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2-7. 面接とゲリラ豪雨

 面接会場に指定されたのは外苑前の駅近くのビルだった。現地に着いてみると道路沿いには同じようなオフィスビルばかりが建ち並んでいて、目的の建物かを確かめるためエントランスに掲げられた名称を見てまわる必要があった。目の前のビルの名とメールに記載された名とを三度ばかり見比べ、ようやく僕はそこに足を踏み入れた。


 狭いロビーの壁にフロアガイドがかかっていた。そこに夢雲の名はなかったが、したにスタンド式の案内板が置いてあり、『株式会社夢雲 面接会場受付 3F』と書かれていた。フロアガイドの三階に目を向けると、そこにはヒューマンなんちゃらという会社名が記載されているばかりである。人材サービス会社に面接を代行させているのか、人事機能だけを別会社にアウトソースしているのか、どちらかだろうと思った。


 エレベータで三階へと向かった。


 降りるとやはり目の前に案内板があり、右手に進めばよいとわかった。廊下を進んだ先に再び案内板があり、指示通りに横の扉から中へと入った。


 そこは待合室になっていて、五、六人のスーツ姿の男女が壁際の椅子に腰掛けていた。正面には仮設の受付デスクがあって、その向こうの女性が部屋に入ってきた僕を見ていた。


 受付の前に歩み寄り、女性に向かって頭をさげた。


「大野直斗と申します」


 女性はにこやかに頷いた。


「大野様、お待ちしておりました。本日はお越しいただき、ありがとうございます。面接官のほうの準備が整いましたらお声をかけさせていただきますので、それまでどうぞ、お座りになってお待ちください」


 女性は他の人たちが待っているあたりを掌で示した。僕はもう一度頭をさげ、受付を離れた。いくつかの空いている席のうち、一番奥に座った。


 ここで待っている人たちは当然、全員が夢雲の面接を受けに来た人だろう。誰もが緊張の面持ちで姿勢良く椅子に座っていたし、きちんとした格好をしていた。パリッとしたスーツに磨かれた靴、整えられた髪型。これはマズったかと僕は思った。久々に引っ張り出した僕のスーツはシワがよっていたし、靴も履き古したものだった。おまけに髪もボサボサだ。せめて整髪料だけでもつけてくるべきだった、と後悔した。


 早くも終わったか――。


 だがそれ以上に、平日の昼間だというのにこれほど多くの人が面接に訪れているということに慄きを抱いた。僕のように無職ではないだろうから、皆は仕事を休んで面接に臨んでいるのだろう。採用人数がどれだけ多いかはわからぬが倍率は相当なはず。なんにしても僕が受かるなどということはあり得ないに違いない……、そんなことを思った。


 僕がその場に腰掛けてすぐに、奥から待合室側に出てきた男性が受付でなにかを確認したあと、その場で「横田(よこた)様、お待たせしました。ご案内いたします」と声を張りあげた。


 僕の隣に座っていた割と年配の男性がその横田氏だったのだろう、即座にピッと立ちあがった。そして、声をかけた男性とともに奥へと消えていった。


 その姿を見送った僕の視線は、壁にかかった時計のうえに止まった。面接の予定時間のちょうど五分前だった。トートの待つ家にすぐさま帰りたい気持ちしかなかったが、そうしてしまうわけにもいかない。いくら時間のムダとしか思えないとはいえ。せっかく彼女が応募してくれた会社でもあるし――。


 などと考えていたところに、奥から今度は若い女性がやってきて、受付の女性になにかを尋ねた。話の内容までは僕の耳に届かなかった。受付の女性は僕のほうを掌で示した。


 若い女性はツカツカと僕の前に来た。


「大野様、ご案内いたします」


 腰を少し折るようなポーズで女性は言った。「あ、はい」と僕は応え、立ちあがった。


 まだ少し時間には早かったのに――と思いつつ。




 面接を終え、僕は建物を後にした。スマホを取り出して時間を確認すると、ほんの三十分ほどしか経ってなかった。さっさと終わってよかった、と思いつつ、まっすぐ駅に向かった。


 どこか勝手の違う面接ではあった。待合室に僕を迎えに来た女性が面接官だったのだが、通りいっぺんのことをシステマチックに訊くだけ、という印象だった。もちろん自己アピール的なことも言わされたんだけど、相手にそれがどう伝わっているのかまったくわからない感じ。常に相手の反応をうかがいながら話を進めていくタイプである自分からすると、やり辛いことこのうえなかった。事前に話す内容を完全に決めておけばよかったのだろうけども、残念ながら僕はそういうタイプではないのだ。


