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3-6. 長官・佐伯孝之

 播木がそのフロアに足を踏み入れるのは初めてのことだった。


 長官、すなわち播木の属する組織のトップ、に彼は呼び出されていた。彼のような性格の人間にとってさえ、いくばくかの緊張を伴う状況である。


「失礼します」


 秘書に案内される形で長官の執務室に入り、その広い個室の奥の幅広のデスクに座っている人物に播木はそう声をかけた。


 顔をあげたのは、日に焼けた顔にしわの深く刻まれた五十半ばの白髪の男性である。名は佐伯孝之(さえきたかゆき)


「播木くんだな、かけたまえ」


 そう言ってデスク前の椅子を指さした。播木は一礼し、ツカツカと机の前へ足を進め、椅子に腰掛けた。


 佐伯は背もたれに体重を預けるポーズとなって口を開いた。


「報告書は読ませてもらった。なかなか幸先のいいスタートのようだな」


「はっ、ありがとうございます」


 そう返しつつ播木は、半年をかけての調査結果としては内容が薄すぎるのではないかと恐れた自己評価は厳しすぎるものであったかと少しばかり拍子抜けしたかの感覚を抱いた。


「〝個体〟と接触までしたとはな。君は彼らに気に入られたのやもしれんな」


「まさか、そのようなことは」


「ありえん話ではない。これまで個体と接触した調査員は二人しかおらんし、そのどちらのケースも向こう側が意図的に接触を図ったものと考えられた。つまり、〝彼ら〟側に何らかの意図がない限りは決して我々は彼らと接触することはできんのだよ」


 だとしたら、今回、【薬師】が自分の前に現れたのにはいったいどういう意図があったのだろうか、と播木は疑問に思ったが、そのことに考えを巡らすときではなかった。


「その個体は、造船所構内に入ろうとしたが招待状を持っていなかったがために播木くんの連れを装わんと接触を図ってきたとのことだったが、実際、彼らにそれをする必要があるものかね? 彼らからすれば、いかようにでも内部に潜入することはできただろう」


 佐伯のそのセリフに、播木はあっさりと、このように返した。


「その『いかようにでも』の遣り口のひとつが、『私の連れを装う』というものだったというだけの話では?」


 それを聞いた佐伯は、一瞬、眉をしかめたが、すぐに笑いを堪えるかの表情に変わった。


「なるほどな。山崎が君を後継者に選んだ理由がわかった。君はまさに適任だということだな」


 納得顔の佐伯に対し、播木のほうは今のやり取りのどこに自分がこの件に適任であると感じさせる要素があったのだろうかと訝しんだ。だがそんな播木に構うことなく、佐伯は話を次に進めた。


「さて、君に来てもらったのは他でもない、〝彼ら〟のことだ。まさに君が進水式に参列した、例の夢雲の新造船の件だ。君もすでに情報を得ているかもしれんが、来る十一月十八日に、その船の内覧会が催される」


「はい」


 播木はその話を耳にするのは初めてであったが、それを表情には出さず、ただ頷いた。


「そこに首相が出席する」


 佐伯の続けたセリフに、わずかに目を見開く仕草で播木は驚きを示した。


「もちろんSPがつくが、その場には君も同席してもらうことになる。それから、むろん君には、危険な兆候がないかどうかを、随時、ウォッチしておくことが期待されている。なにかあればすぐに報告しろ」


「了解しました」


 佐伯は、一旦、口を固く閉じ、目の前に座る若い部下の顔をしげしげと眺めた。それからおもむろに再び口を開いた。


「これは今までにないパターンだ。我々は今まで、〝彼ら〟の正体に近づくことだけを追いかけていればよかった――彼らは何者で、どの程度の規模があるのか、その能力はどのようなものか、何を考え、どういう規範で行動しているのか――。そういったことを明らかにするのが我々にとっての第一歩であると。だが実際のところは、この数十年をかけて、その踏み出した一歩目がまだ着地していないわけだ。そのような状態に慣れてしまった、という側面もあるやもしれん。すべては後手に回っていたし、それに甘んじるしかなかった。だが今回に限ってはそれが許されない」


 そこで佐伯は言葉を切り、目を細めて播木を見やった。


「何かがあってからでは遅いのだ。わかるな?」


「はい」


 播木は短く答えた。

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