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4-1. 神戸港・新港第一突堤

 トントンと肩を叩かれた。


 振り向くと小林さんだった。慌てて僕は体ごと向き直った。


「はい、なんでしょう」


 小林さんは軽く微笑みながら、こう言った。


「大野さん、悪いんだけどさ、ひとつお願いしたいことがある」


「はい、なんでしょう」


 同じセリフを繰り返してしまった。


 周囲の音がうるさいので、必然的に声も大きくなる。なにせ内覧会の最終リハの最中だ。ほとんどのスタッフが徹夜で作業してここまで漕ぎ着けた――僕は見守るくらいしかできなかったけど。いや、ほとんど居眠りしていたか。


 アーケイディア号の真新しいコンファレンスルームには大音響のBGMとナレーションが響いていた。


 もはやデモの内容は暗記するくらい頭に入っていたけども、やはり本番想定の照明や音響が加わると鳥肌が立つほどの感動があった。あらためて自分がこのビジネスの一員であることが誇らしく思えていたところだった。


 小林さんに促され僕は会場から出た。艦橋へと続く階段の脇で立ち話する形になった。


「大野さんにお願いするのはちょっと申し訳ないんだけど、みんな手が塞がっててさ。他に頼める人がいないんだ」


 言葉尻ほど申し訳なさそうでもない、いつもの口調で小林さんは切り出した。


「あ、全然構わないですよ。どうせあとは見てるだけですんで」


 小林さんは、わかってる、というように頷いた。


「来賓のハイアールサットの副社長(ブイピー)が乗った飛行機が遅れててさ、茅野さんが迎えに行ってたんだけど、彼女は別件で戻ってこないとならなくて。代わりに行ってきて欲しいんだ、関空まで」


 そう聞いて僕は慌てた。ハイアールサットは船舶用の衛星通信サービスを提供する会社だが、イギリスの企業である。アーケイディアへのアンテナ設置に際し、プロジェクトルーム中に響き渡る大声で何度も担当者が電話口で英語を喋っていたのが記憶に新しかった。


「えっ……、いいですけど、外人ですよね? 僕は英語は無理ですが……」


 小林さんは笑った。


「大丈夫、通訳を連れてくるらしいから」


 僕は安堵した。


「わかりました。行きます。えーと、どこに……」


 尋ねかけた僕を遮るように小林さんは左手でストップのジェスチャーをし、反対の手で内ポケットからスマホを取り出した。


「ちょっと待って。茅野さんと話すから」


 ササッと操作したあとでスマホを耳に当て、小林さんは体を横に向けた。


「ああ、茅野さん。大野さんと話ついた。行ってくれるって」


 それから小林さんの目玉だけが僕に向いた。


「うん、いるいる。待って、今、代わるから」僕に向き直って小林さんはスマホを差し出した。「茅野さんと話してくれる?」


 それを受け取った。


「あ、代わりました、大野です」


「茅野です、お疲れ様です」


 茅野さんはいつもよりちょっと早口だ。


「お疲れ様です」と返した。


「すいません、ご無理なお願いをしてしまって」


「いいえ」


「今からすぐに神戸空港に向かってもらえますでしょうか。私は関空からベイシャトルという船でそちらに向かいます。神戸空港のベイシャトル乗り場で落ち合いましょう。そこで詳細をお伝えします」


 ベイシャトルとは関西国際空港と神戸空港を行き来する船便のことだ。僕は乗ったことはないが、存在は知っていた。


「もうじき船は出るのですが、着くのに三十分ほどかかるらしいので、大野さんはそんなに焦って移動する必要はないと思います」


「なるほど、承知しました」


「場所とか……大丈夫ですかね。大野さん地元だから、私より詳しいか」


「ええ、わからなければ検索しますので問題ないです」


「じゃあ、よろしくお願いします。では後ほど」


 そんなわけで僕はいったん船を降りることとなったのだった。




 タラップを降りて、僕は振り返った。そびえるアーケイディア号の純白の船体が目に眩しい。


 船は神戸港の新港第一突堤に停泊していた。ここから神戸空港に行くには、近くの駅からポートアイランド線に乗ればいいだろう。三十分あれば余裕と思われた。スマホの地図で確認。ここと同じ並びの第四突堤にポートターミナルという駅があり、そこから神戸空港までほんの数駅だ。


 船着場から道路に向かって歩き始めた。と、前方から歩いてくる二つの人影が目に入った。ひとりは子供でもうひとりは大人の男性――僕はハッとした。子供のほうに見覚えがあった。あの少女だ、たしか名前はマナ。そうトートが言っていた。


 距離が縮まるにつれ、それが間違いでないことがはっきりした。男のほうには見覚えがなかった。スーツ姿だが、どうみてもウチの社員ではなさそうだ。社内の人からは決して感じることのない雰囲気を男は醸し出していた。どうするか、無視して通り過ぎるというわけにもいかないな……と思いつつ僕は足を進めた。


