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4-5. トートのこと、知ってるんですか!?

「了解、了解。私が面倒見る」


 原田さんが言った。茅野さんを探しにスタッフの控え室に来たところ、ちょうど現地入りしてきた原田さんがいたのだ。僕は状況を説明した。


「茅野さんからも聞いてるからオーケーよ。あとは任せて」


 そう彼女は続けた。


「助かります」僕は返した。「あと、ジョーンズさんはホット・ブランデーが欲しいと言ってました」


「イギリスじゃ風邪にはブランデーっていうらしいね。お酒はいっぱい用意してあるから大丈夫っしょ」


 そう言ってから原田さんはこう続けた。


「そろそろ査察の時間だから、大野さんもスタンバってね」


「あ、そうですね、了解です」


 内覧会に先立って警察が船内をひととおりチェックすることになっている。テロを警戒してのことだ。首相が来るとなれば警察もそこまでやらざるを得ないのだろう。


「アスピリンか……。バファリンでいいかな、似たようなものよね」


 原田さんは救急箱をガサゴソしつつ独り言のように言った。僕は答えを持っていなかった。頭痛薬などどれも一緒というのが僕の見解である。


「ラウンジよね」


 彼女はバファリンの箱を手に僕を見ていた。


「あ、はい。案内します」


 スタッフルームを後にし、原田さんを連れてラウンジに向かった。


「そういや、関空から船でこっちに来たんだって? ラッキーだったわねぇ」


 歩きながら原田さんはそんなことを言い出した。


「ラッキー? なんでですか?」


「だってほら、なんでもあっちから大阪に向かう高速でタンクローリーの横転事故があったんだってよ? ニュース速報になってたの」


「へえ」


「巻き込まれてないかって心配したわよぉ。いや事故にって意味じゃなく、ほら、通行止めとかになったでしょうから」


「そうだったんですか。僕も最初はタクシーで戻ってくるつもりだったんですよ。だったらヤバかったかもですね。今頃そのへんで立ち往生してたかも」


「運って重要よね」


 僕らはラウンジに入った。奥のソファに座る三人を原田さんに指し示した。


「オーケー。じゃ、あとは私がやるから。ありがと」


 原田さんは小声で僕にそう言った。


「よろしくお願いします」


 僕も小声で返した。


 奥へと進む原田さんを見送りつつ、少し前にこのラウンジにいた二人のことを思い出した。その席にすでに姿はなく、テーブルに二つのカップが残されていた。


 そのカップを片付けた。ほっといてもいずれラウンジ担当のスタッフがやってくれるところではあるけど、皆、忙しいのだから僕のような遊撃手的位置付けの人間は気づいたことを率先してやるべきだろう。


 そういや、あの子と一緒にいた男性は海事局の人って言ってたけど、結局、受付開始前に乗り込んじゃったのか。これから警察の査察があるからあんまり船内をウロウロされていると困るんだが――そんなことを思いつつ僕はラウンジを後にした。


 ハイアールサットの副社長を迎えに行くというお役目を果たし、あとの対応を原田さんに引き継いだことを報告しておくべきと思い、おそらくはコントロール室にいるであろう小林さんのところに僕は向かった。


 階段をワンフロア上ったところでふと窓の外に目を向けると、甲板の上にスマホを耳にしている男性の姿が目に入った。それがマナと一緒にいた海事局の人のように見え、僕は足を止めた。そばにマナの姿はなかった。


 僕は甲板に出た。


 ドーム状の太陽光パネルに覆われているので、やや薄暗い。だがその人物がやはり先程の海事局の人に違いないことは見てとれた。ちょうどよかった、査察の始まる前にいったん船を降りてもらおう、と考えた。


