人生初のリボ払いというヤツに手を染めることになるかも、などという慄きを抱き始めていた。だがすぐに、それでも別に構うまいという開き直りの境地になった――彼女と暮らすための必要経費だと考えれば、なんてことはなかった。
店の中を一巡し、最後に僕らは奥のレジの列にたどり着いた。
レジの順番が来るのを待つあいだ、彼女は僕のほうを振り向いてニコリとした。それはなんていうんだろ、まったく他意のない、スマイル¥0みたいな感じだった。つまり彼女は、これらの衣服に僕が金を払うことに対して特に感謝の念を抱いているわけでもなければ、逆に僕と暮らすための服を選んであげたわというような恩着せがましいことを考えているわけでもなく、ただの好意のサインとして微笑みを投げかけただけ、という感じの。僕はどう反応すればいいのかわからなくて、ただ小さく頷いた。そして誤魔化すように口を開いた。
「もしかしてここでバイトしてた?」
「いいえ。なんで?」
「いや、ものすごいスピードで商品を決めてったから。それにまっすぐこの店に来たし」
「ここに来たのは初めて。それに私は雇われ仕事はしたことない」
まっすぐに僕を見ながら彼女はそう返した。
レジ待ちの列はサクサクと進み、僕らの順番となった。レジ担当の女の子は僕らのカゴから丁寧に商品を取り出しては、ひとつひとつ検分するかのように処理をしていった。
金額は、予想していたよりかは、安く済んだ。僕はクレカで支払った。
衣類は二つの大きな手提げ袋に梱包された。ほぼ同じ大きさにまとめられたそれを僕は両手にひとつずつ持った。
店を出たところで僕は立ち止まった。彼女は隣にいて、ごく自然な感じに僕の腕に手を回した。荷物が邪魔をしていて、密着感はなかった。
「他になにが必要かな」
つぶやくように僕はそう言った。視線を向けると、彼女は首を傾げた。さあ、どうかしら? といったふうに。それはあなた次第なのよ、と言われそうな気もした。
「少し回ってみよう」
そう僕が言うと、彼女は頷いた。
それから僕らはぶらぶらとデパート内を歩いた。いろいろな売り場や、ショップのディスプレイなどを眺めて回ったが、トートはそのいずれにも特に関心を惹かれた様子はなかった。かと言って退屈したりウンザリしていたりという感じでもなかった。
輸入物の生活雑貨を扱う店の前に来て僕は足を止めた。なにか必要なものが思い当たるかも知れないと思ったから。すると彼女はふらりと店に入っていったので、僕も後に続いた。
カラフルな商品がお洒落に並べられていた。立ち止まって店内を見回す僕にお構いなしに彼女はまっすぐに奥のほうに進んでいった。色とりどりの石鹸やタオル――それらは目を奪いはするが、なにもこんな割高なところで買うこともないだろう、僕の部屋にはまったく不釣り合いだし――などと考えているうちに彼女が奥から戻ってきた。その手にはなにかが握られていた。
「これ、お願い」
彼女がそう言って差し出したものは歯ブラシだった。
ああ、たしかにこれは必要だ――それを受け取った。そして尋ねた。「他には?」
彼女は首を傾げた。
さあ、どうかしら。それはあなた次第。
陳列棚の商品に目を向けると、とたんになにもかもがよそよそしく見えた。もはや他になにかを探すような気にはならなかった。僕はレジに向かった。
店員が歯ブラシを小さなレジ袋に入れるのを眺めていて、ああ、本当に彼女は僕と一緒に暮らすんだ、ということが急に現実味を帯びて感じられた。
なんだか怖くもあった。
支払いを済ませ、店から出た。そのときの僕の頭は疑問符で埋め尽くされていた。
一緒に暮らすとは一体どういうことなのだろう。僕と、彼女。寝るときはどうすればいいのか。ベッドはひとつ。安物のパイプベッド――そこに一緒に寝るのだろうか。喫茶店で僕が思い描いていたのは彼女と僕が仲の良い夫婦のように暮らすイメージに他ならなかったけど、彼女がそこまでを了解したうえで一緒に暮らすことに同意したわけじゃないだろう。僕らはさっき出会ったばかりなのだ――彼女は僕のことを以前から知っていたようだったが名前は覚えていなかった。どういうつもりで僕と一緒に暮らすことにしたのだろうか。日々の食事だってどうすればいいんだろう。彼女はひょっとして料理ができたりするのだろうか。けどウチには調理器具などほぼ無いに等しいし、食器だって少ししかない――そういうものも買って帰ったほうがいいのかも。でもなにが必要なのかもよくわからないし。
ま、なるようになるだろ――。
酒を飲みたい気分になった。僕は荷物を全部左手に持ち替え、右手でポケットからスマホを取り出し、時間を確かめた。
六時ちょっと前。
「ご飯を食べていこう」
僕は彼女にそう言った。
トートは小さくニコリとし、頷いた。




