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4-8. ヌイ

 播木はダニエル・ジョーンズを追跡した。それ以外にすべきことを思いつかなかった。マナが「鳥肌が立つほどの禍々しさ」を感じた理由は何だったのか――。


 内覧会が終わり、ハイアールサットの三人はその足で神戸空港から羽田に向かった。組織の強権を用いて播木も同じ便に乗った。


 羽田に到着した三人はタクシーに乗り、播木は呼び寄せておいた組織の車で追跡した。赤坂プリンスホテルでタクシーは停まった――ハイアールサットの日本支社が紀尾井町にある。副社長であるジョーンズとしてはせっかく来日しておいてトンボ返りするというのも立場的にありえないだろう。現地支社の視察をしたうえで重要顧客への表敬訪問などをするのが常道だ。そこまで分析済みの播木からすれば赤プリへの到着は想定通りといえた。


 時刻は八時前だった。おそらく次は日本支社スタッフと合流しての会食という流れと思われた。問題はそこで交わされる情報に価値があるかどうかだが――播木は考えを巡らせた。彼自身、ジョーンズを追うことにどういう意味があるか、まったくわかっていないのだ。暗闇の中で手探りをしている状態である。何も価値ある情報がないとしても追うしかない。


 案の定、十分ほどでジョーンズともうひとりの白人がロビーに降りてきて、その場で待っていたスーツの男性と合流し一緒にホテルを出た。通訳の女性は同行しないようだ。播木は後をつけた。


 三人は徒歩で赤坂見附の交差点を渡り、繁華街へと出た。一帯は無数の飲食店が密集しているエリアだ。彼らは大衆的な居酒屋に入り、すでに飲んでいた五人ほどの席に合流した。


 播木は彼らから離れた席を確保し、様子をうかがった。近寄らぬほうが良いというマナの言葉を守った。視線の先で繰り広げられているのは単なる親睦的な宴会のようだった。


 あいかわらずジョーンズは時折くしゃみをしていた。こんな場に出てこずにホテルの部屋で寝ていればいいのにと他人事ながらに思ったが、立場上そうもいかないのだろうと播木は考えた。やがて宴会はお開きとなった。


 さすがにジョーンズは二次会を断ったようだ。店を出てさらに赤坂の奥のほうへと向かう他の人物らと別れてジョーンズだけがホテルに戻った。その姿がホテルのエレベータに消えるのを見届け、播木も引きあげることとした。




 翌早朝には別人の変装をした播木がホテルのロビーにいた。


 九時近くまで待たされ、通訳の女性がロビーにやってきた。スーツケースは持っていなかったので、まだ帰途にはつかないことが知れた。少ししてジョーンズともう一人の男性も降りてきた。


 徒歩で移動する三人を播木は尾行した。彼らが向かった先はハイアールサット日本支社が入居するビルであった。播木は近くで張り込んだ。三十分ほどすると三人に日本人ビジネスマンを加えた四人組が出てきて、道路でタクシーを拾った。近くに待たせていた車で播木は追跡した。


 芝浦の幹線道路脇で四人はタクシーを降り、その前のオフィスビルに入った。車を降りた播木がロビーに足を踏み入れたときすでに四人の姿はなかったが、エレベータの電光表示が停止したフロアを見た。フロアガイドで彼らの行き先が『安中(あんなか)造船株式会社』であると判明した。予想どおりの取引先への表敬訪問と思われた。播木は車に戻り、彼らが出てくるのを待った。


 小一時間ほどで四人の姿がビルの前に現れたとき、あきらかに様相が変わっていた。ジョーンズがもはや立っていられぬほど体調の悪そうな様子だ。日本人ビジネスマンが慌てた感じに通りに出てきてタクシーを拾った。


 彼らは紀尾井町に戻った。タクシーを降り、男性二人がジョーンズを両脇から抱えるようにしてビル内に消えた。


 どうなることかなと思いつつ播木は張り込みを続けたが、さほど待たされることなく次の動きがあった。


 スーツ姿の若い男性と通訳の女性とに両脇を支えられる形でジョーンズが出てきた。またもタクシーを拾い移動した先――ワンメーターもなかったろう――は小さな雑居ビルだ。そこにあるクリニックにジョーンズは連れて行かれた。


