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3-3. 話は聞いておるぞ

 内覧会には首相の出席が予定されている――そう聞いたとき、シュショウ? 誰よそれ、と僕は思ってしまった。それが日本の総理大臣のことと認識するまでに優に三十秒ほどを要した。


 もはや完全に現実とは思えなかった。僕は自分の頬をつねってみるべきだろうか。ほんの数ヶ月前までは吹けば飛ぶよな(そして実際に吹き飛んだ)小さな小さな会社に勤めていたエンジニアが、いまや総理大臣に見せるためのデモンストレーションの打ち合わせに参加しているのだ――そう、僕は今、内覧会の船内で披露するためのデモの内容を検討するミーティングの場にいる。ほとんど口を挟むような機会はないけれども。


 マーケティング本部のメンバーと某大手広告代理店の人たちが中心となって話を進めていた。この人たちの話す内容からしてもう僕の感覚を完全に超越しており、ただとにかくデモが超近未来的なものになる、ということだけが伝わってきた。


 社長室のメンバーが会議に同席していることが重要、と言われるけども、本当に僕はこの場にいて話を聞くという以外のことをしていない。こんなので給料をもらっていいのだろうかと思わなくもないけども、そんなことにも慣れてきたように思う今日この頃であった。


「――すべてが全自動で行われます。故障の発生したサーバのネットワークからの離脱、ラックからの除去、新しいサーバの設置から起動まで、すべてロボットが実行します。ラックから外された故障サーバは自動で作業室に運ばれ、そこで初めて人間の作業者が故障箇所の修理作業に入ることになります――」


 インフラチームの増田(ますだ)さんが皆の前で説明を続けていた。夢雲のあらゆるサービスが稼働するクラウド環境を支えるインフラを運用するチームのリーダー、ちょっと強面で近寄り難いけど話してみるとフレンドリーな人である。


 プレゼンの画面にはラック間を縦横無尽に動くロボットの映像――ロボットと聞いて一般の人が想像するものとはビジュアル的にちょっと違う――が映し出されていた。専用のレールの上をものすごいスピードで動く。


 もはやSFの世界。僕はひたすらに圧倒されるばかりだ。


 打ち合わせは休憩となった。


 会議の正式な議事録は別の人が書いてくれているけども、いつも僕は自分用に記録を作成していて、皆が休憩のために席を立ってからも少しのあいだパソコンを叩いていた。作業を終え、僕は立ちあがった――トイレに行っておかねば、と。


 会議室を出て足早に男性トイレに向かったはいいが、皆が一斉に用を足そうとしていて結構な行列になっていた。そこで僕は別のフロアのトイレに向かう。裏ワザだ。ひとつ上は最上階なので基本的に役員と社長室のメンバーしか使わない。つまり一種の特権でもある(一般社員の利用が禁止されているわけではないけど)。


 階段を一段とびにのぼった。


 最上階フロアは、しん、としていた。廊下に出ると、少し離れたところを歩いている人影が目のすみに入り、一瞬、僕はなにかを見間違えたかと思った。その姿がこの場にそぐわないものだったからだ。顔をあげ、あらためて僕は視線を前方に向けた。


 子供だ。髪の長い女の子。


 僕は混乱を覚えた。子供が社内をうろついているなどというのはあり得ない話だ。社会見学とか? にしてもひとりで歩いているのは奇妙だし、それにそういったものが開催されているのだとしたら社長室の僕の耳に入っていないはずがない。


「あの、ちょっと!」


 その子に向かって僕は声をかけた。


 反応がなかった。少女は小林さんの執務室のほうへと歩いていた。


 しょうがないなあ――僕は小走りになった。


「ねぇ、君!」


 すぐ後ろあたりまで近寄って声をかけると、その子の足は止まった。僕は前に回り込んだ。小学校高学年くらいか。少女は僕を見上げた。意外だったのは、その子の表情には特になんの戸惑いも恐れのようなものも浮かんでいなかったことだ。こんな場所で見知らぬ大人の男性にいきなり呼び止められれば少しはビビるのが普通だろう、このくらいの子供なら。