 ただ、逆に言えば、悪い反応もなかった。なので、どう結果が転ぶのか、まったく予想がつかないとも言える。


 そんなだったから、トートの元に帰り着いたときの僕はきわめてニュートラルな状態だった。


 僕の顔を見て、彼女はいつものように小さくニコリとした。


「首尾よくいったようね」


「えっ? んー……、いや、どうかなぁ。わからないけど」


 僕はカバンを片付け、スーツを脱ぎ始めた。


「着替えたら、散歩に行こう」


 雨が降らない限りは散歩に出かけるというのがこのところの僕らの日課となっていた。なにせ散歩には金がかからない。行き先は常に彼女任せで、たいていは結構遠いところまで歩く。そして途中で知らない人と交流のあることが何故だか意外に多い。ま、交流といっても、ちょっと道を尋ねられたりだとか、時間を訊かれる程度だが。


 面接を受けてきたばかりだからか、僕は少し神経的に高ぶっている感じがしていて、休みたいという気持ちよりも散歩でリセットしたい気分が勝っていた。


 彼女は窓のカーテンの隙間から空の様子を見た。


「雨、降りそう?」


 僕は尋ねた。さっきまで雨は降っていなかったが、いつ降り出してもおかしくない空模様ではあった。梅雨の真っ只中でもある。今年の梅雨はさほど雨が多くない感じではあったが、晴れる日も少ない状況が続いていた。


 彼女はめずらしく思案顔だった。


 着替えが済んだので、僕は「じゃ、行く?」と声をかけた。


 ちょっと微妙なままの表情で、彼女は頷いた。




 いつも散歩のとき、僕らは手を繋ぐこともあるけど、結構、さくさくと歩く。のんびりゆっくりという感じではない。意外にいい運動になっている。


 けど今日の彼女は、なぜだか僕の腕をしっかりと抱えるようにして、くっつくように歩いた。めずらしいことだ。この状態だと必然的にゆっくりと歩くことになる。たまにそういうのも悪くはないけど。


 空は一面の厚い雲に覆われていて、気温もそんなには上昇していないようだが、湿度が高くて体感的には暑かった。にもかかわらず彼女がピタリとくっついて歩く様子に僕は疑問を抱くけども、その手を振りほどくことは、むろんあり得なかった。


 僕らは駅に向かうのとは反対の方向に進んだ。


 神社の前を通りかかった。彼女はこの神社の境内がお気に入りのようで散歩中によく足を踏み入れることがあった。ローカルな神社にしては立派な参道があり、大きな御神木もあった。


 彼女は参道の鳥居の前で足を止め、社のほうを見つめた。今日も境内をブラブラするつもりなのかなと僕は思ったが、少し佇んだあとで、彼女は鳥居をくぐらないことを選んだ。元の道をそのまま進んだ。


 住宅街が続いた。


 しばらく行くと、平坦な道がそのまま橋になっている箇所がある。つまり、その下が谷のようになっているわけだが、そこには川でなく高速道路が走っている。橋の両側は金属のフェンスが高く張り巡らされており、道路周辺には侵入できないようになっていた。


 僕らは足を緩め、橋のちょうど真ん中のあたりでどちらからともなく立ち止まった。彼女は眼下を駆け抜けていく車の流れをフェンス越しに眺めた。僕も一緒にそうした。いつまでも眺めていられる気がした。彼女は僕の肩に頭をもたれかけた。


 一、二分ほどそこでそうしていたろうか。


 彼女は顔を空に向けた。どうしたのだろう、と思った僕が彼女のほうを向いたとき、僕の鼻に水滴が当たった。


 雨だ。


 すぐに大粒の水滴が音を立てて道路を濡らし始めた。雨の独特な匂いがした。体を打つ雨粒が体に痛いほどだった。『ゲリラ豪雨』――去年だかの夏によく耳にしたその言葉を僕は思い出していた。


 急いで周囲を見回したが、雨宿りできそうな場所は見当たらなかった。


 その間にも僕らはどんどんと濡れていった。


 彼女だけでもなんとかせねばと、着ていたシャツを脱いで彼女にかけることを僕は思いついたが、脱ごうとした服はすでに濡れ雑巾のようになっていた。


 びしょ濡れになりつつも彼女はそんな僕を見てニコリとしたように見えたけれど、次の瞬間にはもう、猛烈な雨のなかで僕は目も開けていられなくなった。最後の視界に映っていた彼女のまなざしが不思議な色彩を帯びていたような印象を僕の脳裏に残していた。そのまなざしが僕の思考のすべてを捉えて離さず、なにも考えられなくなった。


 手の甲で目を拭おうと、僕は――。




 ハッと目を開いた。


 一瞬、自分が寝てしまっていたような感触があった。


 僕は着替えている途中だった。


 面接から帰ってきて、すぐに散歩に出かけようとしていた。ベッドの端に腰掛けて――いや、さっきまで立っていたような気がするのだが……、いつのまに座ったのだろう、僕は。


 そのとき、窓の外を眺めていた彼女が口を開いた。


「雨が降るから散歩はナシね」


 雨が「降りそう」ではなく「降る」と彼女が断定したことに違和感を覚えた。それと同時に、何故だか自分がすでに雨に打たれてずぶ濡れになってしまったかのような不快感が体に残っている気がした。

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