 心の準備が整わないうちに、少女が声をかけてきた。


「やあ、大野殿!」


 随分と機嫌良さげな声。僕の足は止まった。


「マナ、さん……。こんにちは、君も来たんだね」


 とりあえず、そんな言葉が口をついた。二人は僕と向き合うように足を止めた。男性のメガネの奥の目つきが鋭くこちらを向いて、僕はタジタジとなった。


「祭りのようなものだからの、来ないというわけにはいかぬ。――トートにワシのことを聞いたのじゃな。うまくやっとるか?」


「え、ええ……。おかげさまで」


 そう返しつつも、男からの無言の圧が強まってくる気がした。そのせいで僕が困惑しているのを察したのか、マナは男を紹介した。


「おう、こちらは佐藤殿だ」


 事情のわからぬまま僕は男に頭をさげた。


「夢雲・社長室の大野と申します」


「海事局の佐藤です」


 海事局ということは内覧会の出席者だろう、と僕は思った。


「来賓の(かた)ですか? 受付はまだ始まってませんけど……」


「ええ、今は下見に来ただけですのでご心配なく。のちほど改めて参ります」


 男はソフトな声でそう返してきた。さきほど感じた圧のようなものは気のせいだったかと思えた。


「大野殿、足を止めさせてすまんかったの。急いでおるのじゃろ?」


 マナはそんなことを言い出した。僕は急いでいるそぶりは示していなかったはずだが。


「あ、そうでした。それでは失礼いたします」


 これ幸いと二人に頭をさげ、僕は再び歩き始めた。


「気張って働けよ」


 マナはそう言い、笑い声がそれに続いた。ちらと振り返ったが、二人はもう背を向けていた。


 確かに急いだほうが良さそうだった。地図では第四突堤がすぐ近くに見えたが、実際の風景を見ると意外に距離がありそうだ。僕は早足となった。


 歩きながら、昨夜のことを思い出していた。


 トートのことを。


 準備作業が夜を徹することが不可避だったので、僕はシャワーを浴びるためだけに、一旦、彼女の待つ部屋に戻ったのだった。


「すぐまた現場に戻らないとならないんだ、ごめん」


 そう僕が告げると、いつもならニコリとして頷くところと思われた彼女は、なぜだかそうはせずに、奇妙に感情を抑えているかのような表情を見せた。


「うん、しかたない。お仕事は大切だもの」


 トートはそう言った。そして、ちょっと俯き加減になって、こう続けた。


「約束を忘れないでね。私はここであなたを待っているから」


 僕は頷いた。なにかいつもと様子が違うな、と思いつつ。


「うん、わかってる。でも明日も帰りは遅くなっちゃうんだ。打ち上げが予定されているからさ。それも仕事のうちだからなぁ、僕にとっては」


「そうよね……」


 彼女は顔を伏せた。


 たったの一晩でも彼女と一緒にいられないことは僕としても辛いのだが、さすがに翌日の内覧会に向けて皆が夜通し頑張っているところを一人だけ抜けてしまうわけにはいかない。もしもこの肝心なときに何か問題が起きてそれを本社に連絡するのが遅れてしまったりしたら、会社での僕の存在意義がゼロになってしまう。


「じゃ、そろそろ行っ……」


 言いかけた僕に、いきなりトートが抱きついてきた。


「ねえ……、もう少しだけ……」


 突然のことに僕の心臓はバクバクとし出した。彼女の態度もそうだが、声色がいつもとまったく違っていた。


 返事をできないでいると、彼女はそのまま僕の体を引っ張り、ベッドに押し倒した。


 僕はなにも考えられなくなった。そこから先は彼女のなすがままだった。


 いつになく彼女の行為は激しかった。


 いったいどうしたわけだろう、と思ったけど、そんな彼女がいっそう愛おしく感じられて僕は幸せだった。


 その余韻に浸りながら、早足に僕はポートターミナル駅へと向かった。




 神戸空港のベイシャトル乗り場に到着したのは、茅野さんとの電話から三十分を少し過ぎた頃だった。待合所に人影は少なく、茅野さんがいないことはすぐにわかった。まだ船は着いていないのだろう。


 待合所の建物の壁はガラス張りになっていて、中から外がよく見えた。すぐ前が桟橋で、そこからシャトルが発着するようだ。船の姿はなかった。


 とりあえず待つしかなかった。電話してみようかとも考えたが、茅野さんはおそらく洋上にいるのだろうから電波が届かないかもしれない。僕は待合所のベンチに腰掛けた。


 備え付けのテレビがあり、朝のワイドショーが流れていた。その映像をなんとなしに眺めた。


 少しウトウトした。


 ざわついた気配を感じて目を開けた。窓の外に、桟橋へと寄る船の姿が見えた。いつのまにか周囲に人の姿が増えている。


 船が停止し、乗客が降りてきた。そのなかに茅野さんの姿を見つけ、僕は腰をあげた。


 待合所に入ってきた彼女は、すぐに僕を見つけた。


「切符、買ってませんよね?」


 開口一番に茅野さんは僕にそう尋ねた。質問の意味を完全に理解しないままに僕は首を振った。


 茅野さんはまっすぐに売り場に向かい、販売機で切符を買った。それから僕のところに戻ってきて、その切符を差し出した。


「はい、これ。その船に乗って関空に行ってください」


 続いて茅野さんはカバンからクリアホルダを取り出した。そこに挟まっている紙にはでかでかと『Hi-Earlsat Global Ltd.』と書かれていた。


「これ持って到着ロビーで待っていてください。こうやって構えていれば、向こうから声をかけてきます」


 茅野さんはホルダを胸の前で構えて見せた。そのあとで別の紙をそこから取り出した。


「ここにメモされてますが、彼らが乗ってくるのはBA6087便です。二時間ほど遅れているので、十二時前くらいかな、到着が。旅客ターミナルの一階が国際便の到着ロビーです。そこで待っていてください。先方は三人、ダニエル・ジョーンズ――その人が副社長(ブイ・ピー)です――、アンディー・ナイト、通訳のリナ・サワイ。別に世間話とかしないで大丈夫なんで、アーケイディアのラウンジまで連れてきてください。空港からタクシーに乗せちゃえばいいと思います。タイミング次第ではこのベイシャトルに乗せたほうが時間的に早いかもしれないけど、そんなには違わないし切符買ったりするのも面倒でしょ。大野さんの判断にお任せしますが」


 それだけを一気にしゃべり、茅野さんはクリアホルダを僕に渡した。


 それからしばらくの間、船内から僕はのどかな海を眺めることとなったのだった。

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