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4-7. 宴の後に

 港の近くにあるホテルの宴会場での打ち上げは大盛りあがりだった。


 内覧会は大成功に終わったのだ、関係者の誰もがすっかり解放された気分で文字どおりに飲めや歌えの大騒ぎとなった。


 僕もすっかり酔っ払ってしまった。


 興奮冷めやらぬままに仮の住まいに戻ってきた。前の通りから部屋を見上げると、ベランダにトートがいるのが見えた。


 僕は手を振った。


 トートがニコリとしたように思えた――その距離から見えるはずもなかったけど。


〈私はここで待ってるから、仕事が終わったらまっすぐに帰ってきて〉というトートとの約束。そうだ、ココでの仕事はこれで終わったのだ。残作業を片付け今週いっぱいで神戸を引きあげる手筈になっている。


 トートが部屋の奥に消えた。


 僕は早足になってマンションに向かった。酔っ払っているので少し足がもつれた。


 玄関でいつものようにトートが出迎えてくれた。


「いい匂いがする」


 彼女は言った。僕から酒の匂いがするのだろう。


「ごめん、君も飲む?」


「いただくわ」


 着替えもせずに僕は台所の戸棚からコップを二つ取り出して、冷蔵庫のワインのボトルとともにテーブルに座った。いつものように正面に腰掛けたトートの前にグラスを置き、ワインを注いだ。自分のグラスには少しだけにしておいた。実際のところ、もうひと口も飲める気がしなかった。


「無事に終わったよ。大成功だった」


 そう言って僕は彼女のグラスと自分のとを重ね合わせた。


「よかったね」


 トートの表情が硬い気がした。


「どうかした? 元気なくない?」


「そんなことない。あなたこそ疲れているんじゃない? 今日はもう寝たほうがいい。すぐにお風呂に入って」


「ああ、そうだな……」


 僕はまだハイな気分が抜けきってなく眠くもなかったのだけど、素直に言うことを聞くことにした。


 風呂に浸かると、急速に眠気に襲われた。寝落ちしそうになるのを必死に堪えた。湯船を出るときには体が鉛のように重たく感じられた。


 頭を乾かすのもそこそこにバスルームから出ると、トートはまだテーブルで飲んでいた。ボトルからグラスにワインを注いでいるところだった――彼女はこれまで絶対に手酌をしなかったのに。意外に思っている僕の視線に気づいたのか、彼女はこう言った。


「ここにいるうちに飲んでしまわないともったいないから」


「ああ、確かに」


 確かに食料や酒は東京に持ち帰ることにはならないだろう。重いし、かさばるから。高級なものでもないから、残っていれば捨ててしまうことになる。


 よろよろと奥に行って僕はベッドに倒れ込んだ。




 トートに肩を揺さぶられて目が覚めた。


 寝過ごした感があった。スマホを拾いあげて確かめると、もはや遅刻ギリギリの時刻だ。


「ヤバっ」


 飛び起きようとしたが、体は重く、思うように動かすことができなかった。昨日あれほど飲んだのだから当然といえば当然か。


 トートは黙ってカップを差し出した。いつものようにコーヒーを淹れてくれていた。「サンクス」僕はガブガブと飲んだ。ちょうどいい感じにぬるまっていた。


 それから僕は急いで着替え、「じゃあ行ってくる」と言って玄関に向かった。いつもならトートもそこまで一緒に来て、軽くキスを交わすのが儀式のようになっていたのだが、なぜか彼女は部屋の奥から出てこなかった。黙ったままそこで手を振っていた。急いでいる僕を気遣ったのだろう。僕も手を振り返した。


 急ぎ足にマンションを出、少し行ったところで後ろを振り返った。ベランダにトートの姿があった。僕は片手をあげて見せた。


 彼女がニコリとしたように思えた。


 そのとき僕は、今朝は彼女の声をまったく聞いていないことに思い当たった。




 昼近くなって急に全身がダルくなってきた。だけでなく、寒気もした。食欲もないため昼飯を抜いた。最初のうちは二日酔いがちょっと遅れてきたのかと思っていたが、どうやらそうでないことに気づくのにさほど時間はかからなかった。


 風邪をひいてしまったようだ。内覧会が無事に終わったので気が緩んだせいか、あるいは昨晩、髪をきちんと乾かさずに寝てしまったのが悪かったか。


 ま、すぐに治るだろう、という当初の思惑とは裏腹に、体調はどんどんと悪化していった。それでも定時まではなんとか仕事をし、僕は帰宅した。


「風邪ひいたぁ」


 情けない声で僕は、迎えに出たトートに告げた。彼女は僕のおでこに手を当てた。


「熱がある」独り言のように彼女はつぶやき、続けて「薬は飲んだの?」と訊いてきた。


 僕は頷いた。プロジェクトルームに置き薬があるので何包かもらっておいた。この部屋には薬がないし、買いに行く元気も出ないだろうと思ったから。


「とにかく寝てなさい」


 一歩下がって彼女は言った。僕は再度、頷いた。


「ごめん、ご飯は自分で買ってきて。お金はそこにある。足りなければ僕の財布から出して」


「私の心配はしなくていい。あなたこそ何か食べたの?」


 僕は首を振った。


「食欲がない」


 彼女は頷いた。そしてベッドを指さした。




 布団にくるまっているのに寒気が治まらなかった。体温計がないのでわからないが結構な高熱が出ていそうで、インフルエンザかもと思った。今まで一度もかかったことはないんだけど。


 風邪薬のおかげか、その夜はぐっすりと寝ることができた。


 朝はトートに肩を揺さぶられて目が覚めたが、体は奇妙に軽く感じられた。起きあがろうとすると目眩がした。再びベッドに倒れた。彼女は僕の額に手をあてた。


「熱が下がってない」


 そう口にした彼女の表情は硬かった。


「医者に行きなさい」


 そうするしかなさそうだった。仕事は休むしかないだろう。始業時間を待ち、僕は茅野さんに電話をかけてその旨を伝えた。


「わかりました。お大事にしてください」彼女はそう言ったあと、気になることを口にした。「なんか、原田さんも風邪でお休みなんですよ。昨日は午後から早退されて」


「あ、そうなんですか」かすれた声で僕は返した。


「ハイアールサットのVPに感染(うつ)された、って冗談まじりにおっしゃってましたけど、大野さんまで風邪ってなると冗談じゃ済まされなさそうですね」


「ええ……」


 確かにシャレにならない話だと思った。


 病院では、案の定、インフルエンザとの診断が下った。タミフルという薬が処方された。発症から五日間は外を出歩いてはならないと言われた。ウィークリーマンションの契約を延長してもらわねばならなくなってしまった……。


 マスクを買って帰った。トートに感染ってないといいのだが、と思いつつ。


「私は大丈夫」


 トートは言った。手にはグラスがあった。昼間から焼酎を消化しているようだ。


「もう急いで飲み切る必要ないよ。この部屋は延長することになると思う。インフルのウイルスが消えるまで外に出られないから」


「あ、そう。でも私は、病を寄せ付けないためにお酒をいただいているの。だからしばらくは飲み続けないと」


「へえ……」


 民間療法のようなものかな、と思った。頭が回らないので、僕はすぐにベッドに横になった。


 そのまま夕方まで眠った。


 目が覚めると、だいぶすっきりした感じがした。タミフルが効いたのかもしれなかった。


 僕は起きあがり、ベッドに座る形で、部屋に備え付けの小さなテレビを点けた。


 ニュース番組が流れ出した。


 そこで報道されていた内容は、少しばかり僕を驚かすものだった。


 稲垣首相が高熱のため入院したという――。

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