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4-3′ ふたりの道行

 トートのことを夢に見ていた気がした。


 ハッと目覚めた。寝過ごしてしまわなかったろうか、と心配になった。


 関西国際空港の到着ロビーに僕はいた。


 待合のシートで一時間ほど待たされる羽目となっていた僕が目を開けたとき、すでにBA6087便のステータスは『到着』に変わっていた。慌てて立ちあがって周囲の様子をうかがった。目立つような人の動きはなかった。時計に目をやり、おそらく乗客らはまだ降りてきていないだろうと判断した。


 少しすると、ちらほらと到着ゲートから乗客らが出てきた。僕はハイアールサットの社名の紙の入ったクリアホルダを胸に構えた。


 すぐにスーツ姿の三人が僕の前にやってきた。


 おそらく六十代の痩せた厳しい顔つきの男性を中央に、左側に中年のもっさりとした白人男性、右には若い日本人女性がいた。


「あ、どうも、こんにちは。夢雲の大野と申します」


 若干口ごもりつつ、僕はそう言って頭をさげた。女性がそれを訳して男性らに伝えた。


「Daniel Jones」中央の男が手を差し出した。僕はそれを軽く握った。


 ジョーンズ氏は僕の手を強く握り返して揺さぶった。


「よろしくお願いします」と僕は言った。


 アンディー・ナイト氏とサワイ・リナさんとも同様のことが繰り返された。


「では、ご案内します」


 そう言って僕が歩き始めようとしたとき、ジョーンズ氏は思い切りくしゃみをした。彼はポケットから白いハンカチを取り出し、その鷲鼻をおさえ、洟をかんだ。


「大丈夫ですか?」


 黙っているのもどうかと思って僕は尋ねた。彼はなにかを早口にしゃべった。


「機内の空気が悪くて、風邪をひいてしまったようです」そうサワイさんが訳してくれた。


 僕は時計を見た。茅野さんの言ったとおりタクシーで戻るつもりだったが、ベイシャトルで行く案も捨ててはいなかった。


 シャトル乗り場への連絡バスの出発時刻が近かった。


 僕は迷った。


 と、そのとき急に僕は強烈な目眩のようなものに襲われた。同時に全身に脂汗が噴き出た。が、その場に座り込んでしまうことはなんとか避けられた。


 ほんの一瞬だった。すぐにその異変は消失した。


 困惑と不安だけが残った。


 ――いったい何だったんだ。徹夜したせい? 大丈夫なんだろうか。ま、とりあえず無難に、楽なタクシーで戻ることにしよう。途中で僕が体調を悪くしたりすると彼らも迷惑だろうし、タクシーなら乗ってさえしまえばなんとでもなる……。


 というわけで僕はベイシャトルで戻る案を捨て、三人を先導してタクシー乗り場に向かった。


 長い行列が乗り場には形成されていたけども、車は次から次に来て、順調に列から乗客を拾いあげていった。


 僕らの番となった。彼らはさっさと後部座席に乗り込んでしまったので、僕はトランクにスーツケースを詰め込み始めた運転手のところへ残りのケースを転がしてあげた。それから助手席に乗り込み、運転手もすぐに戻ってきたところで僕は、「神戸港の新港までお願いします」と告げた。


「あい、神戸港新港」


 運転手はダミ声で復唱した。車は勢いよく発進した。


 僕は後部座席を向いて三人に、「一時間ほどかかります」と言った。サワイさんがそれを訳し、ジョーンズ氏は鷹揚に頷いた。


 空港を離れ、海を渡り、阪神高速へ。車は快調に飛ばした。ひたすらに湾岸沿いの高速道を進んでゆく。


 タクシーは次々に他の車を追い抜いた。この調子なら一時間もかからないかもしれないな、などと僕は思った。


 と、後方からやけにピーキーなエンジン音が近づいてくることに気づいた。タクシーはウインカを出して追越車線から走行車線に移った。すると、一層高まったエンジン音を響かせながらゴテゴテしたパーツを装着した一台のコンパクトカーが、ビュンと僕らのタクシーを追い越していった。