 通話の邪魔をしないようにそっと近寄ったが、彼のほうでは僕に気づいてその視線がチラとこちらに向いた。それで彼は話を切り上げたようだった。


 僕が軽く頭をさげると、向こうも同じようにした。査察について説明をしようと口を開きかけたが、男が先に喋り出した。


「すまないが、ここの警備の責任者に会いたい。案内してくれないか」


「えっ、でも今からこの船全体に警察の査察が入るんです。外部の方かたにはいったん降りていただいたほうが面倒がないと思うのですが……」


 僕がそう言うと男は一瞬、考えるような顔つきを示したが、こう返してきた。


「心配ない。私の調査は警察よりも優先する」


 自信たっぷりな様子だ。海事局ってそういうものなのか、と僕は思った。


「わかりました。ご案内します」


 警備の責任者となれば、警備室になるだろう。コンファレンスルームの向こう側にある。デモンストレーションのリハも終わった頃ではあったが、まだ部屋を突っ切っていくのはマズいかもしれないと思った。であれば甲板から反対側の入り口に廻るしかない。


「じゃ、こちらへ」


 僕は甲板脇の通路を船尾のほうへと歩き始めた。男性があとに続いた。


「マナはどこに行ったんですか?」そう訊いてみた。


「小林省吾氏のところに行くと言っていたが」


 男は返した。困ったものだな、と僕は思った。


「あなたを放ってですか」


「まあ、そういうことになるな――訊きたいのだが、君はあの子と親しいのかね」


 同じ質問をこの男にこそ訊きたいところだったが、それはさすがに不躾というものであろう。僕は素直に答えた。


「いいえ。以前に一度会っただけです。そのときもほんの一分も話してません」


「トートとは?」


 男の言葉に思わず僕は足を止めた。振り向いて尋ねる自分を止められなかった。


「トートのこと、し、知ってるんですか!?」


「いいや。だが知ってるかもしれん。君の知っているトートのことを詳しく教えてくれるのであれば」


 困惑するしかなかった。いったいどういうことなのだ。言葉に詰まった。


「まあ、今はその話をしているときではないな。その気があれば、後日連絡をくれないか」


 男は内ポケットから名刺入れを取り出し、一枚を差し出した。僕は受け取った。海事局の佐藤と書かれていた。それを持つ手が微かに震えた。トートの正体がわかるかもしれないという可能性に心が揺さぶられた――だが僕はそれを知るべきなのだろうか? もし知ってしまえば僕らの関係が壊れてしまうような内容かもしれない。だが知りたい! 知りたくないはずなどない!!


「よければ君の名刺も貰いたい」


 佐藤は言った。僕は自分の名刺を渡した。


 先に進むよう佐藤が手振りで促したので、心を乱されたまま僕は歩き出した。


 船尾側のドアを開け、内部に入った。警備室はそのすぐ前だ。


「こちらです」


 言いながら警備室の扉を引いた。なかには二人の警備員がいて、壁を埋め尽くすたくさんのモニターが警備カメラの画像を映していた。部屋には六人分の机があったが他のメンバーは出払っているものと思われた。


「何か?」


 二人のうち手前にいたほうが僕らに声をかけた。僕が答える前に佐藤が進み出た。


「私は国土交通省海事局の佐藤という者です。この船の警備態勢について確認したいことがあります」


「どういったことでしょう」


 奥にいた警備員が立ち上がり、前に出てきた。手前の警備員は壁のモニターに視線を戻した。


「船内のモニタリング体制についてお尋ねしたい。モニターに死角はないのか、不審な乗客・乗員がいた場合にどこまで対象に集中してモニタリングができるのか。そのあたりについて確認する必要がある」


 佐藤は言った。警備員の顔には戸惑いの色が浮かんだが、「どうぞこちらへ」と言って、部屋の中央に僕らを招いた。佐藤の用事に僕が付き合う必要はないだろうからここらで部屋を出ようかとも考えたが、それは少々無責任にも思え、いったんはとどまることにした。それにトートのことをあとで佐藤に尋ねたい気持ちがある。


 彼らから少し離れた場所に立った。


 そのとき、船内にアナウンスが流れた。


〈船内におられる皆様にお知らせします。ただいまより警察による査察が開始されます。事前にご案内しておりますとおり、皆様におかれましては、持ち場から離れず、その場にて待機ください。査察の担当官から指示のあった場合には、全面的に従ってください。繰り返します――〉


