2-5. 不採用通知
もう採用は決まったようなもの、という僕の思い込みとは裏腹にナゲット社からの連絡はなかなか来なかった。
僕はすでに転職活動もやめていて、ただただトートとの時間を満喫している状態だ。気がつけば六月も終わりに近づいていて、いったいどうなっているんだ、七月から働けるものとばかり思っていたのに……と、戸惑いのようなものを感じた。しかし先方に問い合わせてみるわけにもいかず、ただ漠然とした不安を覚えるのみである。
一緒のときには彼女のことだけを考えるように言われていたせいで僕はその不安をなかなか口に出すことができなかったのだけど、夕食を前に、意を決してそれについて独り言のようなセリフを吐いた。
「なんか、なかなか採用通知が来ないんだよなあ、どうなってんだろ」
彼女は特に感情のようなものを示すことはなく、短くこう返してくるのみだった。
「別な会社を探しなさい」
思わず僕は、「えっ?」と口にしたが、彼女は無反応だった。チンするだけのスパゲティの皿から半分を僕の皿に取り分ける作業に余念がないようだ。
そのとき、玄関のポストに、コトッ、という音がしたように思え、僕は配達物がないかを確認しに行った。
封筒があった。ナゲット社のロゴが印刷されていた。
夜なのに郵便? それとも音がしたと思ったのは気のせいで、昼に配達されていたのだろうか――僕は首を傾げながら部屋に戻った。
「来てた」
そう告げると、彼女はいつものように小さくニコリとした。
この時点でまだ僕はそれが採用通知であることを疑わなかった。テーブルに座り、瓶を手に取って彼女と僕のグラスにそれぞれワインを満たした。
彼女はグラスに口をつけ、僕は封筒を開いた。中にはA4の紙が一枚、三つに折り畳まれて入っていた。無造作にそれを取り出し、広げた。
不採用通知だった。
僕はそれを手に固まってしまった。
「ほら、飲んで」
彼女が僕にグラスを突き出していた。呆然としたまま僕はそれを受け取り、中身がなんであるかなどの考えなしにゴクゴクと飲んでしまった。
喉の奥がワインに刺激され、僕はむせた。
ゴホゴホと咳が出て、不採用通知と封筒が床に落ちた。僕はもう一度グラスを手に取り、ちびりと飲んで口をなだめた。
落ち着いたところで僕はようやく、肩を落として大きく息をついた。
「食べて」
彼女が言うので、僕はのろのろとフォークを手に取った。ショックのあまり手に力が入らなかった。
「もう、なんでそうなのかな」
少し苛立ったような声を耳にして、慌てて僕は笑顔を繕った。彼女に嫌われてしまったら元も子もない。紙と封筒を拾いあげて、ゴミ箱に捨てた。
食事をするあいだ、なんとか自分を偽って普段どおりに振る舞った。彼女はややジト目になっているようにも見えたが、口ではもうなにも言わなかった。
もちろん内心ではかなり僕はヘコんでいた。もともと可能性はないと思っていた話ではあったけど、最終面接まで行って悪い手応えはなかったのだ。なんで落とされたのか。落とされるならもっと早い段階のはずだったろう。
だがもう、どうにもしようがない。切り替える以外にない――とは思ったが、ナゲット社のような優良な会社への就職のチャンスなど自分には二度と巡ってこないだろう。失ったものの大きさにただ絶望するしかなかった。しかし自分は、今のこの生活をなんとしてでも守らないとならないのだ。そのためには働かねばならぬ。絶望などしている場合ではない――そう自分に言い聞かせた。
食事を終えて、彼女が食器を片付け始めたので、僕はスマホを手にベッド脇に行って座った。そしてすぐさま転職サイトを開いた。
検索でヒットした求人情報を片っぱしからチェックしていった。
――これには興味があるがスキルがマッチしてないからムリだ、ここは以前に応募したけど反応がなかった、こいつはちょっとハードルが高い……、といった具合に次々と。
俯いてスマホを見ていたせいで、彼女が部屋に戻ってきたのに気がつかなかった。横からいきなり彼女の手が伸びてきて、スッと僕の手からスマホを取りあげた。
「あっ、……」
また怒られるのではないかと僕は身構えたが、スマホを手に彼女は隣に座って僕に寄りかかった。
「私が選んであげる」
そう彼女は言って、にっこりとした。
「えっ……」
