4-2. 太刀打ちができぬ
特にこれといった対応策を見出すこともなく内覧会の日を迎えることとなった播木だが、ある種の諦念とともに、何が起きても自らの目でしかと見届ける覚悟だけは固まったのだった。〝彼ら〟が『運命そのもの』であるとするならば、それがどのような成り行きを示すのか身を以って体験することこそが自分に課せられた役割でないか、そういう結論に達した。
神戸港を見下ろすホテルの一室をおさえ、播木は前日に神戸入りした。新港第一突堤にまだ船の姿はなかった。
窓際に椅子を寄せ、播木は淡々と待ち続けた。張り込みの刑事のように、あるいは標的の到来を待つスナイパーのように。
夜も更けた頃、その異形の船がゆっくりと入港してきた。港のライトに照らし出される白い船体、上部のほぼ全面を覆う黒い太陽光発電パネル。船橋部の屋上に並ぶいくつもの巨大なアンテナ装置。船尾のクレーン。その姿は、船というよりかは、SF映画に出てくる宇宙船、あるいは図鑑でしか見ることのできない類のジャングル奥地に生息する奇妙な蛾の幼虫といったものを連想させた。
播木は双眼鏡を手に観察した。パネルの隙間から漏れ出てくる光から想像するに、突貫で準備作業が続けられているようだった。
照明を落としたホテルの一室の窓際で、播木の燻らすタバコの煙が夜景に照らされ筋となって立ち昇っていた。
朝になって播木は埠頭に足を運んだ。船に出入りする人物らをより近くで観察しておこうと考えたのだった。
早朝の冷たい空気。風は強くはないが肌寒さが厳しく感じられた。汽笛が遠くで響くのを耳にした。
突堤となっている処の手前、海に面した一角のちょっとした広場のような区画であたかも散歩の途中にひと休みをしているかにたたずんだ。その振る舞いはごく自然だ。下手にコソコソするよりこういった行動のほうが人の目に留まらぬことを彼は理解している。
船に動きはなかった。
ひととおり周辺を歩き、あらゆるものを観察してまわった。なにかあればそれは必ず違和感を伴って知覚されるはず、と彼は考えている。
特に何もなかった。
いったん部屋に戻り、海事局・佐藤の変装をし、軽く食事をしてから播木は再び埠頭を訪れた。
たたずむ彼の視界の先で、幾人かが船に乗り込んでいった。
小林省吾が船に入ってゆくのを目撃した。時間は九時近くだった。
少しすると、船内で大音量の音楽が流れているらしき音がかすかに漏れ聞こえ始め、ひとしきり続いた。内覧会のリハーサルをしているのだろうと播木は考えた。
内覧会は午後三時からだ。受付は二時に始まるがまだまだ時間はある、この間に自分に何ができるだろう、と播木は思考を巡らせた。
船内の警備態勢がどのようになっているかが気になった。当然、船の出入りの際はセキュリティーチェックがあるであろうし、首相の乗船前には警察の査察も入る。そういった方面は然るべき者が対応しているのだから自分が気にする必要はないが、いざ現場の前に立つとプロとしての血が疼いた。だが今の自分の仕事は〝彼ら〟への対処なのだ、それは他の誰もカバーしていない領域であった。
【薬師】が夢雲サイドについているのは間違いないだろう、だから安心できるかというとそうとは限るまい、と思われた。彼らの行動原理がどのようなものであるのかは解明されていないのだ。首相を前に突如、態度を豹変させることも考えられる。『運命そのもの』である彼らが、果たして今日の内覧会にどのような結末を描き出すつもりなのか、ただの人間である自分には終わってみるまでわからない。ただ、何も起こらないということはないだろう。なぜなら、進水式のときに【薬師】が自分の目の前に現れた意味を考えたときに、それがまさに『運命の女神の目くばせ』のようなものに思えたのだ。その意図までは読み取れなかったが、とにかく何かはあるはず――。
この数日考え続けていたことがあらためて播木の脳内をかけ巡っていた。何があろうとも事の成り行きを見届ける覚悟を新たにした。運命というものがあるとしたら、それこそが自分に割り当てられた役割であるはずだ、と。
そのときだ。
「海を眺めながら一服とは、お主も風雅よの」
後ろから突然に声がかかった。内心の驚愕を一切表に出すことなく彼は振り返った。そこにいるのがマナであることは声でわかっていた。
「佐藤殿」
少女はニヤニヤしながら播木を真っ直ぐに見ていた。
「君か」
播木はそれだけを言った。
「随分と早いお出ましだのう。船に乗るのが待ちきれぬか」
マナは言いながら播木の隣に来て、前方に停泊している白く巨大な船を見やった。
「下見をしていた」
播木は短く答えた。少女の出現にどう対処したものか迷っていた。〝彼ら〟のひとりと目される少女、【薬師】の識別名で呼ばれる個体。数十、いや数百年ものあいだ歳をとることがないとされる謎の存在、運命そのもの――目の前にいる少女がそのようなものであるとは到底信じることができなかった。
とりあえず自分の知る一切を脳内だけに留め置くこととし、播木も少女と同じく船に視線を戻した。しばし二人は並んで、その巨大な船体を眺める形となった。
「太刀打ちができぬ」
ふいにマナがそう口にした。
「なに?」
播木は問い返した。
「今日起きる出来事に対してはワシやお主では如何とも立ち向かいようがないと申したのじゃ。だが、心配は要らぬ。『世界』がなんとかする」
自分はともかく、マナにも対処ができない、それだけのことが起きるだと? いったいどんなことが起きるというのか。それに『世界』がなんとかする、とは?
「どういうことだ」
さらに問う播木に少女はこう返した。
「お主も国のために働く者であろう。それゆえ、世界がワシに知らせたことをお主にも伝えたのだ。そうせよと世界が命じたからの」
「なっ……」
返す言葉を失った播木に向き直り、マナは口調を変えた。
「さて、こんなところで突っ立っておるのもなんじゃし、船に入ってラウンジとかいうところで茶でも出してもらおでないか。なに、ワシは少しばかり彼らに恩を売っておるがゆえ、それくらいのことはしてもらえるであろう」
播木の反応を待つことなくマナは歩き始めた。条件反射的にあとに続いた彼の頭のなかでは、耳にしたセリフについての思考が巡らされていた。
――『世界』が知らせた、だと? なんとかするから心配は要らぬ、と? それはどう受け止めればいいのだ。その言葉は何らかの策略だったりはしないのか、オレに余計な手出しをさせまいという――。
そのとき、船から降りてきたひとりの青年が歩いてくるのが播木の目に入った。青年がどうやらマナと面識があるようだ、ということが挙動から読み取れた。思考を停止し、播木は若者を観察した――ごく普通の人間のようだ、夢雲の関係者か。
「やあ、大野殿!」
マナが青年と言葉を交わしているあいだ、播木はその内容に注意深く耳を傾けた。マナの発言に「トート」という名が含まれていたことが、彼の脳内センサーに触れた。どこかでその名を目にしたことがあったはず――。
青年は社長室の大野と名乗った。播木は「海事局の佐藤です」と返した。
軽く言葉を交わし、青年は立ち去った。「気張って働けよ」と笑いながらマナは再び歩き出し、播木も続いた。そのときようやく彼は思い出していたのだった。
――ああ、竹元壮一郎の恩師の元にいたマナを引き取った親戚の名が「とうと」だった。あれは……昭和二十五年、だったか。




