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3-2. マナ

 播木は〝それ〟を自分の目で確かめたかった。


 このひと月あまりというものの調査には大きな進展が見られず、小林義勝の残した資料の精査を続けてはいるが、めぼしい成果がなく日々が過ぎるばかりであった。


 その一方で彼は、夢雲・小林省吾の動向に目を光らせることを怠ってはいなかった。


 そんななか舞い込んできたのが、夢雲が津島(つしま)重工に発注していた船舶の進水式が近日執り行われるという情報だ。


 ――インターネット関連企業である夢雲が何故に船舶を?


 彼は詳細を探った。経済産業省やら国土交通省、総務省などがこの件に複雑に関与していることが判明した。突飛とも思える計画が、各省庁それぞれの思惑をうまい具合にすくい取った形で進行しているように彼の目には映った。常識的に見れば認可を得るだけでも何年もかかり――というよりまず無理――そうな内容だったが、最初の申請からは二年ほどしか経過していない。


 ――これも〝彼ら〟の力が働いた結果なのか。


 船の全容については入手した書類からおおよそ把握できたが、それでも播木は自身の目でそれを見たいと思った。それに、進水式に列席する面々を眺めるだけでも資料からではわからない何かが得られるかもしれない、とも考えた。


 組織のツテで播木は進水式の招待状を入手した。あっさりとしたものだった。参列時に用いるために国土交通省海事局の佐藤(さとう)という人格が彼に与えられた。


 問題は播木と小林省吾とがすでに互いに面識があることだった。現地で顔を合わせたりすれば当然、省吾は播木のことに気づくであろう。そのため播木は――原始的な手段ではあるが――変装をして式に臨むこととした。


 組織には変装の専門家がいる。その人物にかかればどんな変装も見破られ、その人物の施した変装は誰にも見破られることがない、〝生ける矛盾〟の異名の持ち主、河嶋晃(かわしまあきら)。播木はこの河嶋からレクチャーを受け、「君はなかなかスジがいい」と最後には言葉をもらって免許皆伝となった。




 式の当日、播木は会場となる津島重工神戸造船所に赴いた。前日からの関西入りである。


 タクシーで正門に乗りつけた。


 夏の盛りは過ぎかけていたが、いまだ日差しは強烈であった。アスファルトの照り返しで頬のあたりに強い熱気を感じた。あちらこちらからセミの鳴き声が聞こえてくる。


 広い門には可動式の金属の柵が設置されており、今は閉じられていた。その脇に守衛室があって、二人の制服姿の男性が中に居た。周囲を一瞥し、警備がしっかりとしたものであることを播木は認めた。ごくありふれた工場のようでいて、許可のない人物が気づかれずに内部に立ち入るようなことは難しいことが見て取れた。


 来訪者に気づいた室内の守衛が立ちあがった。播木は窓口に歩み寄り、招待状を提示した。守衛は頷いた。


「お名刺を一枚、頂戴できますか」


 播木は内ポケットから名刺入れを取り出し、抜き取った一枚を守衛に渡した。当然そこに記載されているのはニセの名前と肩書である。


「海事局の佐藤様――。そちらの方はお連れ様ですか」


 守衛が尋ねた。播木にとっては予想外の言葉だった。だが彼は表情を変えなかった。変装をしているが故、怪しまれるような振る舞いをしないように意識していたのだ。そうでなくとも彼は感情を表に出すことはほとんどないのではあるが。


 制服の男の視線が向いている先に振り向いた。


 いつのまにか、自分のすぐ後ろにひとりの少女が立っていた。まだ小学生くらいの歳に見えた。おとなしい服装に、背中まで伸びるストレートの黒髪。


 目が合った。その意味ありげな顔つきに、播木の心は何かを感じた。


「そうです」


 わけのわからぬ内に彼はそう答えていた。


 守衛は少女に笑顔を見せた。


「入ってすぐ右側にあります停留所から巡回バスにお乗りください。五分おきに出ております」


 播木は頷いて歩き出した。少女はそれに続いた。


 構内に入ったところで播木は足を緩め、少女に顔を向けた。あらためて自分が何故、彼女を連れと認めたのかを不思議に思った。自分らしい行動ではなかった。


 少女は口を開いた。


「すまんな、礼を言う。ちょいとばかり連れと別行動をしとったもんで、中に入れず困っておったのだ。おかげで助かった」


 時代劇から抜け出てきたかのような言葉遣いに播木は面食らったが、ここでも彼はそれを表情に出すことを回避できた。


「君、名前は?」


「マナ」


「マナちゃんか」


「お(ぬし)は?」


 少女の口ぶりに調子を狂わされつつ、播木は答えた。


「佐藤」


「佐藤どの――。ふむ……、それはお主の本当の名ではないな。ま、ワシにとってはどうでもよいことであるが」


 驚くしかなかった。なぜこの少女にそれがわかったというのか。


 表面的には平静をたもちつつ、あくまで声色は子供向けのまま、播木はこう尋ねた。


「なんでそう思うんだい?」


 少女はなんでもないことのように返した。


「佐藤という言葉の響きがお主と馴染んでおらんからの。それだけのことじゃ」


「ほお」


 感心したかの口ぶりの播木だが、その理屈を真に受けたわけではなかった。単なる子供の戯言がたまたま事実を突いてしまっただけだろうと考え、話題をそらした。


「君も進水式に行くのかな?」


「そうじゃ。そこにワシの連れも来とるはず。お主の行き先も同じじゃろ、そこまでご一緒させてもらうとするかの」


 少女とのやり取りの奇妙さに播木は現実感を失い始めた。日差しの強さと海が近いことの独特な空気感が相まって、すべてが夢の中の情景に似て感じられた。


 構内バスが来た。ふたりが待つ停留所の前で停止し、前方のドアが開くと中から数人の作業服姿の男性らが降りていった。それを目で追っていた運転士が播木らの姿を認め、「どおぞぉ」と声をかけてきた。


