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永劫のふたりの道行  作者: 煎豆ことは
エピローグ
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エピローグ

 播木が緊急に呼び出されたのは内覧会から五日が過ぎた頃だ。


 長官からである。なにかやらかしてしまったかと播木は思考を巡らせた。


 内覧会は滞りなく終了したのだ――ひとつ事故はあったものの、それは関係者が巻き込まれたというだけで、会そのものには影響しなかった。一部のスタッフは事故対応に奔走することになったろうが、それでも内覧会は成功裡に終わったし、首相がその場にいるあいだ不穏さを感じさせるものは一切なかった。あれに関して長官から叱責を受けるようなことはないだろう。もはやあの会は誰にとっても過去の話でしかないはず――事故で死亡した夢雲社員だけを例外として。


「失礼します」


 播木は長官の執務室に足を踏み入れた。


 正面のデスクに座っていた佐伯は、部屋の横にある巨大ディスプレイから目を離し、播木に声をかけた。


「来たな、座りたまえ」


 執務机の前に置かれた椅子に腰掛けつつ、播木もディスプレイに目を向けた。ビデオ通話中だったらしく、そこにはひとりの人物が大写しになっていた。背後の雰囲気からして海外だとわかった。


谷口(たにぐち)だ。顔を合わすのは初めてか」と佐伯。


「はい、そうです」


 谷口はイギリスに駐留している同僚にあたる人物で、それまで播木と彼との遣り取りはテキストベースであった――やはりその件か、と播木は思った。だが、なぜそれが長官に呼び出されるに至ったかは彼の推測の範囲外だった。


「播木くんが谷口に調査を依頼した経緯を聞かせてもらいたい」


 そう佐伯は播木に向けて言った。


「わかりました」


 播木は長官に顔を向け、すらすらと話し始める。


「首相がご臨席された例の夢雲の新造船の内覧会当日のことです。招待客であったハイアールサット社の二名と通訳サービス会社から派遣された一名、および夢雲の社員一名の計四人の乗り合わせたタクシーが、関西国際空港から内覧会会場であった神戸港に向かう途中、タンクローリーの横転事故に巻き込まれる形で事故に遭いました。場所は大阪市内、阪神高速4号湾岸線。時刻は十二時二十分。事故の原因となったコンパクトカーを含め、七台の車が事故に巻き込まれました。これによりコンパクトカーの運転手とタクシー助手席にいた夢雲社員の二名が死亡、十一人が重軽傷を負いました。ハイアールサット社の二名と通訳女性はいずれも軽傷でしたが、現場より病院に運ばれ、検査のために一晩入院。翌日にはイギリスへと帰国の途についています」


 播木はまっすぐに長官の目を見た。


「私は、とある理由から、死亡した夢雲の社員に事故の以前から関心を抱いておりました」


 佐伯も、意味ありげに播木の顔を見返し、それとわからぬほどに頷いてみせた。


「そのため、その事故には、何か表面には現れていない裏の事情があるのではないかと考え、事故に関わったそれぞれの人物について調査をしておりました」


 播木はディスプレイに映った谷口に視線を投げた。


「その一環として、ハイアールサット社の二名について、谷口さんにイギリス現地での周辺調査を依頼したのです」


 播木は視線を長官へと戻した。


 佐伯は軽く頷いた。


「なるほどわかった。興味深い話だな」


 チラと視線をディスプレイに投げてから、佐伯は続けた。


「谷口の調査によると、ハイアールサットの副社長であるダニエル・ジョーンズは帰国時、新型インフルエンザに感染していたことが判明し、現在も病院にて隔離されている」


 播木は表情を変えずに聞いていたが、その調査報告を彼は谷口から受け取っていなかった。調査を依頼した自分よりも先に長官に報告が行ったことには何か特別な事情があるのだろうと考えた。


「同行した同社営業本部長のアンディー・ナイトおよび通訳のリナ・サワイも感染の疑いアリという理由で隔離された。そうだな、谷口」


「そのとおりです」


 ディスプレイに映る谷口は頷いた。佐伯が感想を求めるような顔つきで自分を眺めていることに気づき、播木は口を開いた。


「それはまた随分……、大袈裟な対応のように思われますが」


 新型インフルエンザは半年ほど前に問題視されていたほど死亡率が高くないことが判明していたし、タミフルの有効性も確認され、ワクチンも大量に生産が進んでいた。事実上、単なるインフルエンザの一種という扱いになった、というのが播木の理解だった。病院での隔離など必要なはずはなかった。