 アナウンスの間、皆は黙って聞いていたが、それが終わると佐藤が口を開いた。


「まずは一般配置図を見せてもらえないだろうか」


 警備員は棚から大きなバインダを取り出し、机に広げた。


 その様子を後ろから眺めつつ僕は別のことを考えていた――この男はトートの何を知っているというのだろう。そもそもこの人物はマナとどういう関係なのだろうか。一緒に船に来たようだし、ラウンジでは二人でコーヒーを飲んでいた。この男もトートやマナと同じ一族というヤツなのだろうか。ならばトートのことを知っていても不思議ではない。僕は彼女のことを何も知らないのに! 彼女はどこで生まれ育ち、歳はいくつで、本当の名前はなんというのか――。


 部屋の扉がノックされた。佐藤の前の警備員が「はい」と返事した。


 扉が開くと、スーツ姿の男性が一人と、後ろには数名の制服警官が立っていた。皆がぞろぞろと入ってきて部屋はたちまち過密状態となった。


「査察のあいだ、この部屋をお借りしたい」


 スーツの男が言った。


「それと、船内全員の身元チェックを実施しております。恐縮だが、みなさんの身分証明書を拝見させていただきます」


 そう男が言い終わると同時に警官らがてきぱきと動き始めた。一人が僕のところにやってきて言った。


「身分証明書を拝見します」


 僕は首にぶら下げていた社員証を手に取って見せた。「夢雲社長室の大野です」


 警官は社員証の写真と僕の顔を見比べ、「ありがとうございます」と言った。それから別の警官のところに戻ってなにかを喋ると、その警官は手にあるクリップボードの紙をめくった。なにかのリストのようだった。スタッフリストと照合しているのか、と思い当たった。


 あ、ヤバいかな。海事局の佐藤氏は、当然、スタッフリストには載っていないだろう。


 そう僕が考えた次の瞬間、まさにその懸念が的中した。


 スーツの男が言った。


「佐藤さん、あなたは乗船リストに載っていないようです。来賓の方ですか」


「そうだ」と佐藤は答えた。


「まだ来賓の方の乗船は始まっておりません。どなたがあなたを船に入れたのですか」


 なぜか佐藤は答えなかった。間違いなくマナが彼を船に入れたのだろうが、彼女の名を出せば当人に迷惑がかかると考えたのだろうか。「僕が入れました」と助け舟を出そうかとも思ったが、そんなことをせずとも大丈夫に違いないと考えた。先ほど彼が警察よりも自分の調査が優先すると言ったのが頭にあった。


「佐藤さん、別なところで少し事情をお聞かせ願えますかな」


「……わかった」


「お連れしろ」


 スーツがそう言うと、制服のうちの二人が両脇から佐藤の腕を掴んだ。そして彼はそのまま部屋から連れ出されてしまった。


 あれ、なんか話が違くないか……唖然として僕は思った。


 部屋が一瞬、沈黙に包まれてから、再びスーツの男が口を開いた。


「さて、査察のあいだ、この部屋から船内の状況を監視させていただきたい。そのため警備担当のお二人を残して、他の方にはこの部屋からご退出いただきたい」


 他の方といっても、僕しかいないじゃないか。


「大野さんは査察が終わるまでラウンジにて待機いただけますか」


「はあ」と僕は答えた。


 スーツの男はそばの警官に顎をしゃくってみせた。その警官は僕に、「こちらへ」と移動を促した。


 言われるがままに僕は警備室を後にした。


 外の通路に出て、ふと船の外側に目を向けると、タラップを二名の警官に挟まれる形で佐藤が連れられていく姿が見えた。


 警察のものと思しき大小の車両が何台も近くに停まっていた。




 警官に付き添われ、僕はラウンジに引き返した。


 数名の警官が部屋の内部を探っていた。警察犬までいた。まるで爆弾でも探しているかのようだった――実際にそうなのかもしれないが。


 奥の席にはハイアールサットの三人と原田さんが座っていたので、僕の足も自然とそこに向いた。


 ジョーンズ氏は毛布にくるまっていた。僕は三人に向けて頭をさげてから、原田さんの隣に座り、小声で言った。


「良かった、皆さんは船を追い出されなかったんですね」


「当たり前よぉ。ちゃんと事情を説明したから大丈夫。警察だってそんなに物分かりは悪くないわよ」


 原田さんはそう返した。


 ジョーンズ氏がくしゃみをした。

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