 車を停めておくことができない場所だったので、播木は降りて張り込んだ。少しして若い男だけが建物から出てきてオフィスのほうへ戻っていった。


 そこから動きがなかった。播木は患者を装ってクリニック内に入ってみることにした。待合室では例の通訳が足を組んで座って雑誌を読んでいた。受付の女性が播木に目を向けていた。そこにインフルエンザ予防注射の案内の張り紙があるのを見、播木は受付の女性に「インフルの注射をお願いしたいのだが」と告げた。怪しむことなく女性は問診票の記入をするようにと用紙を差し出した。


 ジョーンズが出てきたら「急用を思い出した」と言ってその場を離れるつもりだったが、その気配もなく、播木は待合室で通訳女性の様子をうかがった。そのうちに播木は診察室に呼び出され、ごく簡単な問診を受けたあと、隣の処置室に移動させられた。


 部屋の隅のベッドに男が横たわっているのを播木は目にした。顔はカーテンで遮られて見えなかったものの、着ている服でそれがジョーンズとわかった。点滴を受けているようだ。なるほどな、と播木は思った。


 注射を終え、料金を支払った播木は、再びクリニックの外で張り込みを続けた。


 その後、ジョーンズと通訳はクリニックからタクシーで赤プリに戻った。ホテルではジョーンズだけが降りた。点滴のおかげか足元はしっかりとしているようだった。


 ホテルで張り込みを続けたが、ジョーンズは夜になっても出てこなかった。通訳ともう一人の白人男性だけがカジュアルな格好で出てきたので、播木はそちらを追ってみることにした。


 二人は夜の赤坂で食事をしただけだった。小さな雑居ビルの三階にあった日本料理屋だ。播木はカウンター席から二人を観察した。


 時折、女性が背を丸めている様子が気になった。どうやら咳をするためにそのような体勢になっているようだ。そのたびに男性は心配そうな表情を見せていた。夜更かしすることなく彼らはホテルに戻った。


 翌日も早朝から赤プリにやってきた播木は、スーツケースとともにタクシーに乗り込む三人の姿を目撃することになった。尾行はしてみたものの、成田で彼らがヒースロー行きの便にチェックインするのを確認するだけに終わった。


 はたして自分の見てきたことに何か意味があったのだろうか――播木は自問した。何の確信も持てなかった。




 成田からトンボ返りして久々に自席に戻った播木のもとに、連絡員の一人がメモを持ってきた。時刻はまだ昼前だ。長官から参考情報として伝えるようにとのことだった。




〈現時点で非公開扱いの情報だが、稲垣首相が昨晩から高熱を出しており、官邸で緊急入院の手筈を整えているところである。高齢のこともあり容態は楽観視できない。夕方までには正式に発表される予定〉




 お、と播木は思った。


 ジョーンズの風邪が感染ったのか。


 そういうことなのか、マナが彼に近づくなと言った理由は。


 単なる風邪の話だったのか――?


 播木は考えを巡らせた。少しして彼は、おもむろに財布を取り出し、入れておいた一枚の紙を取り出した。クリニックで予防注射をした際のレシートである。記載されている電話番号に発信した。


「こんにちは、山内(やまうち)クリニックです」女性が応答した。


 播木は作った声と口調でこう話した。


「あ、すいません、わたくし、ハイアールサット社のスズキと申します。少々お尋ねしたいのですが――」


「はい、どういったことでしょう」


「あのですね、昨日、私どもの会社のダニエル・ジョーンズという者がそちらでお世話になったかと思うのですけど」


「ああ、ええ、ええ」


「その者がですね、イギリスに帰国するにあたり、入国審査時に感染症にかかっていないことを証明する書類が必要でして。そちらの先生に昨日の診断に基づいてそれを書いていただく、なんてことは可能でしょうか?」


「少々、お待ちください」


 電話が保留となった。しばらく待たされたあとで、いきなり男性の声がしゃべりだした。


「あぁ、すいません。申し訳ないですが、診断書をお出しすることはできません。というか、書いてもいいですが、いずれにせよイギリスにお戻りになることはできませんよ」


「と、いいますと?」


「えぇーっと、お話しさせていただいたつもりだったのですが、通訳の方がきちんと伝えられておられなかったのかもしれませんな。うむ……。つまり、ジョーンズさんはインフルエンザにかかっておりますので、そもそも五日間は外出を控えていただかないとなりません。飛行機に乗るなどもってのほかです。診断書をお出ししても、向こうの入国審査には通らない内容になるでしょう」