 少し腰をかがめるようにして僕は少女と目線を合わせた。


「君、ここで何してるの」


 あまり威嚇的にならぬよう、若干のとがめる感じを残した口調で僕は尋ねた。


 少女は別に恐れ入ったりする様子もなく、ただ首を傾げた――この無礼者にどう答えを返してやろうか、とでも考えているかのようだった。


「こんなところに勝手に入ってきちゃダメじゃないか。いったいどうやって入ったの」


 まったく動じぬ少女の態度に、逆に僕のほうが自分の正当性を主張しなくてはならなくなったか、思わず僕の口からは相手を糾弾するセリフが出てきた。女の子はすこし呆れ顔になり、ワンテンポ置いてからこう言った。


「お主――、ご挨拶じゃのう。ま、致し方あるまいな、今のお主の状況から鑑みるに」


 可愛らしい顔つきからは予想だにできなかったセリフに、僕は唖然とするしかなかった。ただ口をポカンと開けてしまった。


「大野直斗どの――」


 少女が僕の名を口にするのを耳にして、僕の首からぶら下がっている社員証の名前を見たのだろうと推測できる程度には僕の思考能力は失われていなかった。


「話は聞いておるぞ……。なるほどな、お主が」


 ニヤニヤしつつ、その子はうんうんと頷いた。


 どういうことだかまったくわからなかった。いったいこの子はなにを言っているのか――僕は固まってしまった。


 そのとき背後から聞き慣れた声がした。


「あ、大野さん、どうかした?」


 僕は振り返った。声の主は原田さんだった。廊下の向こうから姿勢良くこちらに歩いてきていた。その姿を見て僕は安堵した。


「あ、あの、この子が、ここを歩いていたんで……」


「ちょいとばかり挨拶を交わしていたとこじゃ」


 僕が言い終える前に少女がそう口を挟んだ。原田さんはニコニコしながら僕らのそばまで来た。原田さんのその表情は〝外部向け〟の顔だ。つまり社外の偉い人だとかを接客する際に見せるキメ顔である。僕は意外の念に打たれた。


 原田さんは少女に向かって丁寧にお辞儀をした。僕の困惑に拍車がかかった。少女は鷹揚に頷いた。


「ではワシは失礼するとするかの」


 そう言って少女が立ち去ろうとするので、僕は思わず制止しようとするかに手を出しかけたが、原田さんにその動きを抑えられた。


「トートによろしく伝えてくれよ、直斗どの」


 少女は僕のほうを振り向き加減にそう言った。


「えっ!?」


 ――聞き間違いか? 今、確かに少女がトートの名を口にしたようだが……。


 僕の反応に構うことなく、少女は歩き去った。原田さんが再びお辞儀をしてそれを見送るようにしたので、僕も動くことができなかった。そのまま少女は小林さんの執務室のほうへと消えた。


 頭のなかが疑問符で埋め尽くされた。あの子はトートの知り合いということなのか?


 いったい何者――?


 僕は問いたげな目つきを原田さんに向けた。そのときには彼女は普段の表情に戻っていた。


「大野さん。あの子のことは何も口にしちゃダメ。質問もなし。誰かに話すのも、もちろんNG。とにかくナシ。ナシナシのナシ。それがルール。絶対のルールだから守らなきゃダメ。絶対だから。OK?」


 そう言った彼女の顔つきは真剣そのものだった。




 頭を疑問符で埋めたまま一日を過ごした。誰かにあの子が何者なのか聞きたいところだったが、絶対のルールだと言われてしまってはそのことを口にすることはできない。そのルールはみんな知っているものなのだろうか? それすらも確認のしようがない。あるいは遠回しに訊いてみるのならアリだろうか――。


「石巻さん、つかぬことを伺いますが」


 仕事の話の終わったタイミングで僕はついにそれを尋ねることにした。ひっそり声で。他の人たちは席を外していたので、普通の大きさの声で話してもよかったのだが。


「ん、なに?」


「この会社に『あることについて決して口にしてはいけない』みたいなルールってありますか?」


 石巻さんは眉根を寄せた。


「なんだ、それ。『王様の耳はロバの耳』みたいなやつ? 『社長の頭はヅラ』だとか」


「えっ、そうなんですか?」


「んなわけないじゃん。今のはモノの例えだよ」


「なんだ、びっくりした」


 普段から石巻さんは、はたから見て冗談を言ってるのか真面目な話をしているのかの判別が非常に難しい人である。


「そうねえ、もしそんなのがあるとしても、あるともないとも言えんだろ。考えてみなよ。仮に『ある』って答えてもそれ以上はなにも口にできないわけじゃん? それで大野さんは俺がウソをついてるのか本当のことを言っているのかどうやって判断するわけ?」