僕は彼女の手元を覗き込んだ。ちなみに彼女がスマホを操作するところを見るのは初めてだ。左手でスマホを構え、右手の人差し指を伸ばして操作するその様子は確かに使い慣れた人のそれとは違っていたが、それでも迷いなく操作できているようではあった。
いったいどういう風の吹き回しか――と思いつつも、僕には彼女の好きなようにさせる以外の選択肢はなかった。気まぐれに思いついたお遊びに違いない。僕はリモコンでテレビを点けた。
数分で彼女はスマホを僕に返してきた。
「はい。応募しといた」
彼女はニコリとした。
「いっ……」
慌ててスマホを確認しようとしたが、彼女の手がそれを止めた。
「今はもう、見る必要ないの」
彼女が体重をかけてきたのでバランスを崩しつつ、かろうじて僕はスマホをテーブルに置いた。そのまま僕は押し倒されたし、彼女の顔が僕の視界のすべてを遮った。
彼女が寝息をたて始めた。僕はそっとベッドから起きあがった。
テーブルのスマホを手に取った。
彼女が求人に応募したというのをそんなに真に受けていたわけではなかったけど、間違ってなにか変なことをされていたりしたら早いうちに操作をキャンセルしておかねば、と思っていた。僕の利用している求人サイトでは登録済みの履歴書を用いてワンクリックで求人に応募できるので、言葉どおりに彼女がどこかに応募した可能性もゼロではないと考えられたが、彼女に僕のITエンジニアとしてのスキルの内容など理解できているはずもないだろうし、見合った求人を選ぶなどということも不可能に思えた。ITのスキルというものは非常に細分化されているもので、僕でさえ自分の専門外のエリアはわからないものだらけなのだ。
求人サイトを開き、応募済み求人の一覧を見た。
僕の目は点になった。
一覧の一番上にひとつだけステータスが審査待ちになっているものがあった。確かに彼女は応募したのだ。考えてみれば、これまで彼女は冗談にしてもウソを口にしたことはなかった。今回もそうだったのだ。だが僕の目が点になった理由はそこではない。その応募先を見たためだ。
株式会社夢雲――。
ITエンジニアの就職先人気ランキングなんてものがあれば間違いなくトップ3に入るであろう会社だ。僕のような末端中の末端であるエンジニアが採用される可能性はそれこそ微塵もないであろう。採用担当者は僕の履歴書を見たら秒で不採用のボタンをクリックするに違いない。
それでも僕は求人の詳細を見てみた。とりあえず彼女がどこまで理解してその求人を選んだのかが気になった。というか、やっぱり彼女はなにもわかってなくて、たまたま目立った求人を見つけただけだろう、ということを確かめようと思った。
しかし、見るとその求人の内容は広範囲なもので、要は、あらゆる方面に業務を拡大しようとしているため、どんなキャリアの持ち主でも興味さえあればエントリー可、みたいなことが書かれていた。応募者の経歴に応じて適切な部門での採用を先方側で検討してくれるとのことだった。
なるほどこれでは僕のスキルとマッチしていないとは言えなかった。ある意味、感心した。だが、なんにしても応募先は別に探さねばな、と思った。
そのままサイトで求人の検索をしようかとも考えたが、少し気が抜けたせいか、急に眠気に襲われたので僕はそっとベッドに戻ったのだった。
翌日の午後。
まさか――、と思った。夢雲から一次選考面接の連絡が来たのだ。だがナゲット社のこともあるので糠喜びはすまい、とも考えた。
トートは何の説明もしなかった。もう自分がその会社を選んで勝手に応募したことすら覚えていない、といったようにも見えた。もちろん僕は彼女に、なぜ夢雲を選んだのかを訊いてみたのだった。
いつになく呆れた調子で彼女はこう返してきた。
「逆にあなたはなんで迷うのかな。どんなにたくさん選択肢があるように見えても、必然性のある道行は大抵はひとつ。あってもせいぜいふたつくらいでしょ。そんなこともわからないでどうするの」
何を言っているのやら。僕には返す言葉もなかった。
だが、なんとなく他の求人に応募したりするのは時間の無駄だということを言わんとしている雰囲気を感じたので、僕は求人サイトを見るのをやめにした。どのみち焦ったところで簡単に決まるものでもなし、許される限りは彼女との時間を楽しもう――。そう考えたのだった。




