3-7. アーケイディア
「ご安全に」
「ご安全にぃ」
前を行く増田さんが僕の知らない誰かとすれ違いざまにそう声を掛け合った。ついさっきも他の人が「ご安全に」というセリフを口にしているのを耳にした。どうやらココでは僕らが普段社内で「お疲れ様です」と挨拶するのと同じノリで、その「ご安全に」という言葉が用いられているようだった。
ご安全に――つまりそんだけココは危険な場所なんですよ、と暗に示しているわけか。工事現場のようなものだから当然と言えば当然だろう。
インフラチームリーダーの増田さんに連れられ初めてアーケイディア号の船内に足を踏み入れたところだ。まずはひととおり内部を案内してくれる、と。ヘルメット――工事現場でよく見るヤツ――をかぶらされた。もちろん増田さんの頭にも同じものが載っている。スーツ着て来たのは失敗だったと僕は思った。増田さんはいつもの彼のトレードマークとも言えるパーカーにカーゴパンツという格好だ。
まずは甲板前方に出た。
「ここは、今はこうやって普通に空が見えてますけども」そう言って増田さんは腕を上に伸ばし空を撫でまわすかのような仕草をした。「もうじきここは、一面、ドーム状に太陽光パネルで覆われるので、こっから空は見えなくなります」
「へえ」
僕もつい増田さんと同じようにその場から空を見上げた――綺麗な青空に白い雲が浮いていた。
船の後方に向けて甲板を歩き、中央の建物状になっているところのドアから内部に入った。そこはだだっ広い部屋になっていた。
「ここはコンファレンスルームになりますね、パーティーとかにも対応可能です。内覧会ではここがメイン会場になります」と増田さん。
僕らはその部屋を横から出て、目の前にあった階段をのぼった。ひとつ上のフロアにきて別の部屋に入ると、さっきの部屋の半分程度ではあるが、そこも広い部屋だった。天井は前の部屋より二倍以上の高さがあり、一部、床がめくれていて、太いケーブルの終端がいくつも突き出ていた。
「ここがデータセンターのコントロールルームになる部屋です。ここからすべてをモニターできます。もちろん制御も」増田さんは壁をぐるっと手で示して、「壁全体が液晶ディスプレイになります」と言った。
「すごいですね」と僕。
「データセンターとして見ても、国内最大級の規模ですからね」
部屋を出て、再び階段をのぼった。
「艦橋です」
窓越しに僕は内部をのぞいた。映画なんかでよく見る操舵室と呼ばれる部屋そのままだった。なかには入らず、増田さんはさらに上へと進んだ。
船の屋上にあたる部分に出た。目の前には巨大なパラボラが設置されていた。直径五メートルはあろうかという大きさだ。
「これは〝きずな〟用のアンテナです。まあ、形としては実験用ということになってます――ま、この船全体が実験ちゃ実験ですが」
「きずな?」
「人工衛星です。去年、打ち上がったヤツですね。これで1.2ギガ出ます」
インターネットに接続するためのものと僕は理解した。1.2ギガというのは通信速度のことだろう。
「これだけでは心許ないので、これと別にハイアールサットのアンテナが三つ設置されます。それは来月だったかな」
言いながら増田さんは船尾のほうへと足を向けた。僕は後ろに続いた。
屋上の一番船尾寄りに来て、増田さんはその先を指さした。そこにはクレーンのようなものが見えた。あれは確か海底ケーブルを施設するためのもののはず、と僕は記憶を引っ張り出した。
「衛星通信が使い物にならなければ、有線という手立てもあるわけです。まあ、航行には制限が生じますが」
「といっても、洋上にケーブルをつなぐポイントがあるわけじゃないですよね」
僕が質問すると、増田さんは頷いた。
「今は、そうです。そもそもそんな需要がないわけですから。有線にするには、当然、港まで戻る必要がある」
「この船が成功すれば需要も生じると」
「ええ。ていうか、そこも僕らがやってくんでしょうね。小林さんはウチ専用の通信衛星を打ち上げることも視野に入れているようですし」
「すご……」
それから僕らは階下に降り、食堂やラウンジ、レクリエーションルームなどを見て回った。とはいえまだほとんどは空っぽの状態だ。そこからさらに降り、サーバールームへと入った。
「進捗としては、ここが一番、先を進んでます」と増田さん。「これと同じ部屋が、六つ、あります」
まるでなにかの工場のようだった。そこには数人の作業員がいて、今も設置作業を進めている最中だった。
大量のラックと、その間を縦横無尽に走るレール、流れるように這うケーブル。
見ていると目眩がしてくるようだ。
もちろん、まだサーバー機器は設置されておらず、ラックはすべて空だった。
「あのパイプは水冷のためのものです。世間一般のデータセンターは空冷ですが、ここでは水冷と空冷を併用します。せっかく海の上にいるわけですから、海水で冷やそうじゃないかと。といっても海水を取り込むわけじゃなく、船の底で冷やした水を循環させるだけです」
見ると、確かにケーブルとは別に、細いパイプがラックに張り巡らされていた。それらはその先の太いパイプに結合されていた。
「まるで人体みたいな感じですね。血管のような」
頭に浮かんだままの感想を僕が口にすると、増田さんは笑った。
「そうです。この船はもう、ひとつの巨大な生命体のようなものです。これでAIを動かして自立性を持たせたら、人類が滅亡してもコイツは動き続けるでしょう――ただし航行は普通の石油燃料を使うので、それが尽きたら浮いているだけになりますが」
あらためて僕は、別世界に迷い込んできたような感覚に陥った。ああ、去年の今頃、僕はなにをしていたっけ――? ちっちゃなオフィスでECサイトの開発をしていたことなど、あまりにも遠い過去のことのように思われた。