 播木はバスに乗り込み、少女が続いた。内部は一般的な乗合バスと同じような座席の配置で、他に乗客はいなかった。近くの席に座ろうと播木が足を緩めたとき、少女がその背後をとととっと進んで最後尾の横一列に長い座席へと向かい、とんっ、と真ん中に腰掛けた。播木は少し迷いつつも彼女を追い、その右隣に座った。


「お主のそのメガネもしっくりきとらんな。変装でもしとるのか」


 少女は言った。図星な指摘に播木の自信は揺らいだ。


「いや、買い換えたばかりなんだ」


 子供相手になにを、と思いつつも言い逃れを口にしてしまったことに、播木は心の内で舌打ちをした。


 ビーッと音がしてドアが閉まり、バスは動き始めた。


 両側に連なる工場の建屋の間をバスはゆっくりと進行した。窓の外すぐにまで迫る建屋の壁が圧迫感をもたらしていた。


「このあたりは震災の時には大変であったろうな」


 ふいに少女がそう口にした。それは独り言などではなく、明確に播木に向けてのものだった。


「震災? ああ、阪神・淡路大震災のことか」


「そうじゃ」


「それはそうだったろうな、このあたりは甚大な被害を被ったエリアだったはず」


 少女は虚ろな眼差しとなった。顔は前を向いているが、その目は何も見ていないかのようでもあった。播木には少女が震災の被害に思いを馳せているかに見えた。


「あれは九五年だから、もう十四年も前だな。君はまだ生まれてなかっただろう」


 そのセリフに少女は目を細め播木を見返した。


「レディーに歳のことを訊くのは失礼であろうぞ」


 冗談めいたことを口にしたという声色だった。播木は返す言葉を見つけられずに、ただ肩をすくめた。


「お主こそ当時はまだ子供であったろう」


「む。そうだな、小学生だったかな。俺は関東の人間だから震災のことはさほど印象に残っていない。高速道路の高架が倒れている映像をニュースで見た記憶がある程度だな。それすらも、当時に見たのか、後になって見たのか――」


「次は他人事ではないぞ。気をつけろよ」


 播木が言い終えぬうちに少女は硬い声でそう告げた。その言葉の意味を測りかねて、彼は少女の横顔に視線を向けた。その目は閉ざされていた。


 寝ているのではなさそうだったが、話を続けるわけにもいかずに播木は窓の外へと視線を移した。


 まもなくバスは停止した。


「進水式ご参列のお客様は、こちらでお降りください」


 運転手がアナウンスした。


 座ったときと同じように少女はひょこっと立ちあがり、出口へと向かった。遅れじと播木も続いた。


 道路から少し距離を置いてすぐ前方にある建屋の壁に大きな看板が立てかけられていて、墨で『命名・進水式会場』と書かれてあった。二人はそちらへ足を運んだ。


 建屋と建屋との合間から、そのさらに向こう側にある不思議な形をした巨大な建物が見えた。いや、建物ではない。それは巨大な船であった。全体が地上にあるが故に船とは見えなかったのだ。そびえ立つ難攻不落の城、そういったものを播木に連想させた。


 建屋の入り口と思しき開かれた扉の横に案内板が置かれていた。少女はそれに目を向けることなく、すたすたと中に入っていった。素早く案内に目を通した播木は少し遅れて続いた。


 内側に入るとそこは鉄製のボックス階段になっており、上方から少女の靴音がリズミカルに響いていた。播木は少し急ぎ足に階段をのぼった。普通の建物でいえば三階分ほどの高さがあった。薄暗い中にむき出しの鉄の壁と階段が続く。踊り場をいくつか経由し、のぼりきったところの開かれたドアを抜けると、広いバルコニーあるいは舞台のようなものを思わせる見晴らしのよい場所に出た。


 少女から一、二秒遅れて播木はそのドアを抜けた。


 目の前に巨大な船の前部がそびえていた。目線は船の甲板よりもずっと低い位置になるため、その船全体の様相を把握することはできなかった。ただその大きさばかりがひしと感じられた。


 バルコニーには折りたたみ椅子が三列に五十脚ほど並べられており、中央には演台とマイクスタンド、播木が通ったドアの反対側のほうには司会者台があった。椅子はまだ二割ほどしか埋まっていない。


 扉を出たところで足を止めた播木は、少女の後ろ姿を目で追った。横並びの椅子の一列目と二列目の間をずんずんと奥へ少女は歩いていった。


 司会者台のすぐ手前あたりに腰掛けていたスーツ姿の男性の後ろまで進んで、少女は立ち止まった。彼女の気配に気づいた男性は後ろを振り向いた。播木はドア前に立ち止まったまま、その様子を観察している。


 男は小林省吾だった。


 省吾が振り向いたとき、一瞬だけ目が合ったような感触を播木は覚えた――もちろん変装がバレるはずもなかった。省吾は背後の少女を見上げ、ただ頷いた。少女はそのすぐ後ろの椅子に座った。

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