 谷口が話し始めた。


「ここ数週間、ロンドンでは新型インフルエンザの感染が急激に拡大しています。政府からの公式発表はありませんが、感染者の急増に加え、ハイペースで死亡者・重症者の増加率が高まっており、医療崩壊も目前となっているというのが現場の認識です」


 佐伯は依然として意味ありげな目つきで播木を見ていた。谷口の報告の深刻さを理解しつつも播木は表情を崩さなかった。


 次に谷口が口にしたことは、かの地の危機的状況をさらに裏付けるものだった。


「そして、本日、極秘裏に入手した情報によると、この新型インフルエンザはこれまで発生が確認されていたH1N1亜型のさらなる変異種であるという調査結果が出たとのことです。感染力が非常に強く、毒性も増大しているというのが研究者の見解であります。しかし依然としてイギリス政府からの発表はありません。どうやら政府はこの新たな変異種の存在をひた隠しにする意向のようです」


「感染拡大が一定規模を越えれば隠しようもなくなるだろうがな。そうなる前に封じ込もうという算段だろう」


 佐伯が口を挟んだ。そして続けた。


「ありがとう、谷口。引き続き情報収集に努めてくれ」


 ディスプレイの人物が敬礼をした。そして画面は暗転する。


 佐伯の口元がわずかに笑みを見せた。


「では聞かせてもらおうか。なぜ君はその死亡した夢雲社員に注目していたのか」


 播木は頷いた。


「はい。内覧会の当日、私は早朝より、停泊した夢雲新造船の周辺を監視しておりました。そこに突然、【薬師】が現れ、私に声をかけてきました。それから私は【薬師】としばらく行動を共にしましたが、その間、あくまで相手の正体を知らない体で通しました」


 興味深そうに播木を見やる佐伯の口元には、依然として微かな笑みが浮かんでいた。


「私と【薬師】が船へと連れ立って歩いていたところに、一人の青年がすれ違ってきました。それがその後に死亡した夢雲の社員、大野直斗です。【薬師】は親しげに大野に声をかけました。そこでの二人の会話により、大野が『とうと』と呼ばれる人物と関係のあることが知れました。覚えておられますでしょうか、かつて竹元壮一郎の恩師の元に身を寄せていた【薬師】を引き取った人物の名が『とうと』です」


 佐伯は頷いたが、口は開かなかった。


「大野が〝彼ら〟の影響下にあったことは想像に難くない。そこにあの事故です。それに先立って【薬師】は、新造船を見上げながら奇妙なことを語りました。今日起きる出来事に対しては彼女や私には太刀打ちができぬ、と。だが心配には及ばず、『世界』がなんとかすると」


「ほう」と佐伯。


「その後、私は【薬師】に連れられて新造船のラウンジで一緒にコーヒーを飲みました。そこではほとんど会話もせず、ただ彼女は何かを待っているようでありました。それが昼過ぎまで続きました。その間に例の事故が起きています」


 そこでいったん言葉を切り、それから播木はこう続けた。


「私の見解はこうです――〝世界〟がなんとかした結果があの事故であり、それによって内覧会は無事に終わった、と」


 佐伯が口を開く。


「つまり君はこう言いたいのだな――その事故がなければダニエル・ジョーンズは予定どおり内覧会に出席し、新型インフル変異種の感染力の増大化したウイルスをその場にばら撒いた。それにより首相をはじめとした各方面の来客が感染し、政治・経済界のキーパーソンが活動不能にされたうえ、日本国内での未曾有の大流行が始めるきっかけともなった、と」