「そうだったんですね。わかりました、当人にそのように伝えます。ありがとうございました」


 播木は電話を切った。


 ――あのヤロウ、インフルに罹っているとわかってて帰国しやがったのか。


 ま、タイミングよく機内で解熱剤を飲んでおけば入国時のチェックは通過できるかもしれんし、タミフルが処方されていればイギリスに着くまでに効果を発揮する可能性もあるだろう、などと播木は考えた。


 しかし、インフルエンザか。春先に新型インフルエンザがメキシコで大流行して他の国にも飛び火し、WHOがパンデミックと騒いでいたのは記憶に新しいところだが、所詮は風邪でしかないだろう。政府はワクチンやらタミフルの確保に力を入れていたようだが――。


 マナが「禍々しい」と言っていたことを播木は思い出した。ただの風邪、ではないのかもしれない……。だが、そう考えるには根拠に乏しかった。




 翌日、再び連絡係からメモが渡された。




〈首相の容態は依然、楽観視できない状況である。また首相近辺の数名が発熱の症状を訴えているとのこと。それと経団連の会長が倒れたとの情報がある〉




 いったいどれほど感染力が強いのか――。


 ハイアールサット日本支社の番号を調べ電話をかけてみたが、誰も出なかった。まさか職場の全員が感染したのだろうか。それとも会社の休日か。次に『安中造船株式会社』に電話をかけてみた。保健所の職員を装って事情を話し、そちらの社員に風邪の症状を示している者がいないかと尋ねた。二人が高熱のため休暇を取得しており他にも咳などの症状のある者が数名いるとの回答を得た。


 さすがに播木も危機感を覚えた。


 同様のやり口で赤坂のホテルや飲み屋、それにジョーンズ自身は立ち寄っていないが通訳の女性が咳をしていた日本料理屋などにも確認の連絡を入れてみた。


 それらから口々に得られた話は、播木を青ざめさせるに十分なものだった。彼は思った、これはマジでヤバい事態になるかも……。そうだ、だがマナは「しまいには世界が良きに計らう」と言ってたじゃないか。あれはいったいどういう意味だったのか。


 もう一度マナに会って、その言葉の真意を尋ねたいものだ――そう播木は切望した。だが彼のほうから彼女に会うすべはなかった。




 昼過ぎには次のメモが播木に手渡された。




〈首相が危篤状態。未確認ではあるが心肺停止という情報も〉




 それを読んだとき、フッと彼の脳裏に引っ張り出された記憶があった。


 誰かが死ぬ前に限って病院に出現するという謎の青年――かつての埼玉の病院で若い看護婦らの間で語られていた噂話。【サイパン】、人の生死にまつわる局面において出現する個体、つまりは「死神」。その名前がヌイであると斎藤は言った。


 よもや、とは思った。


 誰かが死ぬたびにどこの病院にも【サイパン】が出現するなどというはずはない。


 退行催眠時の斎藤の語ったところによれば、〝彼ら〟はその場に欠けている必然性を補うために『世界』に導かれる、ということだ。はたして今回のケースはどうなのか。


 常人である自分にとって考えたところでわからぬことであるのは明白だった。


 ダメ元だ――椅子をガタンと言わせ、播木は席を立った。




「申し訳ありませんが、ここはお通しできません」


 帝都医科大学附属病院の集中治療室はフロア全体が封鎖されていた。セクション・ゼロの身分証であってもそこに入れないということは首相の入院先を確認した際に播木はすでに聞かされていた。


「それは構わん。確認したいことがある。ここで不審な人物を見かけなかったか。歳は二十歳くらい、痩せ型で背の高い男性だ」


「本職は心当たりありませんが、少々お待ちください」


 警備に当たっていた黒服の男はその場に立ったまま、無線で問い合わせた。しばらくやり取りの続いたあと、男は播木にこう告げた。


「そのような報告はないとのことです」


「わかった、ありがとう」


 播木は踵を返し、エレベータに乗り込んで階下に向かった。


 ――無駄足だったか。


 期待していたわけではなかった。ただ彼はじっとしていられなかったのだ。特に落胆はなかった。


 エレベータを降りて、病院の出口へと足を向けた。


 途中、広い待合室を抜ける形となるが、診療時間外のためか閑散としていた。


 フロアを一瞥した播木は、離れたところにひとり、ぽつねんと腰掛けている人影に気づいた。出口に向かっていた足を止め、彼はその人物のほうへと歩き出した。なにがそうさせたのか、自分でもわからなかった。