「わっ、いったい何キロ出してんやろ」


 僕は思わず関西弁を口にしてしまった――ここしばらく地元の空気を吸っていたためだろうか。運転手が苦笑混じりに返した。


「ほんま、困ったもんですわ」


 呆れつつ僕は、コンパクトカーを目で追った。


 百メートルほど先でそのブレーキランプが灯った。


 コンパクトカーの前に大型トラックがいて、そのトラックは中央車線を走るタンクローリーを追い抜いている最中だった。これではトラックが追い抜きを終えて走行車線に戻るまでコンパクトカーはその後塵を拝する形にならざるを得ないだろう――と思いきや、コンパクトカーはウインカも出さずに追越車線から片側三車線の左車線まで一気に移動し、左側からタンクローリーを追い抜きにかかった。


 コンパクトカーからは左側車線がガラ空きに見えたのかもしれないが、後方の離れた位置にいる僕からはタンクローリーの斜め前を軽トラが走っているのが見えた。


 軽トラを前にしてコンパクトカーが躊躇の動きをしたのがわかった。だが運転手はそこからさらにアクセルを踏み込み、わずかな隙間から強引にタンクローリーの前に出ようとした。一方、それより先に右からローリーを追い抜いたトラックもウインカを出して走行車線に戻りかけていた。


「あぶなっ」思わず僕は口にしていた。隣席の運転手がチラと僕を見た。


 タンクローリーの前で何が起きたのかは僕の位置からは見えなかった。


 が、次の瞬間、前方の車の全台のブレーキランプが一斉に灯った。


 そして、信じられないことに、急ハンドルを切ったらしきタンクローリーの巨体が傾ぎだした――その車体と僕らの車との距離が急速に縮まっていった。


 急ブレーキの反動で僕の体は思い切りダッシュボードに押し付けられた。


 タクシー運転手は右に避けようとハンドルを切った。タイヤが滑り出したのがわかった。あぁ、と僕は心の内で叫んだ。目を大きく見開いていた。そして、もうダメだ、ということがわかった。ただ、わかった。銀色の巨体は目の前に迫っていた。


 倒れきる寸前のタンクローリーの後部に、横滑りしたタクシーが助手席側から突っ込んだ。ぐしゃ、と。


 その強烈な衝撃が、人生の最後に僕が感じたものとなった。




***




 僕は上空から事故現場を俯瞰していた。タクシーのなかで僕のかつての肉体が潰れているのがわかった。もはやあまり関心はなかったけども。


 肉体を離れたのは僕だけのようだった。タクシーの運転手は酷い怪我をしているようだが、後部座席の三人は比較的軽傷だ――それももはやどうでもよかったが。


 あ、いや、僕だけじゃなかった。コンパクトカーを運転していた若者もそこにいた。彼は酷く困惑し、憤っているようだった。


 ――ふざけやがって、ふざけやがって、ふざけやがって!


 僕とは関係のない魂のようだ。


 なんにせよ僕は自らの責務を果たしたのだ。すべき仕事を終えたのだ。そうだ、まっすぐにトートの元に帰らねば。そう約束していた。


 そう考えた瞬間、僕は大阪湾をひとっとびに超え、神戸のあのマンションの上空に到着した。


 ベランダで彼女は待っていた。トートは僕のことを見上げていた。


「終わったのね」


 彼女を前に、僕のなかに本来の自分自身が徐々に再構築されてくる感覚があった。それと同時に僕は、彼女のことを思い出してもいた。


「ああ。終わった。今回も僕は君のために生き、君のために命を捨てた」


「世界のためよ」彼女は僕の言葉を訂正した。


「僕が世界のために働くのは、ただ君ひとりのためだ」


 トートの頬を涙が伝った。


「言わないで。それは言わない約束よ、為喬(ためたか)


 それは久々に耳にする自分の古い名だ。


 僕は急激に自分が薄まっていく感覚に襲われた。肉体をもたずしてこの世に留まることには非常な困難が伴う。


「あぁ、僕はもう行かないと。また、いつか、どこかで――」


「必ずあなたを見つけ出す、きっと」


 そうトートが口にしたときには、僕はもう限りなく薄まっていって、ほとんど世界と同一になっていた。

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