「あ、いえ、そこまで考えが及んでいたわけでは……、ですがおっしゃるとおりです。そう考えれば私の見聞きしたことの説明がつきます」


 佐伯は椅子の背もたれに寄りかかった。播木は微動だにせず、次の言葉を待った。


「ふうむ、なるほどな――よくやった、播木。続いての成果を期待しているぞ」


 播木は立ちあがり、敬礼をした。




***




 死亡した夢雲の社員、大野直斗と「とうと」はどのような関係であったのか。調査を進めた播木は、すぐに謎に直面することとなった。複数の証言から大野が女性と同棲していたことがわかっているのだが、どう探ってもその人物の正体が判明しない。


 その女性こそが「とうと」であるのは明白であろう。


 近隣住人の目撃談によれば、女性は「相当の美人」であったようだ。それを踏まえ、播木は「とうと」が【天女】の識別名をつけられた個体ではないかと考えた。


 大野の経歴を調べると、彼が半年ほど前に夢雲に入社したのが、やや唐突な流れに感じられた。「とうと」とマナが裏で手を引いていた可能性は十分にあるだろう、いや、それ以外には考えにくい。つまり大野に今回の役割を果たさせるために〝彼ら〟は半年以上も前から準備をしていたということではないか――そう播木は考えた。


 だが、どうだろう?


 【サイパン】が斎藤に語ったとされる話によれば、〝彼ら〟は物事の成り行きを理解したうえで動いているわけではない、という。であれば「とうと」もマナも、今回の結末を知りながら大野を夢雲に引き入れたというわけではない、という見立てになる。


 わからんな――そう播木はつぶやいた。


 播木は大野の暮らしていたアパートに足を運んだ。


 非常に整理整頓された室内だった。ほとんど生活感が感じられぬほどだ。そのうえ、女性の持ち物と思われるものが存在しなかった。唯一、生活感らしきものを醸し出していたのは大量にある酒類の空き瓶の類だった。これは何を示唆しているのだろうか――二人の暮らしぶりを知る手がかりがもっと欲しい、そう播木は思った。


 神戸に飛んだ。大野と「とうと」が最後に暮らしていたウィークリーマンションと周辺を調査すべく。


 幸いにも部屋の荷物がまだそのままになっていた。管理会社によれば、翌日には遺族に引き渡す手筈になっているという。




 三〇一号室。管理会社から借りたカギで部屋へと足を踏み入れた。玄関から入ると、すぐのところがキッチンだった。食器が数点、洗われた状態で重ねられていたのと、床の隅には空の酒瓶が何本か寄せてあった。


 次に洗面所を確認すると、プラスチックのカップに立てられて歯ブラシが二本、目に入った。播木はそこに二人の男女が一緒に生活していた痕跡をようやく見て取ることができた。


 それ以外は、生活感に乏しいという点で大野のアパートとほぼ同じであった。


 播木は寝室への扉を開けた。


 彼はそこに、まったく予想だにしていなかったものを見た。


 南に面した大きな窓、その向こうに満開の桜の樹々が連なっていた。しかもそれは、三階であるはずの部屋の高さから見下ろした形にではなく、部屋と地続きのように見えた。


 彼は部屋の入り口で立ちすくんだ。


 散りつつある桜の樹のしたに、ふたつの人影があった。


 それは見つめ合う男女であった。


 二人とも奇妙に古風な出で立ちだ――時代劇で見る平安時代の貴族を思わせた。


 動けないでいる播木に気付いたかのように、二人はゆっくりと彼のほうに顔を向けた。


 穏やかな笑顔がそこに浮かんでいた。


 男のほうは、かなり雰囲気は異なっていたものの、波止場で挨拶を交わした大野その人のようであった。


 そして隣にいるのは、清らかな顔つきの美しい女性。


 そして、そのまま、二人は


 消えた――。




 まばたきをした播木の目に映ったのは、単なるベランダと、その向こうの平穏な街並みであった。


 優に五秒ほどもその場に固まったあと、彼は気を取り直し、大股で窓に近づき、鍵を開けてベランダに出た。


 もちろんそこには誰もおらず、なにも置かれていなかった。


 ――どこかに投影装置でも仕込まれているのではないか。


 ベランダから身を乗り出し、下や上も見てみたが、なんの変哲もない街の風景が目に入るばかりだった。


 ただ爽やかに風が吹いていた。海風だ。


 それに紛れ、若い男女が互いを呼び交わす声を耳にした気がした。

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