3-1. 株式会社夢雲社長室
「あっ、ここ、僕の実家の近くですよ」
案内状のPDFを見て、僕は思わずそう口にした。
「へえ、大野さんて神戸の人なんだ」
そう返したのは原田さんだ。原田さん、すなわち社長室の室長。肩書きだけ聞くとお堅いビジネスマンのイメージだが、その実体はごく優しげな中年女性である。着ている服もビジネスカジュアルなのが常だから、彼女が廊下を歩いているのを見ても知らない人であれば誰もこの人が社長室室長だなどと思わないだろう。むろん社内で彼女を知らない人などいないのだけれど。
「ええ。生まれ育ちがあっちで、大学ンときにこっちに出てきました」
「ふーん、そうなんだ」
原田さんが思うように案内状を印刷できないというので、僕がサポートをしてあげていた。社長室にはエンジニアは僕一人であるから、そんなことも仕事のうちである。エンジニア的雑用と面接で言われていたもののひとつが、これ、ということだろう。
夢雲で働き始めてから、早くもひと月が過ぎた。
入社してなによりも驚かされたのは、二次で僕を面接してくれた人が他ならぬ社長の小林さんその人であったこと――ちなみに面接時にそれに気づいていなかったのは僕が初だそうだ――だったが、小林さん(この会社では社長から新人まで全員が「さん」付けで呼ばれる)自身を社長室で見かけることはあまりない。面接の時を別として、僕はまだ二言三言しか言葉を交わしたことがない。
社長室のメンバーは、全員、小林さん直接の面接で採用されたのだそうだ。全員といっても僕を含めわずか四人――原田さん、石巻さん、茅野さん、僕――だ。和気あいあいとした職場で、僕はすぐに馴染んだ。今のところ仕事はそんなに多くないと感じているが、これにはかなり波があるそうで、忙しい時はシャレにならないという。
「あ、出た出た。大野さん、ありがとう」
部屋の隅にあるプリンタの前で原田さんがそう言った。PDFは期待通りに印刷できたようだ。紙を手に彼女は席に戻ってきた。
印刷されたのは命名・進水式の案内状だ。
夢雲が取り組んでいるプロジェクトのひとつである洋上データセンター。その先鋒となるべく建造中の船の進水式が近日中に催される――ああ、ほんの数ヶ月前まで働いていたちっちゃな会社とは比べ物にならないスケールのデカさ。以前の境遇と今の自分とのあまりもの落差に、つい感慨に浸ってしまった。
その船の完成イメージ図を以前に見せてもらったが、見るからに未来から出現したかの如き雰囲気が漂うものだった。まず目につく船の上部全体を覆う太陽光発電パネル。後部の巨大なクレーンのようなものは海底ケーブルを施設するためのものだ。内部には国内の一般的なデータセンター五棟分に匹敵する量のサーバを格納できるという。
しかし、なぜデータセンターを船にするのか――コンピューティングのための電力を自然エネルギーで賄えないかというテーマで、その選択肢のひとつが太陽光発電なのだけども、そこには常に日照率の問題がつきまとう。その解決策として「船ならば、天候を予測するAIと組み合わせて、常に晴れているところに移動させられるんじゃね」というアイデアが挙がり、なんでもやってみるという会社の精神に則ってそれが実現に向かっている最中なのだそうだ。船なら地震にも強かろうという利点もあると。
「大野さん、地元なら一緒に出席させて貰えば? そしたら会社のお金で帰省できるじゃないの」
原田さんはそんなことを言い出した。
「え、そんなのアリですか」
「アリアリのアリよぉ。式典だから出席者があんまり少ないってのもねぇ」
「進水式って、なにやるんです?」
僕のその問いに、原田さんの向いの席に座る石巻さんが答えた。
「見てるだけ。小林さんが船の命名を宣言したら、次に、船につながっているロープが切断されて、シャンパンのボトルが船にぶつかって割れて、紙テープがわーっと一斉に垂れ下がり、船がズルズルっと海上に繰り出して、以上、お終い」
石巻さんは僕よりも少し年上の男性だ。少しシニカルに物事を見るタイプのようだけれども、仕事はキッチリしている。彼自身はITを専門的に学んだことはないそうだが、僕が来るまではそのあたりも彼がカバーしていて大変だったそうだ。
「船に乗るわけじゃないんですね」
「うん。まだ船が器として完成したってだけだから、一般の人が乗れる状態にはなってないらしいよ」
「私たちが船に乗れるのは内覧会の時ね。それはまだ先。えーとぉ、予定ではこの秋だったかな」と原田さんが続けた。「なんか内覧会はすごいことになるらしいけど」
「――見てるだけかぁ。とはいえ日帰りってことはないですよね。いや頑張ればできなくもないだろうけど」
その僕のセリフに反応したのは茅野さんだった。
「たいていは大阪支社関連のいくつかのスケジュールを合わせちゃいますから、一泊はしますね」
彼女は僕が面接で初めてこのビルに来たときにロビーまで迎えにきてくれた人だ。小林さんのスケジュールはすべて彼女によって管理されている。
「どお? 小林さんのいつも使う高級ホテルに一泊よ。あ、でも大野さんは実家に泊まればいいのか」
そう続けた原田さんに僕はこう返した。
「んー、ま、でも、そんなに帰りたいわけでもないんで。見てるだけのためなら、ちょっとパスさせていただきたいですね……」
僕の頭にあるのは、当然、トートのことだ。たとえ一晩であっても彼女と離れるのはナシにしたい。かといって仕事の出張に彼女を連れて行くわけにもいかないだろう。小林さんと同行になるかもしれないのならば、なおさらだ。
「そうよねえ、退屈だものね」と原田さん。
「それに、データセンター機能を設営するタイミングで船を眺める機会は死ぬほどあるだろうからな、大野さんの場合。今、焦って見に行く必要はない」
そう石巻さんが続けた。
「あ、そうなんですね」と僕。
「うん。もちろん設営自体はデータセンター事業部のチームと専門業者が実施するけど、今回のようなケースだとウチからも誰かが状況把握のために現地に行くことになるだろう。間違いなく大野さんの出番だろうな」
「責任重大ですね」
「まあな。ま、それだって、現地で状況をきちんと把握するということよりも、社長室の人間がその場に同席する、ということのほうが重要なワケ。お目付役としてな。あとはいかに状況を理解しているフリができるかってとこがポイント――ま、大野さんはエンジニアだからデータセンターのことはよく知ってるか」
「といっても利用者としてしか関わったことないですけど」
「それだけで俺なんかより数倍マシ。俺にとっちゃ、データセンターもデイケアセンターも一緒だもん、自分に縁のないという意味では」
そういう石巻さんのジョークに一同が笑った。みんな付き合いがいい。前の会社の人たちとは違う。