「んー、そのときの石巻さんの目つきとかですかね」


「じゃ、『ある』」そう言い放って石巻さんは僕の目をまじまじと見返した。「どっちだと思った?」


 わかるわけがなかった。


「いや、ちょっと……」


 僕が口ごもると、石巻さんは笑った。


「いいことを教えてあげよう。『見ざる・言わざる・聞かざる』。それがスマートな生き方ってやつ。昔の人は正しいよなぁ」


「はあ……」




 家に帰った僕は、トートに尋ねた。少女について他言無用だとしても、当のその本人から「よろしく伝えろ」と言われているのだから、その命令のほうが優先するはずだという判断で。


「今日さぁ、会社で君の知り合いらしき人に会ったんだけど、心当たりある?」


 テーブルの向かいに腰掛けた彼女のコップに焼酎を注ぎつつ、僕はそう問うた。


 僕の顔に視線を据えつつ、彼女はコップに口をつけ、ゴクリとひと口飲んだ。テーブルに肘をついた手にあるコップを頬の近くに持ったポーズで、彼女は言った。


「マナに会ったのね」


「マナ」


 鸚鵡返しに僕はその名を口にした。彼女はニコリと頷いた。


「知り合いなんてもんじゃない。もっと深い間柄。そうねぇ、あなたのボキャブラリで言うと、『一族』というのが近いかな」


「一族? 親戚ってこと?」


「それとは違う。もっと抽象的な意味での『一族』。まあ、それだって正しくはない。しょせん言葉で言い表せるものじゃないの」


 いつものことだが、彼女の言わんとしていることは僕にはまったく理解不能だった。そして僕はいつものごとくすぐに諦め、話を変えた。


「君によろしくって言ってたけど、あの子はなに? なんで夢雲の本社ビルに入れたんだろ。ひょっとして社長の娘さんだとか?」


 彼女は笑って、首を振った。


「じゃ、なんだろ。なんか社内ではあの子について話をするのは厳禁なんだって」


「そうね、それじゃ、こう考えて。マナはあの会社のコンサルタントみたいなもの。つまり経営アドバイザー」


「えっ、……あ、ごめん、それ違う人だよ。僕の言ってるのは小学生くらいの女の子のことだよ?」


「違わない。それがマナ」


 僕は混乱するしかなかった。あんな子供が夢雲の経営アドバイザーだなどと言われても。


「なんかその子、僕のことを知ってたみたいだったんだ」


「うん、私が話したから」


 え、そうなの……?


「君は、じゃあ、それで僕を夢雲に応募させたわけ?」


 彼女は頷いた。だが、それについて特に説明をするつもりはないようだった。


「それならそうと言っといてくれればよかったのに」


「ん、ゴメンね。でも、ほら、世の中には知らないでいるほうが物事がうまく進むことがあるの。というか、なんだってそう。人間は知識のせいで道を踏み外してばかり」


「そんなことないでしょ。人は知識のおかげで正しい道を選べるんだよ」


「持ってる知識が正しくて、かつ客観性も確保されてて、なおかつ必要十分な範囲を網羅している限りにおいてならね。でも自分自身に関わってくることとなると、まるでダメ。人は期待とか恐れにまどわされる」


 彼女が小難しいことを言い出したので、僕は引き下がった。


「小学生の経営アドバイザーかぁ。ちょっと変わった子だったなあ。時代劇の役者の喋り方をまねしちゃったりしてさ」


 僕がそう言うと、彼女は笑った。


「昔からそうなのよ。なぜだか現代風の話し方が身に付かなくて。別にあれで困ることはないからかな」


「ふーん」


「まあ、マナとはきっとまた会うこともあるでしょうし、名前くらいは覚えといてあげてよ」


 そう言って彼女は目を細めて僕を見た。口を閉じてニッコリと微笑んだその唇がなんとも優美な曲線を描いた。僕はなにも言えなくなる。

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