3-8. 退行催眠
低く、とぎれとぎれに話す斎藤の声が聞こえる。
「読者からの連絡で、そのアパートの部屋にクスノキという青年の住んでいることがわかった。遊びに来ている小学生の従妹も一緒だと……
その日、俺と小林は、景子さんの待つ喫茶店に向かった……。『天使さん』の姿を知っている彼女なら、クスノキ青年が『天使さん』であるか否かを見極められる……。それから三人でアパートに行った……
俺と景子さんが正面から訪いを告げ、小林はアパートの外で彼らが窓から逃げないように見張っていた。青年が応対に出て、俺たちを中に招き入れた……、話をきこう、と……
部屋に入ると、三人いた……。青年と例の少女の他に、もう一人、別の少女がいた……。歳はどちらも同じくらい。片方は髪が長く、もう片方はボサボサのショートヘアだった……」
――続けて
「部屋に入った俺は……、青年に断ってから、外にいる小林を窓から招いた」
――それから?
「俺たちは、彼らと向かい合って座った……。畳の上に直接だ。部屋には何もなかった、文字通り、何も……。俺は名乗り、インタビューを申し込んだ」
――彼らは名乗りましたか?
「……青年は、ヌイ……。髪の長い少女は……、マナ……。ボサボサのは……」
そこで斎藤の言葉は止まり、別室でその様子をモニタリングしている播木にはその沈黙が奇妙に長く感じられた。
「リサ……、いや違う……、リセ……」
ようやく斎藤からその名が発せられた。播木は表情を変えぬまま、じっとモニターを見つめていた。
退行催眠による診療を受けるよう斎藤を口説き落としたのだった。口説いた、というよりも、頼み込んだ、というのに近かった。斎藤が応じない場合には、より強行な手段に訴えることまで播木は検討していたが、幸いなことにそれをする必要はなかった。
首相が臨席する内覧会の前に可能なかぎり〝彼ら〟の実態に近づいておかねばならない――長官からのプレッシャーを無視はできなかった。いったい彼らは何を目的としているのか。それさえわかれば、こちら側の対策も考えやすくなる。せめて、彼らを敵と見なすべきか否か、それだけでも判断できれば動きは取りやすくなるはず。斎藤の失われた記憶こそが播木の手にしうる唯一の手がかりであった。
どうやら期待どおりに斎藤の記憶が戻り始めている様子に、播木は胸を撫で下ろした。
約束どおり、催眠医学界の日本における第一人者を事に当たらせた。梅津敏正というその人物の招聘から何から治療行為に必要な一切合切の準備までも組織は迅速に執り進め、播木はただそれを横から眺めているだけでよかった。
梅津の経営するクリニックが南房総にあり、〝セッション〟はそこで実施されることとなった。郊外の牧歌的な雰囲気の地区にあるクリニックの建物への部外者の立ち入りは禁止され、場違いなダークスーツ姿の男らが要所に配置され警備に当たるという物々しさとなった。
セッションの行われている部屋には梅津と斎藤だけが居て、その模様を複数のカメラが記録している。
別室に並べられたモニターの画面を眺めながら、播木は考えを巡らしていた。
――「マナ」は当然、【薬師】のことだろう。「ヌイ」が【サイパン】ということになる。もう一人の「リセ」はどうだろう。見た目にマナと同じくらいの歳で髪がボサボサとなると、【ギーニ】が該当するであろうが、断定するには情報が足りなく思えた。
モニターの中では、斎藤が「ヌイ」という青年から聞いた話を語り出していた。
「世界……、世界が、彼らを通じて、するべきことをする……、世界があるべき姿であるように……」
「彼らは……、自分たちのことを〝同胞〟と呼んだ……。遠い昔から、今のままの姿形なのだと……。彼ら自身も、もはやその昔のことを覚えていない……」
「彼らは、ひとりひとりが、個別の、固有の能力を持っている……。普段は単独で行動し、必要があるときだけ、自然に仲間と合流する……」
「彼ら自身は、現在・過去・未来における物事の成り行きというものを理解あるいは予知しているわけではなく、ただ世界の導きによって、自分が必要とされる場所に自然とたどり着く……。それは、その場に欠けている〝必然性〟を補うためだ……」
播木は、斎藤の口から次々に繰り出される言葉を、黙って聞いていた。その内容は衝撃的であるようにも思えたが、何故だか、すべてが既知のもののようにも感じられた。
「俺は……、なにか証拠を見せろと、ヌイに要求した。お前たちの言うことが口から出まかせでないと証明できるものを、と……。
それを受けて、ヌイは……、リセに……、リセに命じた、『じゃあ、頼む』と……。
リセは、畳に座ったまま、部屋の真ん中に移動した……。正座の状態で、手のひらを上に向けて太ももの上に揃えた……。それから……、それから、『どうぞ近くに寄って見てください』と俺たちに言った……。
俺は……、その手のひらに、なにか証拠となるものがあるのだろうと……、そう思って、そこを覗き込んだ……、他の二人も同じように、顔を近づけた……。そ、そ、そこに……、そこには……」
斎藤の顔が歪んだ。その息が苦しげな音を立てた。
「リセは、その手を……、そ、そして……」
なんだよ、どうしたんだ、肝心なところじゃないか――播木は画面を睨んだ。
「ゆ、指……、その、指が……」
そこで梅津はストップをかけた。だが、そのときにはすでに斎藤は気を失っていた。
指、か。指がどうしたというのだろう――播木は考えていた。そのときの彼の脳裏に思い浮かんでいたのは、山崎に連れて行かれたバーでの占いが終わったときの、ひっくり返ったセミの亡骸を思わせた、老婆のその指であった。
このセッションで得られた情報をあらためて整理した播木は、次のように結論せざるを得なかった。
――〝彼ら〟とは、結局のところ、『運命』そのものではないか。
斎藤の語ったなかに出てきた、〝世界〟とは、なんなのか。
世界に意思のようなものがあるというのか。
世界がそのあるべき姿にあるべく物事を調整するために〝彼ら〟を動かしているというのであれば、それによってもたらされる結果は、もはや『運命』という言葉でしか呼びようがないであろう。そう播木には思えたのだった。『運命』そのものが、人の形となって現れたものが、〝彼ら〟なのではないか、と。
さて、どうしたものか――。
播木は考え込んだ。