 若い男性と見えた。近づいたが、俯いていてそれ以上の判断はできなかった。


 数メートル離れたところで播木は足を止めた。


 死神。


 その単語が播木の頭に浮上した。まさかと彼は小さく首を振る。そして再び足を進めた。


「失礼だが、そこの方。ちょっとお尋ねしたい――」


 そう声をかけながら、その人物の座っているすぐ横にまで歩み寄った。


 若者は顔をあげた。だが播木のほうは見ない。立ったままの播木からはその表情は見えなかった。


「待ってたよ、あんたのこと」


「なに?」


「あんたが誰かは知らんけど、世界がこの場を設けたのさ、話をしてみるのも一興ってなぁ。それでひとつの物語が解消するのであれば、する価値はある。たとえこの道行(みちゆき)がすでに無効であってもな」


「なんだと?」


 男の言っていることは播木にとってまったく理解不能であった。ただ、この若者がまさに自分の探していた相手であるということだけは知れた。


「きみは、ヌイ、なのか?」


 青年はふらと立ちあがった。播木のほうに体を向け、ゆるりとその顔をあげた。


 その目を見て、鳥肌が立った。それを言葉で形容することはできなかったが、それがこの世に属するものではない、ということだけは直観として播木の腑に落ちた。死神、とされる男である。さすがの播木も瞬時に胃が締め付けられるほどの緊張を覚えた。


「俺の名をご存知とは――、恐れ入ったね」


 ヌイは、ククと笑った。


「あんた、同胞の気が残ってるな。誰だろ――」青年は匂いを嗅ぐような表情をみせた。「マナだな。マナが世話になったみたいだな、礼を言うよ」


 まさかシャンパンのグラスをとってあげたことだろうか、と一瞬、播木の脳裏をその記憶がかすめたが、それ以上のことを考える余裕はなかった。


「きみは首相の命を奪いに来たのか」


 ヌイは首を傾げた。


「首相? ……ああ、上にいるジィさんのことか。ずいぶんたくさんの気があちこちから集中していると思ったが、そういうことか。ハハ。違うよ、さっきも言ったけど、俺はあんたと話をしに来たんだよ。世界がそうしろと言うから」


「なっ――、では、首相は助かるのか?」


 やれやれ、という顔つきになってヌイはこう答えた。


「もはやその問いには意味がない。なぜならこの道行はすでに無効だから」


「どういう意味だ。道行とはなんのことだ」


「道行。あんたにわかるように言えば、なんだろな。時間軸? 今、流れているこの時間は、もう無効なんだよ。いずれ巻き戻される。まだ巻き戻っていないのは、どこまで巻き戻せばいいかが判明してないからだろう。ここでジィさんが死のうが死ぬまいが、たいした違いはない。厳密には同じではないが」


「時間が? 巻き戻されるだと?」


「ああ。すべてをご破算にするんだよ、しかるべきところまでな。だから、俺たちがここでしている会話も、その記憶も、なかったことになる」


 マナの言っていた「『世界』がなんとかする」とは、そのことだったのか――そう播木は思い当たった。


「だが、それならば、なぜきみは私と話すためにここに来たんだ。さっき言っていた物語がどうこうというのは、なんのことだ」


「物語には結末が必要なんだよ。宙ぶらりんのままそれを終わらせれば、世界にはひとつ負担が増える。たとえそれが無効の時空のなかの話でもな。未解消の物語が増え続ければ、それはいずれ世界を押し潰す。それを避けるために俺たちはひとつひとつの物語に決着をつけてまわっている。それが俺たちの仕事だ」


 そこでヌイは、ふいに何かに気づいたように播木の顔を眺めた。そして、その表情が少し驚きを帯びたものに変わった。


「そうか、そういうことなのか。世界がここで俺にあんたと話をさせたのは、気まぐれでもなんでもない。しかるべき理由のあってのことか――」


「む、どういうことだ」


 ヌイは播木の目を覗き込むような顔つきとなり、播木は思わず少し身をのけぞらせてしまうが、なんとか目を逸らさずにいた。『死神』から目を離すわけにはいかないと無意識のうちに考えていたのだ。目を離せば、次の瞬間には何が起こるかわからない、と。


 そんな播木に構わずヌイは続けた。


「つまり、どうやらあんたは、この道行が巻き戻されるべき事情を知る唯一の目撃者なんだ。ハハ、そうだ。あんたの〝気〟だけで俺には伝わる。これでトートはどこまで時を巻き戻せばいいのかがわかる」


「なにぃ?」


「これで決着だ」


 ヌイの見せた笑顔に、播木は再び全身に鳥肌が立つのを覚えた。

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